ロフタの名を、再び口にしないために
キールは、昼下がりの静かな孤児院の門をくぐった。何度も通ったはずの小道が、なぜか今日はやけに長く感じられる。
玄関の扉を開けると、見慣れた院長が出迎えた。
「おや、キール……また来てくれたのかい」
「ええ。……今月の分を渡しに」
キールは小さく首を傾げた。院長の笑顔は変わらない。けれど、その目の下の隈とやつれた頬が、否応なく現実を語っている。
「最近、ちゃんと食べてますか?」
「はは……まあ、なんとか」
「“なんとか”って、大抵は“無理してる”ってことです」
曖昧に笑った院長に、キールは無言で孤児院に入った。
「失礼します少し経費関係、確認させてもらいます」
「え? でも……」
混乱する心を見せぬよう、言葉を選びながら吐き出した。
「すぐに済ませます」
小一時間も経たないうちに、キールの眉間には深い皺が刻まれていた。
帳簿の帳尻が合っていない。収入はあるのに、支出が不自然に膨らんでいる。
「この出費……いったい何が?」
「……その、実は……」
院長がゆっくりと口を開く。
「強盗に入られたんだ……魔導石を持った若者が、突然……《捕縛糸》で縛り上げられて……」
キールの目がわずかに見開かれる。
「魔導石……強盗……?」
「あぁ……最近は魔導石でスキルを配ってるだろう…….その影響か、妙な事件が増えてるんだ」
キールは黙って立ち上がり、部屋の隅に視線を落とした。
胸の奥が、鈍く疼いた。
そのときだった。
「ああ、でもね……よかったこともあるんだ。ロフタの町の業者さんが親切でね、とてもいい条件で融資を──」
その瞬間だった。
キールの顔色が、みるみるうちに蒼白に変わった。
「絶対にダメだ!」
「……どうしたんだ?最近あそこの人たち、親切そうで──」
「行かないでください…….あそこは……絶対に……!」
言葉に詰まりながら、キールは歯を食いしばる。
「資金は、必ず私が用意します。だから……ロフタには、絶対に関わらないでください。お願いします」
あまりの迫力に、院長は何も言えず、ただ頷いた。
キールは一礼し、静かにその場を後にした。
扉が閉まる寸前、彼の唇が小さく動いた。
「リディア……これで、少しでも償えるだろうか」
——その背中は、いつになく人間らしい、痛みを抱えていた。




