俺たちの“常識”が負けた日
クラフトとキール敵前に飛び出そうとしたその瞬間。
「リリー、あの出番だな!」
ブラスの陽気な声が響き渡る。
「ついにその時が来たのね!」
キールとクラフトが集中していたすぐ横で、リリーが満面の笑みを浮かべながら、大瓶のマナポーションの瓶をぐいっと咥えた。
「……ん?」
クラフトとキールが微かに眉をひそめた刹那——
「いくぜぇ!!」
ブラスがリリーを背に乗せたまま、全力疾走で突っ込んだ。
「ブラス式魔導回転砲!!」
……回転していない。
……砲でもない。
だが、爆走している。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
「お、おい、ちょっと待て!!」
クラフトが慌てて声を上げるが、もう遅い。
記憶の中にしか存在しないはずだった“ブラス式魔導回転砲”が、現実に飛び出してきた瞬間だった。
クラフトの脳裏に、かつての酒場での光景がよみがえる。
——「じゃあ……私、冒険者になれるかな?」
——「車椅子では、無理ですね」
——「だったら俺がリリーを背負って、回転しながら突撃する! その名も『ブラス式魔導回転砲』!!」
——「それなら私、冒険者になれるわ!!」
一瞬、クラフトとキールの視線が交錯する。
「……なあ、キール。今……何が起きてるんだ……?」
クラフトの声は、困惑の臨界を超えたようで、完全に現実を処理しきれていなかった。
「クラフト……“訓練担当:ブラス”って時点で、もう結果は決まってたんでしょうね」
キールは額を押さえ、目を細めた。
それから二人は、ただ呆然と突撃を見送る。思考が追いつかない。
——なぜそれを今やる?
——なぜそれが成立している?
——ていうか、回転してないよな……?
クラフトとキールの脳内では、訓練の記憶と戦術の常識がぐるぐる空回っていた。
まるで現実そのものが“回転”しているかのように、彼らの思考はまとまらなかった。
だが、現実は目の前にあった。
全力で突撃するブラスと、雷撃を容赦なくぶち込むリリー。
二人とも満面の笑みだった。
その笑顔がまっすぐすぎて、
どこにもツッコミを入れられないことに、二人は余計に混乱した。
ブラスがまるで戦場を疾走する弾丸のごとく、トロールとオーガの間を駆け抜ける。
その背中に乗るリリーの手から、《雷耀貫徹》が放たれ、トロールの右腕を消し飛ばした。
——洞窟内はカオスだった。
暴れ狂う巨体。
それを縫うように駆け回る《剛壁の構え》のスキルでガチガチに固められた大男。
その背中から容赦なく満面の笑みで雷撃を叩き込む少女。
「俺たちの訓練って……なんだったんだ?」
クラフトとキールは剣を構えたまま、呆然とその光景を見守るしかなかった。
「……結局、回転ってなんなんですかね」
「……俺たちより敵の方が状況を理解できてないんだろな……」
「どうだすごいだろ!!!」
ブラスが全力で叫びながら、トロールの拳を肩で受け止める。
衝撃で岩が砕けるが、ブラスはびくともせず、逆にその勢いを利用して再加速した。
「行くぞおおおおお!!!」
「ブラス、右よ!!」
リリーの指示に合わせて、ブラスが反転。
《雷耀貫徹》がミノタウロスの胸を貫き、雷の爆発が洞窟内を揺らした。
——荒れ狂う雷と爆風が洞窟内を揺るがし、その場の光景を塗りつぶしていく。
トロールとミノタウロスが完全に沈黙する。
静寂。
凄まじい蹂躙の果て戦場に残るのは、焼け焦げた大地と、沈黙する巨躯。
「……ブラス! できたよ!!!」
リリーがブラスの背中の上で拳を握りしめ、誇らしげに笑った。
「おうよ! お前、最高だったぜ!!」
ブラスが豪快に笑いながら、リリーの頭をわしゃわしゃと撫でる。
キールとクラフトは、その光景を呆然と見つめたまま、一度深いため息をついた。
「……俺たち、同調発動、何百回も訓練したよな?」
「えぇ、しましたね」
「訓練….意味あったのかな?」
「それ以上言わないでください。虚しいだけです。」
キールは静かに目を閉じた。
クラフトも、諦めたように肩を落とす。
カラン、カラン……
「……え?」
クラフトがマナポーションの大瓶を拾い上げ、逆さにして振ってみる。
——何も出てこない。
「……嘘だろ」
クラフトが怪訝な顔で瓶の中を覗き込む。
「……完全に空ですね」
キールが横から確認し、冷静に言い放つ。
「スキル撃つたびに、がぶ飲み飲みしてたからな!」
ブラスが笑いながら腕を組む。
「大瓶って、普通のやつの10倍はあるんだぞ!?」
クラフトが信じられないといった様子で瓶を振りながら、ため息混じりに呟く。
「それを……たった一回の戦闘で空にしたってことか……」
「……ええ、見事に」
キールが瓶を指で弾きながら、呆れたように肩をすくめた。
「ふふん!どう? これで私も立派な冒険者ね!」
リリーは誇らしげに胸を張り、ぴょんっと飛び跳ねた。
戦場の余韻が静かに広がる。
まだ焦げた匂いが立ち込め、岩の破片が無数に散らばる洞窟の中。
戦いの激しさを物語るように、地面には黒く焼け焦げた痕が残り、砕けた岩が無秩序に転がっていた。
クラフトはゆっくりと息を吐き、剣を鞘に納める。
その視線の先に立っていたのは、誇らしげに拳を握りしめるリリー。
呼吸を整えながら、それでも満面の笑みを浮かべている。
頬にはうっすらと煤がつき、髪も少し乱れているが、彼女の目は揺るぎない自信に満ちていた。
その姿を見ながら、クラフトはふっと笑みを浮かべた。
「……戦場に現れた謎の回転体。新たな伝説が生まれましたね」
キールが静かに呟く。
ブラスが満足げに胸を張る。
「おうよ! 俺たちの新兵器、ブラス式魔導回転砲の誕生だ!」
ブラスとリリーが無邪気に笑い合う姿を見て、自然と口角が上がる。
戦いは終わった。
そして、リリーは戦えるようになった。
ふと、遠い記憶がよみがえる。
窓の外を見つめながら、冒険者の話を聞くたびに「すごいなぁ」と呟いていた少女。
戦うことなど想像すらできず、姉の背中に隠れていたあの日のリリー。
そんな少女が——
今、自分の力で戦い、誇らしげに笑っている。
クラフトは目を細めた。
(リディア、見てるか?)
(……お前のしたことが、正しかったのかどうかは、俺にはまだわからない)
(でも——お前が守りたかったリリーは、今、ちゃんと戦ってるよ)
リリーだけじゃない。
俺も、ブラスも、キールも。
ノクスはまだここにある。
そして、こうして笑いながら戦える日々が——
(俺たちは、まだ進める。)
クラフトはゆっくりと息を吐いた。




