砕けた魔導石と、揺らぐ自信
すっかり夜も更け、作業机の上には分割された魔導石の欠片が並べられ、部屋の空気には妙な緊張感が漂っていた。
「……さて、問題はここからだ」
クラフトが腕を組みながら呟く。
「仮説が正しいなら、“モンスターの血”が必要なんだけど……問題は、どう手に入れるかだ」
「市場に出回ってるのは、ポーションや医療用の加工品ばかりですからね」
キールが冷静に続ける。「“本物の生血”なんて、そうそう出回りません」
一同が唸るように沈黙したそのとき——キールが目線を横に流し、ゆっくりと口を開いた。
「……とはいえ、すぐ近くに“毎日それを美味しそうに飲んでる味覚異常者”がいるんですが……」
その視線の先にいたのは——ブラスだった。
「おい、待て……なんで俺のほう見る!?」
ぎくりと肩を跳ねさせるブラス。
「高いんだぞ、あれ……! ちょっとずつ味わって飲んでんだからな!?」
「……ブラス、こういう時は協力し合おう」
クラフトがすでに袖をまくって詰め寄る。
「おいクラフト、目が怖い! キール、お前までくるなって!! これは俺の、戦士の嗜みでだなっ……」
「おとなしく出せ、ブラス」
「ぎゃーっ!俺の戦利品がぁぁ!」
キールとクラフトに羽交い締めにされ、あっさりと装備のポーチを開かれるブラス。
そして、ポーチの奥からごろごろと転がり出てきた——大小さまざまな瓶。
それも全部、オーガの血。
「…………」
「…………」
「…………」
三人が微妙に距離をとる。
「お前……どれだけ持ってるんだよ、オーガの血」
クラフトが呆れながら尋ねると、ブラスはしょんぼりと目を逸らした。
「……産地とか、部位とか、違うんだよ……」
「お肉かよ……」
ブラスはしゃがみ込み、がっくりと肩を落とした。
ブラスの背にポン、と柔らかな手のひらがそっと置かれた。
振り返ると、そこには笑顔のリリーがいた。
「大丈夫!ブラス優しいから、オーガも安心してるよ!」
にこりと、まったく悪気のない笑顔。
純粋な目がまっすぐにブラスを見つめていた。
「……あっ……あぁ……そ……そうか……」
ブラスの口元がひくりと震える。
“いや、それは違う”と本能が叫ぶのに、リリーの笑顔の前では否定の言葉が喉を越えてこなかった。
曖昧な笑みを浮かべながら、ブラスはゆっくりと頷いた。
「……そうだな……きっと……オーガも喜んでる……うん……」
その言葉に、クラフトが真剣な表情で頷いた。
「……なるほど。モンスターといえども、命がある。それに感謝する心……リリーの言葉は的を射てるな」
「…………」
ブラスの顔が引きつる。
その横で、リリーが得意げに胸を張った。
「でしょっ!」
キールはこめかみを押さえながら、目を閉じる。
「……頭が痛い……物理的にも精神的にも……」
部屋には、しばしの静寂。
静かなランプの灯りが、室内を穏やかに照らしていた。
その中央——ノクスの四人が、丸テーブルを囲むように座っている。テーブルの上には、小岩ほどに割られた魔導石と、それに垂らされた赤黒い液体。ほんのりとした鉄の匂いが、空気に溶けていた。
「……いくぞ。モンスターの血を塗って……スキルをぶつける」
クラフトが息を整え、魔導石に向けてスキルを放った。
——パキィン!
乾いた音が、テーブルに跳ね返る。
魔導石は、粉々に砕けた。
それだけだった。
光も、反応も、何もない。
「……ダメか」
ブラスが肩を落とし、ぽつりと呟く。
「なんでだ……!あの時と、同じようにしたのに……!」
クラフトが苦い声を漏らし、砕けた魔導石の破片を睨みつけるように見つめる。
「……クラフト、血のついた魔導石を貸してください」
キールが落ち着いた声で手を差し出す。クラフトが無言でそれを渡し、キールは慎重にスキルを構える。
——パキンッ。
再び、砕ける音。
まるで、最初からそれが“正解”だったかのように、淡々と魔導石は砕け散った。
「…………」
テーブルの上に転がった破片が、コツン、とガラス皿にぶつかって止まる。
それだけの音が、部屋全体に冷たく響いた。
誰も言葉を発せなかった。
クラフトは唇をかみ、拳を握ったまま俯いている。
キールは静かに片眉を上げたが、明確な言葉を出さず、黙考に沈んだ。
リリーもネックレスにそっと触れながら、不安げに視線を下げる。
空気が——重い。
沈黙は、次第に焦りへと変わっていく。
「……もしかして、魔力の流し方か?」
クラフトがふと呟く。
「可能性はありますね。前回は偶然に頼りましたが、今度は意図的に再現を目指す必要があります」
キールが頷き、クラフトに視線を向けた。
クラフトは魔導石を手に取り、静かに魔力を込め始めた。
「強く——!」
ドン、と音を立てて魔導石が砕ける。
「じゃあ、弱く……」
パキィン、と鈍い音。
「細く……太く……」
順に魔力の流し方を変えるも、どれも結果は同じだった。
「じゃあ……“曲げて”みる」
クラフトは魔力を湾曲させて魔導石にぶつけるが——砕ける。
「……じゃあ、“回転”させてみるか」
渦のように練り上げた魔力を叩き込む。空気がビリ、と震えた。
——しかし。
「パキィィン!」
結局、魔導石は砕けるだけだった。
石の破片がテーブルに散らばる音が、やけに大きく響く。
「……全部ダメか」
クラフトが額の汗をぬぐい、椅子の背に体を預ける。
キールが破片を手に取りながら、渋い顔で言った。
「考えうる魔力の運用は、あらかた試しましたね……それでも、光らない」
「……お姉ちゃん、何が違ったんだろ……」
リリーが魔導石のネックレスを見つめながら、ぽつりと呟く。
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
静かなランプの明かりが、部屋の隅に転がる砕けた魔導石を照らしていた。




