血の試行錯誤と、名もなき研究者
数週間。
気が遠くなるほどの時間を、クラフトたちは実験に費やしていた。
さまざまな種類のモンスターの血を採集し、魔導石に塗り込み、そこへスキルを撃ち込む――。
ただそれだけの繰り返しのようでいて、その一つ一つに、思考と検証と希望が込められていた。
そのために必要な魔導石の数も尋常ではなかった。
ブラスはその都度、かつての鉱山跡地から大岩サイズの魔導石を根こそぎ引き抜き、クラフトの家に担ぎ込んでくる。
そしてそのたびに、クラフトの家財が犠牲になった。
「……クラフト、今日の収穫だ!」
「ちょ、ま、待てブラス、その角度は……!」
魔導石が壁にぶつかり、棚が一つ、何かを守る暇もなく崩れ落ちる。
「……俺の家具……」
そうして家具の命を削るようにして進められた実験だったが――
その日、ついに“それ”が起きた。
「リリー、血の塗布は?」
「はい、クラフト。今回はスモークトードの血。反応が一番近かったやつ……だと思う」
リリーが魔導石の表面に丁寧に血を塗りつける。
クラフトは静かに頷き、右手に魔力を集中させた。
「《連撃解放》!」
光が迸り、スキルが魔導石へと注がれる。
次の瞬間――
魔導石に輝きが灯り、明確な“光”となって石全体を包み込んだ。
「……光りが消えない!」
クラフトの声が震えた。
「やった……!」
リリーが両手を胸元に握りしめ、信じられないという表情で見つめている。
「……これは……」
キールが、息を呑んだまま動かない。
「スキルの保存……ってことか?」
ブラスがぽつりと呟いた。
だが、クラフトは首を振った。
「違う……これは、スキルの“コピー”だ」
静寂。
魔導石の輝きは、まさしくスキルが写し取られ、封じ込められた証だった。
キールが額に手を当て、目を細める。
「……これは……すごい……ただ…….」
「えっ……?」
リリーが不安そうに顔を上げる。
「スキルのコピー技術が完成したとなれば、それはすなわち、既存のスキル経済を根底から覆すということです」
キールは早口になりながらも、冷静に言葉を選ぶ。
「つまり……これは、既得権益者にとって“最も恐れる技術”ということになります」
クラフトは、魔導石に宿った光をじっと見つめた。
「じゃあ……まだ、表には出せないな」
「ええ。極秘で進めましょう。無駄に敵を増やすだけです」
「わかった。次は、系統別の検証に移るか……」
クラフトが新たな実験に向けて姿勢を正すと、背後でガタンッと音がした。
「……よし! じゃあ次の魔導石ガンガン持ってくるか!」
ブラスが元気よく立ち上がる。
クラフトは崩れた棚と砕けた木片を見つめながら、そっとため息をついた。
ブラスが次なる魔導石を持ち上げようと腕まくりするその姿を見て、もはや止める気力も湧いてこない。
家具が壊されるたびに胸を痛めていた頃の自分は、もういない。
それでも——。
「……ブラス、もう家具は壊してくれていい。ただ……せめて家のドアだけは残してくれ、もう雨露をしのげればいい……」
クラフトの目はただ遠くを見つめていた。
数週間にわたる実験の果てに、クラフトたちはようやく“光る”瞬間を二つだけ掴んだ。
最初に反応を示したのは、キールが撃ち込んだ《魔光弾》だった。
そのとき使用したのは、ウィスプ系モンスターの血。魔導石は淡く、しかし確かな光を放った。
もう一つは、ブラスの《震雷斧》。
トロルの濃い血を塗りつけた魔導石に対し、雷光を伴う斧の一撃が走った瞬間、魔導石がビリビリと音を立てて発光した。
あれから、成功はその二つだけ。
それ以外のスキルやモンスターの血では、魔導石はただ沈黙を守るか、無言で砕け散るばかりだった。
キールは、積み上がった失敗の記録を前に深いため息を吐き、疲れた表情のまま呟いた。
「……今まで成功例がなかった理由が、ようやく分かりました……」
彼は目元を押さえながら、椅子に深く沈み込む。
「血の種類とスキルの組み合わせが、想像以上に複雑すぎる。適合条件が見えない……これでは偶然の再現すら困難です」
その隣で、ブラスも肩で息をしながら大きく腕を回した。
「ああ……《震雷斧》が反応したのはたまたま、かもな。かなりの血を使ってようやくって感じだったし……」
クラフトは何も言わず、作業台に広げられた検証表を見つめていた。
だが、その傍らで、リリーが眉をひそめながら、視線を組み合わせ表に走らせていた。
「……お姉ちゃんの時ゴブリンの血で《閃光炎》は反応して、似た系統の《影槍》では、一瞬だけど……ほんのわずかに光ったわよね……」
「そうだな」
何日にもわたる実験の末、ようやくいくつかの成功例が見えてきた。
魔導石にモンスターの血を塗り、スキルを撃ち込む——
その条件のもとで、反応を示したのは二つ。
キールの《魔光弾》と、ブラスの《震雷斧》。
だが、それ以外の試みは、ことごとく失敗に終わっていた。
クラフト宅の一室には、砕けた魔導石の破片が山のように積み上がり、床は赤黒い血の染みでまだら模様になっていた。
「今まで成功例がない理由が、ようやく分かりました……」
キールが深いため息をつきながら、疲れた目で記録帳をめくる。
「単純に“スキルを撃ち込めばいい”って話じゃない。血の種類によって適合するスキルの組み合わせが……想像以上に複雑だ」
「……あぁ」
ブラスも珍しく腕を組み、真剣な面持ちで頷いた。
「同じ“攻撃系”でも、通じるのと通じないのがある。斬撃系のスキルなんて十本撃っても全部ダメだった。なのに、俺の《震雷斧》は反応したんだよな……」
テーブルの中央、リリーが広げたのは、これまでの実験データをまとめた図表だった。
彼女はつぶやきながら、記録の一行を指でなぞる。
「これまでのパターンからモンスターの血をうまく分類すればもっと効率的にいけるのかも……」
「たとえば……?」
キールが椅子を軋ませて起き上がり、興味深そうに眉を動かした。
「えっと、たとえば……モンスターの生態?二足歩行?体表の構造?体長とか、鱗の有無とか……あとは……呼吸法?」
リリーは次々と仮説を口にしながら、意識がどんどん内へと沈み込んでいくのを感じていた。思考の波が彼女の中で静かに渦を巻きはじめる。
「……あ!」
リリーが突然、ぴんと背筋を伸ばして声を上げた。
「ブラス、これ飲んでみて!」
彼女が差し出したのは、小瓶に詰められた褐色の液体。ラベルには小さく《コボルトの血》と記されていた。
「はぁ? なんで俺が飲まなきゃいけねぇんだよ……」
ブラスは眉をひそめながら瓶を受け取る。
「俺、オーガの血以外はあんまり好きじゃねぇんだ。クセがなくて、スッと入るんだよあれは……」
「いいから! お願い、ちょっとでいいの!」
リリーが食い気味に言うと、ブラスは渋々と蓋を開け、中身を一気に流し込んだ。
「……む……これは……」
ブラスは突然、真顔になり、唇に指を当てた。
「コボルト特有の苦みが先に立つが、そのあとに来る微かな土の香りが、思いのほか柔らかくまとまってやがる……。口に含んだ瞬間の鋭い鉄分のキックが、喉を通る頃には穏やかに変わるあたり、これは……“年若い群れの個体”だな」
「わ、分かるの!?」
リリーが目を丸くして叫ぶ。
「まぁな……オーガに比べりゃアレだが……おっ?」
彼女はすかさず次の瓶を差し出した。
「じゃあ次、ホブゴブリン!これはさっきのコボルトより赤みが強いでしょ?」
「お、おう……」
ブラスが飲むたびに、リリーはノートを広げ、ペンを走らせた。
「えーと、味は……」
「ホブゴブリンは……血の粘度が高い分、舌にまとわりつく重さがあるが、その裏でほんのりとした甘味があるな。たぶん植物食寄りの習性が出てんだな、これ」
「なるほど!次、オーク!」
「ま、まだ飲むのかよ……!」
「お願いします!今のは筋肉質系だったから、次は脂肪系の個体で比較したいの!」
クラフトとキールが、目を白黒させながらその光景を見つめていた。
リリーはブラスに次々と血を試飲させながら、成分の特徴と味覚の違いをメモし続けていた。
やがて彼女は、一つの瓶に手を伸ばしながら言った。
「このパターン、いけるかも……!」
その目は真剣そのものだった。
リリーは瓶の中身を小さく切った魔導石に慎重に垂らし、クラフトに向かって顔を上げる。
「クラフト、お願い。《衝撃撃破》を撃って!」
「わかった」
クラフトが深く息を吸い、腰から剣を抜く。魔導石に狙いを定め、一気に力を込めてスキルを発動した。
鋭い衝撃と共に光が走り——
「……光った!」
リリーが歓声を上げた。
「やった……やったわ!」
「リリーの睨んだ通りだったな!すげぇぞリリー!!」
ブラスが満面の笑みを浮かべてリリーに親指を立てた。
「もうお前、ノクスの天才研究家だ!」
「……私の名前、教科書に載っちゃうかもしれない……!」
リリーはぽつりとつぶやき、遠くを見つめる。
「いやいや!載るどころか、巻頭特集だろ!」
ブラスは勢いそのままに椅子を蹴って立ち上がると、両手で大げさに空を指差した。
「“リリー式モンスター血液属性分類理論”! 世界を変えたって伝説になるぞ!」
「“リリー式”……ふふ、いい響き……」
リリーは嬉しそうに頬を染めながら、メモ帳の端にその言葉を書き込み始めた。
クラフトはそんな二人のやりとりを、目を細めながら見守っていた。
「……でも、本当に向いてると思うよ、リリー」
「え?」
手を止めたリリーが、ぽかんとクラフトを見る。
「分析力もあるし、仮説の立て方も的確だ。」
キールも頷いた。
「加えて、仮説と観察結果を柔軟に照らし合わせる力があります。思いつきではなく、構造的に現象を捉える発想も。——正直、感心していますよ」
リリーは目をぱちぱちと瞬かせた。
そして、ほんの少しだけ間を置いて——
「……わ、わたしが、研究者?」
その声は、驚きと照れ、そしてほんの少しの誇らしさを含んでいた。
四人の視線が交差する。
それは確かな発見の喜びと、未来へのわずかな確信を宿した、穏やかで静かな一瞬だった。




