祝宴の夜、忍び寄る観測者
「よーし!! なら祝勝会だぁーーっ!!」
ブラスが勢いよく立ち上がり、拳を突き上げる。
「この歴史的一歩、飲まずにいられるかよ! 今夜はパーッと行こうぜ、ノクスの皆さんよ!」
クラフトが一瞬ぽかんとした後、ふっと笑った。
「……そうだな。今日は、素直に喜ぶ日だ」
「異論なしです」
キールもめずらしく頬を緩ませた。「こうして成果を分かち合える時間こそ、何より貴重ですから」
リリーは嬉しそうに笑い、顔を輝かせながら立ち上がる。
「ふふっ、久しぶりにあのお店で乾杯できるんだね! なんだか今日は特別な味になりそう!」
「おう、主役なんだからな! 今日はプリンも三つまで許可する!!」
「やったー!」
リリーが拳を小さく突き上げると、クラフトとキールも思わず笑みをこぼす。
夜の空気に包まれながら、四人は自然と足を並べて歩き出す。
行き先は、馴染みのあの店。
ランプの灯りが揺れるその扉の向こうに、祝福と、未来への小さな始まりが待っていた。夜風が肌をなでるように吹き抜ける帰り道。
祝勝会の熱気がまだ身体に残っていた。
魔導石は光り、スキルは宿り、何かが本当に“始まった”と実感できる夜だった。
クラフトが小道を歩いていたその時——
曲がり角の陰から、ゆっくりと現れる影があった。
「やぁ、クラフト君。楽しそうだねぇ」
どこか芝居がかった声。
緩やかな口調。
いつも通り、何かを隠しているような——捉えどころのない男。
「……オラクスか」
クラフトが歩を止め、片眉を上げる。
その声に、警戒も敵意もない。ただ、静かな警告のような空気が含まれていた。
「あぁ、まあな。楽しかったよ」
「随分と面白いことしてるみたいじゃないか」
オラクスは肩をすくめ、軽い調子で言う。まるで立ち話のついで、というように。
「……何が言いたいんだ?」
クラフトの声が少し低くなる。
オラクスの言葉には、いつも余計な“裏”がある。
その瞬間、オラクスの笑みが、ふと消えた。
瞳の奥に一瞬だけ覗いたのは、冷たく研ぎ澄まされた観察者の目。
「モンスターの血が……大量に購入されていた」
彼の声は今度は曇りなく真剣で、まるで一流の探偵が真実を突きつける時のようだった。
「それだけじゃない。魔導石もね、あの豪快なブラス君が、何度も君の家に運び入れているのを確認した」
クラフトは言葉を返さなかった。
ただ、じっとオラクスを見つめる。
何を聞かれるのか。
どこまで気づかれているのか。
その答えを、相手の言葉から読み取ろうとする。
「魔導石と……モンスターの血。組み合わせによっては、凶暴化したモンスターが生まれるという研究報告が、他国の研究でいくつかある。ごく一部の、埋もれた文献だが」
オラクスはゆっくりとクラフトに歩み寄り、首を傾げた。
「それを使って、テロでも起こすつもりなのかな? 」
ああ、まだ——
まだ核心までは届いていない。
クラフトは胸の奥でそっと息をついた。
「……安心しろ、そんなのじゃない」
短く、しかし力強く言い放った。
そしてまっすぐに、オラクスの瞳を見つめる。
(リディアは努力した。命を削って、妹の未来を選んだ。それでも……“落ちた”。
努力すれば報われるなんて言葉は、結局、落ちた者を見捨てるための言い訳だ)
「俺は助けたいんだ。仕組みの外に押し出されて、何も持たずに生きている人たちを。……それだけだ」
しばらくの沈黙が流れた。
風が葉を揺らし、街灯の明かりが地面に揺らめく影を落とす。
「……ふふっ」
オラクスがまた、いつもの飄々とした笑みに戻る。
不意に足元の砂利を軽く蹴って、どこか愉快そうに呟いた。
「君の目はまっすぐだ。——だけど、まっすぐな人間ほど、世界のどこかで曲がって見えるものなんだよ」
クラフトが怪訝そうに眉をひそめたその時、オラクスはふっと空を仰ぎ見た。
「"僕たち"が築いたこの世界……」
風が止まり、夜が一瞬、静まり返る。
「……それは、脆くて歪で、それでも一つの調和なんだ。
綱の上で踊るピエロがいて、綱を張る者がいて、観客がその崩壊を願ってる。
だからね——
クラフト君。僕は……その綱が切れる音を、あまり聞きたくないんだよ」
詩のように、歌のように、意味を霧の中に紛らせる。
オラクスはそれ以上何も言わず、踵を返して闇の中へと歩き出す。
「……あいつ、一体なんなんだ……」
クラフトはしばらくその背を見つめ、ぽつりと呟いた。
誰に言うでもなく、ただ問いだけを残して——夜の静けさが、また戻ってきた。




