剣が冴える、教えが刺さる
日が完全に落ちた頃、ノクスの一行はゆっくりと採掘場を後にしていた。
ブラスは両肩に巨大な魔導石を一つずつ抱え、クラフトとキールもそれぞれの背に袋を背負い、リリーはネックレスを胸元で握りしめながら、少し疲れた様子でクラフトの隣を歩いていた。
「ふぅ……やっぱり重いな、魔導石って」
クラフトが汗を拭いながら呟くと、隣でキールが息を切らしながら返した。
「そうですね……しかも採掘しても……買取価格は安く非効率な労働です」
少し離れて歩いていたブラスが、岩のような魔導石を担いだまま、後ろを振り返った。
「おいおい、疲れてる場合か?いい風が吹いてるぞ!」
「いや、だからそれを担いで元気なのお前だけだって……」
クラフトが苦笑する。
「しかもあの大きさ、完全に見せびらかしてますよね……」
キールがぼそりと呟いた。
「何か言ったかー?」
ブラスが振り向きざまに声を張る。
「いえ、ブラスような人類基準の外側の存在には毎度驚かされます」
キールは肩をすくめながら、丁寧な笑顔を作った。
だが、その言葉の端々に、じんわりと染み出す疲労と毒気は隠せなかった。
「だろ〜?」
まんざらでもなさそうに笑うブラスだったが、その直後——
「しかし、退屈だなぁ。たとえばよ、せめて数匹くらいモンスターが出てきたら面白——」
クラフトとキールの顔色が変わった。
……だが、止められなかった。
油断。
その二文字が、キールの脳裏に冷たく突き刺さる。
帰路という安心感が、判断を鈍らせたのか。
「今回は平和だった」と、気が緩んでいたのか。
——いいや、そんなことはどうでもいい。
問題はただ一つ。
なぜこの男の口を、物理的に塞がなかったのか。
いや、違う。あの場で捕縛糸で縛っておけば——いや、もっと確実に気絶させておくべきだった。
いっそ、帰路の安全が確認されるまで“昏倒状態”を維持しておく薬の調合を検討すべきだろうか……。
「黙って歩かせる」などという曖昧な信頼が、どれほどの損害を生むのか——
今回の事例で十分証明されたはずだ。
……次こそは、必ず封じる。
物理的に。確実に。
茂みの奥で、バサバサッと枝が乱れた。
まるで獣が身をよじって飛び出そうとしているかのように、草木が大きく波打つ。
その瞬間、空気がざらついた。
「——ッ!気配!」
キールが立ち止まり、瞬時に気配を探る。
「来ます、前方……コボルト、五体!」
リリーもすぐに魔力を練り上げ、視線を敵に向ける。
だが、次の瞬間——
「え……?」
彼女の視界に映ったのは、すでに地に伏した三体のコボルトの亡骸だった。
クラフトの姿は、既に残り二体のコボルトの間を駆け抜けていた。
一閃。
最初の一体の喉元に閃く刃。
間髪入れず、反転しながら二体目の脇腹を断つ。
敵を倒す動きに、これほどまでの“美しさ”があるのか。
そう思わせるほど、クラフトの剣は洗練されていた。
刃が描いた軌跡には、一分の狂いもない。
無駄がないからこそ、速く、切るべき筋肉だけを裂き、致命に至らしめる。
「な……」
キールが思わず言葉を失う。
「もう……終わったの……?」
立ち尽くすリリーとキールの間を、クラフトが何気なく歩いて戻ってくる。
「大丈夫か?」
いつもの声。
だが、その動きと処理速度は、もはや冒険者という枠を超えていた。
呆然とするリリーとキールをよそに、ブラスが肩に担いだ魔導石を軽く下ろしながら、ニヤリと笑ってクラフトに声をかけた。
「お前、右足で踏ん張りすぎてて切り返しで反応遅れるぞ」
「なるほど……重心の位置と軸のブレがあるのかもな」
クラフトは顎に手を当て、先ほどの自分の動きを頭の中でなぞるように考え込む。
「あとよぉ、お前……多分、モンスターの体の微妙な動きで読んでるよな?」
「……あぁ。予備動作の前の筋肉の弛緩を見て、それで予測してるんだ」
クラフトが頷くと、ブラスがさらに言葉を重ねる。
「じゃあよ、息づかいは見てるか?」
「……!」
クラフトの目がわずかに見開かれる。
「……あぁ!なるほど。呼吸の“吸い込み”のタイミングか……」
気づいた瞬間の閃きに、クラフトの声がわずかに熱を帯びる。
「吸気直後は一瞬だけ動きが止まる。そこを狙えば、より先手を取れる……!」
「おう、それだ」
ブラスは満足げに頷き、軽くクラフトの肩を叩いた。
「あともう一つだけ言ってやる。お前の動き、フォームが綺麗すぎる」
「え?」
「基本に忠実なのは悪くねぇ。でもな、長丁場になるとキツいぞ。同じ筋肉に負荷が集中しちまう」
「……つまり、動きに変化をつけて、別の筋肉に負荷を分散させるってことか?」
「そういうこった。片方を休ませながら、もう片方で戦え」
クラフトは納得したように深く頷いた。
「体も頭も、使い切った奴が勝つんだよ」
「……しかし、お前のアドバイスって、いつもわかりづらいんだよな」
クラフトが苦笑まじりに言うと、ブラスはふんと鼻を鳴らす。
「でも今はわかっただろ?」
「……ああ。言ってる意味が、ようやくな」
クラフトの言葉に、ブラスが満足そうに笑みを浮かべた。
リリーとキールは、一歩距離を取りながらその様子を見つめていた。
「クラフト……キマイラと戦ってから変わったよね……?」
「えぇ、明らかに」
キールはため息をつきながら肩をすくめた。
「……ついにクラフトも、ブラスと同様、“人間”という枠に飽きたようですね」
「じゃあ!クラフトも魔導石を引っこ抜けるってことね!」
リリーが目を丸くし口を手で覆いながら言った。
茜はすでに群青に変わり、星の灯りだけが頭上に揺れていた。
魔導石を担いだノクスの足音だけが、夜の道を静かに刻んでいく。




