解き明かす者と、蠢くもの
朝の柔らかな日差しが、大理石の床に長く影を落としていた。
アカデミアの図書棟——
その奥の、ひと気のない閲覧室で、リリーは一心不乱に本を読み漁っていた。
古い紙の匂いが立ち込め、ページをめくるたびに微かな風が頬をかすめる。
(……魔導石、魔導石……どこかに手がかりが……)
積み上げられた書物の山。そのすべてに共通していたのは——
“わからないことが、あまりに多い”という事実だった。
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「魔導石とは、森や洞窟など、人の手が届かぬ場所に自然発生する結晶状の物質である」
「発生の原理は現在に至るまで不明。人為的な生成は不可能とされている」
「魔導石が一定量以上、または高密度で集まると、モンスターが出現する。が、その仕組みも未解明」
「国は国防上の理由から、魔導石の発見時には買取と回収を行っている」
「なお、一部の魔導石は装飾品としても用いられるが、輝きはガラス玉程度で、希少価値は低い」
⸻
リリーは額に手を当て、ゆっくりと椅子にもたれかかった。
(魔導石って……わからないことだらけね)
利用価値があまりにも不確かで、危険性も高いため、まともな研究記録すら少ない。
(誰も解明しようとしない。だからこそ、私たちがやるしかないんだ)
静かに拳を握りしめながら、彼女はもう一冊、厚みのある書物を手に取った。
背表紙に刻まれていたのは《魔物生理概論》。
魔導石に続く手がかりを求め、リリーはページを捲り始める。
「モンスターの血液は、強い腐臭と独特のえぐ味を有し、そのままの状態では人間の摂取に適さない」
「しかし、一定の処理・精製を施すことで、肉体の損傷を修復する“回復作用”を発揮する。古来より、治療薬やポーションの原料として利用されてきた」
「また、モンスターの種族や個体差によって、その効果や薬理特性には大きな違いが見られる。例:オーガの血は骨折、筋繊維の修復促進に特化、ケルベロスの血は熱耐性向上の効果を有する……」
リリーは思わずペンを取って、気になった箇所に線を引いた。
思考の輪郭が、わずかにかたちを成しはじめる。
「……つまり、これって……」
不意に、リリーの手が止まった。
瞳がゆっくりと見開かれ、眉がぐっと寄せられていく。
彼女の顔つきが、神妙なものへと変わっていくのが分かった。
(……まさか……そういうことだったの?)
魔導石でも、血液でもない。
今、自分の目の前で静かに並ぶ文献たちが語りかけてくる「何か」。
リリーは喉元までせり上がってきた仮説を、震える声で口にした。
「……やっぱり、ブラスの味覚って……おかしいのね……」
その瞬間、リリーは椅子を勢いよく引き、立ち上がった。
椅子がキイッと小さな音を立てて後ろに滑る。
そして、書架のほうへまっすぐに歩いていく。
彼女の眼差しは、まるで国家機密にでも挑むかのように真剣だった。
一冊、また一冊——
《味覚異常と感覚の再訓練》《刺激耐性と神経反応》《重度嗜好症例と治療例集》
などなど、次々と本を引っ張り出し、机の上に並べていく。
そして一言——
「ブラス、待っててね……きっと、治してあげるから!」
満面の使命感に満ちた笑顔。
本人にとっては、これは間違いなく“仲間のための戦い”だった。
──日が暮れ、静寂が街を包み込む頃。
クラフト宅には、ランプの穏やかな光だけが灯っていた。
コトン、と何かが倒れる音がした。
夜も更け、クラフト宅には穏やかなランプの明かりだけが灯っていた。
クラフトはソファでうたた寝をしていたが、不意に聞こえた「ギギギ……」という異様な音に目を覚ました。
「……ん?」
部屋の隅で、何かが蠢いている気配。
微かに、軋むような、喉を擦るような——
生き物のものとは思えぬ、粘ついた鳴き声が聞こえた。
「……!」
クラフトは即座に身を起こし、壁際の剣を掴む。
「誰かいるのか……?」
ローソクの火をかざしながら、ゆっくりと音の方へと足を進めていく。
呼吸を殺し、気配を研ぎ澄ます。扉の影を回り込んだ、その瞬間——
「なっ……!?」
そこにいたのは、モンスターだった。
床に倒れたお互いの肉を、ぎしぎしと音を立てながら貪っていた。
体表は荒く裂け、血と黒い粘液にまみれている。
明らかに“死んだはず”の何かを食い漁っている姿は、理性とは無縁の異形だった。
即座に反応する。
「……ッ!」
クラフトの剣が一閃。
煌めいた刃が、モンスターの首を切り裂き、その身は倒れ伏した。
やがて、静寂。
床に倒れたモンスターの横には、実験で使った血液が付着した魔導石が転がっていた。
(これは……)
目を細め、彼は魔導石に一歩、足を踏み出した。
その夜、再び“何か”が動き出していた——。




