門の先、かつての影とともに
ギルド〈ヴィス〉の掲示板前。クラフトたちは依頼用紙をじっと見つめていたが、その顔色は冴えなかった。
「高難度の討伐依頼は報酬が良いけど、今の装備じゃキツいな……」クラフトが額に手を当てて呟く。
「そもそも、スキルコピー用の魔導石づくりで、モンスターの血液、全部買い占めましたからね。あれ、高かったですよ?」
キールが苦笑交じりに言う。
その傍らブラスが真っ青な顔で、何かに取り憑かれたかのように震えていた。
「……ブラスどうしたの?」
リリーが顔をしかめながら覗き込むと、ブラスが虚ろな目で振り返った。
「最近……夢に出てくるんだよ、リリー……」
「夢?」
「オーガがな……! ふわふわ浮いて……ハートの泡をぷくぷく吐きながら、でっけぇスプーン持って近づいてくるんだ……!」
ブラスは両手を広げて夢の情景を再現しようとする。
「『ブーラース♡ 僕の血どーぞ♡』とか言って……なんかやたら声が高ぇし……」
「……あ、じゃあそのオーガさん、次の夢では紅茶とか出してくれるかもしれないね、ミルクもつけてくれるといいね」
リリーはブラスの話を一切疑う様子もなく、むしろ目を輝かせていた。
「......ブラスもうオーガの血は飲まない方がいいと思うぞ」
クラフトが距離を取る。
「そのうち、ブラスがオーガになるんじゃないですか?」
後ろからキールが呆れたように言った。
「……笑えねえよ……でも、なんか耳とか尖ってきてる気がするし……」
「それは寝癖だ」
クラフトが即座に却下した。
そんなやり取りをしていると、ギルドスタッフが慌ただしく近づいてきた。
「クラフトさん!……また、ノクス宛に直々の手紙です!」
差し出された封筒は上質な羊皮紙で封蝋が施されている。ヴェルシュトラの紋章が刻まれていた。
クラフトが封を切ると、全員の視線が自然と彼の手元に集まった。中から現れたのは、綺麗な文字で書かれた一通の招待状。
「……『ギルド〈ヴェルシュトラ〉より、クラフト殿一行を正式に招待いたします。ギルド長が直接、お話ししたいことがあるとのこと』、だってさ」
「ヴェルシュトラ……?これって、いいことなの?」リリーが目を見開いた。
「ええ、良いどころか——ついにスカウトが来ましたね。しかもギルド長直々とは……これは驚異的ですよ」キールの声が自然と上ずっていた。
だが、そんな空気を引き裂くように、ブラスがいつになく真剣な声で言った。
「……やめとけ」
全員がブラスを見る。
「ヴェルシュトラは、そんな甘いもんじゃねえ。相手が何を考えてるか、見極める前に踏み込むな。あそこは、そういう場所じゃない」
一瞬の沈黙のあと、クラフトは手紙を握ったまま黙り込んだ。思考を巡らせるように視線を落とし、やがて静かに言葉を紡ぐ。
「……行こう」
「はぁ!?お前、話聞いてたか!?」
「俺たちの技術に、あのギルドの力を借りれば——届く場所があるかもしれないと思ったんだ」
クラフトの目は、揺るぎなく真っすぐだった。
「力がないからできなかったことでも、今なら——伝えられる。使える道があるかもしれない」
ブラスは歯を食いしばった。怒鳴りたい気持ちを必死に押さえ込み、拳を握りしめていたが——やがて、重々しく肩を落とした。
「……チッ、しょうがねぇ。お前はまっすぐ行きすぎる。引率役ってやつだな」
「ありがとう、ブラス」
こうして——クラフト、リリー、キール、そしてブラス。四人は最大ギルド〈ヴェルシュトラ〉へと足を踏み出す。
クラフト、キール、そしてブラスの三人は、ヴィスの町からの道を抜け、ヴェルシュトラ本部へと向かっていた。
朝霧がまだ地表を撫でる中、徐々にその“要塞”は姿を現した。
「近くで見ると……やっぱりでかいな……」
クラフトが思わず息を呑んだ。
まるで一国の城そのものだった。堅牢な石壁が幾重にも重なり、塔には監視兵が目を光らせている。
「ギルド……ですよね、ここ?」
「我々のギルド……ガタつく机と椅子がトレードマークなんですが」
キールが曖昧な笑みを浮かべながら呟いたが、その目は真剣そのものだった。
三人が乗った馬車が門前に差し掛かると、圧倒的な存在感を持つ金属の門が視界に飛び込んできた。
その中心に刻まれているのは、威厳を放つ金の獅子の紋章——ヴェルシュトラの象徴。
「……まさか、こんな場所に招かれる日が来るとはな……」
クラフトが思わず呟く。
「表彰か、スカウトか……いずれにせよ異例中の異例ですね」
キールもまた、その規模と威容に息を詰まらせていた。
だが、横に立つブラスの表情は、いつもの陽気さとはまるで別人だった。
口を閉ざしたまま、じっと門の奥を見据えている。
眉間には深く皺が寄り、まるでその先にある“過去”を静かに見つめているかのようだった。
「ブラス……?」
クラフトが声をかけようとしたときだった。
——カツン、カツン、カツン。
鎧を打ち鳴らす重厚な足音が響いてきた。
門の奥から現れたのは、二、三十数名の騎士団。
揃いの白銀の鎧に身を包み、胸元には燦然と輝く金の獅子の紋章。
「……キールあの紋章って……」
クラフトの声が自然と低くなる。
「……えぇ……ヴェルシュトラの“レギス”精鋭中の精鋭です……」
キールも思わず息を呑み、目を細めて彼らの足取りを見つめる。
——カツン、カツン、カツン。
硬質な足音が、まるで時を刻む鐘のように重く響き渡る。
音の主は、門の奥からゆっくりと現れた。
漆黒の鎧に身を包んだ騎士たち。
その姿は、ただ“整っている”などという次元ではなかった。
——完璧だった。
歩幅、視線、呼吸のリズム。すべてが研ぎ澄まされた統一の中にあり、まるで一つの生き物のように動いていた。
鍛え抜かれた筋肉の上に精巧な鎧が重なり、その光沢は無数の戦場を潜り抜けてきたことを物語っている。
その一歩ごとに空気が張り詰め、彼らが進む道には、誰も立たない。
目を逸らし、自然と足を止め、無言で道を譲る。
「すご……」
リリーが後方から小さく呟いた。
彼らの纏う気配は、鋼そのものだった。
静謐でありながら、そこにあるだけで空気が切り裂かれるような鋭さ。
一歩ごとに、大地がわずかに揺れる錯覚すら覚える。
しかし、ただ一人——ブラスだけは動かない。
先頭を歩いていた、銀髪を後ろに束ねた騎士がふと立ち止まり、視線を向けた。




