反撃の灯火
遠くに、岩壁に崩れ落ちたクラフトの姿が見えた。
血に濡れた剣が傍らに転がり、彼の体は微動だにしない。
キールはその姿を見つめ、わずかに眉を動かした。
(……クラフトが……倒れた)
冷たい思考の奥に、焦りが混ざり合う。
キールは歯を食いしばった。
(クラフト、ブラスは戦闘不能……リディアと二人で?)
キールは即座に最悪の未来を想定する。
(どうする……考えろ、キール)
キールの思考は冷静だった。
撤退は――ありえない。
オーガを倒さなければ、誰も生きて帰れない。
それならば、勝つしかない。
(現状、同調発動で胸に一撃...それしかダメージが通らない……いや?…そもそも何故胸に当たった...防御もできたはず...奴はあの時....)
「……リディア、松明の携行油を貸してください」
キールは冷静に指示を出した。
「え?」
リディアが一瞬戸惑う。
「同調発動の時奴は腹を庇っていました。きっとなにかあります」
「わかったわ!」
リディアは素早く腰のポーチから小さな携行油の瓶を取り出し、キールに放った。
キールは片手で受け取りながら、すでに捕縛糸の準備をしていた。
「拘束します。リディアは着火の準備を」
「わかったわ!」
リディアは短く返事をし、即座に《閃光炎》の魔力を練り始める。
キールはオーガの巨体を睨み、静かに捕縛糸を展開した。
オーガはまだふらついているが、まだ戦意は衰えていない。
だが、今なら――
「《捕縛糸》」
キールの指が軽く弾かれた瞬間、無数の魔力の糸が空間を這うように広がった。
オーガの両腕が、瞬時に捕縛された。
「今です!」
キールは携行油の瓶をオーガの腹めがけて投げつけた。
ガラスが砕け、粘度の高い油がオーガの体毛にまとわりつく。
「リディア!」
「——っ!」
リディアが詠唱を完了させ、右手に輝く炎の球体を生み出す。
「《閃光炎》!」
リディアの手から炎が放たれた。
ゴォォォォッ!!
炎弾がオーガの腹に直撃する。
次の瞬間——
ボッ!!
轟音と共に、オーガの腹部が炎に包まれた。オーガが苦しそうに呻き声を上げる。
「……効いてる!」
リディアの声に、キールも確信する。
燃え盛る炎の中、オーガが苦しみながら暴れ回る。
その巨体がのけ反った瞬間――
魔導石が、腹の中から露出した。
「……見えましたね」
キールの目が鋭く光る。
「リディア、全力で撃ち続けてください」
「わかってる!」
リディアは瞬時に《高速詠唱》を発動し、膨れ上がる魔力を指先に集中させる。
キールもすでに《影槍》を展開し、魔力を最大限まで練り上げていた。
「……いきますよ!」
二人は同時に攻撃を開始した。
「《閃光炎》!」
「《影槍》!」
炎の魔弾と漆黒の槍が、オーガの腹を正確に撃ち抜く。
魔導石が露出した部位に次々とスキルが命中し、オーガの巨体が揺らいだ。
「……やったか?」
キールが目を細めた瞬間、オーガが再び呻きながら前のめりに進み出す。
「っ、まだ動くの!?」
リディアが驚愕する。
ダメージは確実に入っている。
しかし、それでもオーガの巨体は止まらない。
焦げた肉の匂いと共に、オーガは二人の間合いを詰めてくる。
振り上げた拳は、壁を砕くほどの威圧感を放っていた。
「……リディア、下がって下さい」
キールが前に出ようとする。
しかし、リディアは首を横に振った。
「いいえ、ここで止める!」
リディアの手に、再び炎の魔力が収束する。
蒼白な顔をしていたが、その目はまだ闘志を失っていない。
キールも《影槍》を構え、二人は同時に攻撃を仕掛けた。
「《閃光炎》!」
「《影槍》!」
炎の魔弾と闇の槍が、オーガの体に次々と突き刺さる。
「ぐおおおぉぉ……!」
オーガが苦痛の叫びを上げながらも、一歩、また一歩と近づいてくる。
巨大な拳が振り下ろされ、リディアとキールは咄嗟に左右へ跳ぶ。
地面が爆ぜ、無数の岩片が飛び散る。
「っ……しつこいですね!」
キールが呻きながら《影槍》を次々と放つが、オーガは怯むどころかますます迫ってくる。
「っ……! まだよ……!」
リディアは《高速詠唱》を使い、魔力を最大限まで高める。
「《閃光炎》――!」
リディアの魔力弾が、炎の嵐となってオーガを包み込む。
爆炎が洞窟内を照らし、一瞬、オーガの動きが鈍る。
「いいかげんにしてください……!」
キールも《魔光弾》を放ち、連続でオーガを攻め立てる。
しかし——
「っ、しまった!」
オーガが炎の中から飛び出し、巨大な腕を振りかざす。
リディアとキールの間合いが、限界まで詰められていた。
「——ッ!」
その瞬間——
「キールーー!!」
轟くような声が、洞窟内に響き渡った。
キールが咄嗟に振り向く。
そこには――
駆け出すクラフトの姿があった。
満身創痍の身体で、意識を振り絞りながら――片手で剣を握りしめ、オーガへと疾走している。
「……クラフト」
キールの脳裏に、同調発動の感覚が蘇る。
この瞬間――
「キール、合わせろ!!」
クラフトの叫びが、キールの戦意を引き上げた。
「……了解」
キールの手には、再び《影槍》の魔力が収束する。
クラフトは剣を高く掲げ、狙いを定める。
二人の視線が交差する。
そして――
「《衝撃撃破》!」
「《影槍》!」
膨大なエネルギーがクラフトの剣に集約され、閃光と共に放たれた。
キールの槍がオーガの体を貫き——
クラフトの剣が、オーガの魔導石を正確に切り裂いた。
衝撃音が洞窟内に響き渡り、オーガの巨体が崩れ落ちる。
一瞬の静寂——
そして、巨大な肉塊が地面に叩きつけられた。
「……倒した……」
リディアが息を呑む。
キールは剣を握りしめたまま、倒れ込んだクラフトを見つめた。
洞窟内に響くのは、荒い息遣いと、崩れた岩が転がる音だけだった。
オーガの巨体は、ようやく完全に沈黙していた。
クラフトは剣を地面に突き立てると、そのまま膝をついた。
体中が鉛のように重く、思考すらまとまらない。
「……はぁ……」
キールもその場に座り込み、額の汗を拭う。
リディアもへたり込むように腰を落とし、荒い息を整えた。
しばらく、誰も言葉を発さなかった。
ただ、無言のまま、生存を確かめ合うように呼吸を揃える。
その時、洞窟の奥から、微かに湿った何かが蠢くような、何か不快な音がする。
だが、それは疲れ果てた彼らの耳には届かない。
「……やりましたね」
ぽつりと、キールが呟いた。
「……あぁ」
クラフトが、静かに答える。
「……生きてる……」
リディアは呆然とした声を漏らしながら、戦いの余韻をかみしめるように天井を見上げた。
血の匂いが充満する洞窟の中、身体中の力が抜けていく感覚。
湿った洞窟の空気が、ひどく重く感じる。
その時、かすかに、岩肌を擦るような音が洞窟の奥から聞こえた。
クラフトがふと顔を上げる。
「……ブラスは大丈夫か!?」
その言葉で、リディアもはっと我に返る。
「気を失ってるけど、もう大丈夫よ」
リディアは、ブラスの傍に視線を向ける。
「ただ、もう少し遅れていたら、かなり危なかったわ」
リディアの手には、かすかに温もりが残る《肉体再生》の魔力。
それがなかったら――今ここにいる誰かが、戦闘不能どころか命を落としていたかもしれない。
クラフトは、深く息を吐いた。
「……よし、少し休んだら——」
その時だった。
洞窟の奥から、不気味で蠢くような、異音が断続的に響いて
オーガの胸元には、まるで血が滲むような暗い赤が浮かんでいた。
お読みいただき、ありがとうございました。
小さな物語ですが、どこかに残るものがあれば嬉しいです。
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