作戦成功率:90%、回収率:0%
ヘルハウンドたちは、焼け焦げた地面の上でなおも蠢いていた。
皮膚は裂け、骨は折れ、それでもなお執拗に立ち上がり、血走った瞳でこちらを睨みつけている。
「……とにかく、この数をどうにかしないといけませんね」
キールが低く呟く。
クラフトは剣を構え直しながら、足元の獣を蹴り飛ばし、荒い息を吐いた。
「捕縛糸で動きを止める。ブラス、例の派手スキル……できますか?」
キールが素早く指を走らせ、闇から無数の《捕縛糸》を放つ。糸は鋭く伸び、ヘルハウンドたちの四肢に絡みつき、次々とその動きを封じていく。
「おう、任せとけ!」
ブラスは豪快に笑いながら、リリーを背負い直し、肩を回す——が、突然、ゴソゴソと荷物をあさり始めた。
「……ん? 耳栓どこにしまったかな?」
クラフトとキールが、一瞬手を止め、嫌な予感を覚えながら振り返る。
「おい、ブラス……」
「いや、ちょっと待てよ、確かこの辺に……んん? たく、面倒なスキルだなぁ……」
ブラスは呑気に荷物をかき回している。
その間にも、ヘルハウンドたちは捕縛糸に絡まりながらも、力任せに引きちぎろうとしていた。
クラフトは獣の一匹を剣の柄で殴りつけながら、呆れたようにため息をついた。
「なあキール、スキルの準備で荷物をあさる奴って、普通いるのか?」
「少なくとも私は聞いたことがありませんが残念ながら現実がそれを覆しましたね。」
冷静に返しながらも、キールの声には明らかに呆れが滲んでいた。
「いやいや、ちゃんと準備はしてたんだぞ? ただ、どこに入れたか忘れただけで——おっ、あったあった!」
ブラスは満面の笑みで耳栓を取り出し、耳にはめ込むと、大斧を肩に担いだ。
その瞬間——
「……っ」
空気が変わった。
ピリ、と張り詰める空間。肌にまとわりつくような静電気。
ブラスの周囲に微細な雷光が弾け、魔力の圧が一気に高まる。
「よし、行くぞ!」
クラフト、キール、リリーは即座に目を閉じ、耳を塞ぐ。
次の瞬間——
轟音。
雷撃が咆哮し、洞窟内を震わせる。
《震雷斧》。
爆発的な衝撃と閃光が、あらゆるものを吹き飛ばした。
雷鳴が地を這い、斧が振り下ろされると同時に、閃光が獣たちを貫く。
耳が焼けるような轟音に、洞窟全体が震えた。
しかし——
雷光が収まると、ヘルハウンドたちは……ふらつきながらも、まだ立ち上がっていた。
キールの捕縛糸を噛みちぎりながら、焦げた体を引きずり、狂気じみた目で再び迫ってくる。
「おいおい、今ので効かねぇとか…こいつら目と耳が飾りかよ」
ブラスの顔に、微かな困惑が滲む。
ヘルハウンドたちはなおも執拗に迫ってくる。
焼け焦げた体を引きずりながら、それでも飢えた獣のようにこちらを睨みつけ、狂気じみた咆哮を上げていた。
ブラスはリリーを抱えたままじりじりと後退し、鋭い息を吐き出した。
「……こいつら、マジで異常だな」
さすがのブラスも、微かな焦りと困惑を滲ませる。
今までどんな相手でも豪快にぶちのめしてきた彼が、ここまで追い詰められるのは珍しい。
クラフトとキールも、徐々に地形が怪しくなっていることに気づいた。
背後には断崖絶壁。
完全に、逃げ場を失っていた。
「……これはまずいですね」
キールが冷静に状況を確認し、低く呟く。
ヘルハウンドたちは今にも飛びかかろうとしている。次の瞬間には、鋭い牙が肉を裂いているだろう。
しかし——キールはその場で剣を構えるのではなく、何かを思案するように目を細めた。
「……わかりました」
「は?」
クラフトが思わず眉をひそめる。
キールは淡々とした口調で、明確な結論を出した。
「自力で倒すのはあきらめましょう」
キールは短く言い切るが、クラフトには意味がわからなかった。
「どう言う意味だ!?」
混乱するクラフトをよそに、ブラスは即座に察し、不敵に笑った。
「なるほどな!」
キールがすかさず手を動かし、素早く《捕縛糸》を放つ。
無数の糸がクラフトたちの腰に絡みつき、反対の端は洞窟の天井へと伸びていった。
「……おい、まさか」
クラフトが目を見開く。
次の瞬間——
ヘルハウンドたちが、一斉に襲いかかる。
——だが、彼らの獲物は既にそこにはいなかった。
捕縛糸がピンと張られ、クラフトとキール、ブラスは勢いよく天井へと引き上げられる。
代わりに、勢い余ったヘルハウンドたちは——そのまま崖下へと落ちていった。
「アオオオオオオオオオオッ!!」
次々と狂ったような遠吠えを上げながら、獣たちは暗闇の底へと吸い込まれていく。
——だが、それでも止まらない。
後方のヘルハウンドの群れは、一瞬の躊躇すら見せなかった。
目の前で仲間が次々と消えていく光景を見ても、彼らの突進は止まらない。
むしろ、その狂気は加速していた。
崖の存在など理解していない。
敵を仕留めるという目的以外、何も考えられない。
唸り、吠え、互いを押しのけるようにして、獣たちは次々と駆け出した。
「……嘘だろ?」
クラフトが目を見開く間にも、ヘルハウンドたちは迷いなく、一直線に飛びかかった。
当然、彼らがたどり着けるのは、クラフトたちではない。
「おいおい、まさかとは思うが……こいつら、崖を突破できるとでも思ってんのか?」
ブラスが驚き混じりに呟く。
次々と崖へと突進し、そのまま止まることなく、次々と深淵へと落ちていく。
その狂気じみた光景に、クラフトは背筋が寒くなるのを感じた。
ヘルハウンドたちは、こちらに届くはずのない距離でも飛びかかってくる。
それはまるで、自らの死すら理解できていないかのようだった。
咆哮と断末魔の声が、次々と崖下に響く。
底へと吸い込まれていった獣たちは、もはや二度と戻ってこない。
「……この崖、思ったより深いな」
クラフトが息を呑みながら呟く。
覗き込んだその先には、何も見えない。
暗闇がどこまでも続き、どれほどの高さを落ちるのかすら分からない。
ただ、先ほどまで響いていたヘルハウンドたちの叫びすら、今はもう聞こえなかった。
「……この高さだぞ。落ちたら、確実に終わる」
ブラスも真剣な表情で呟く。
「それなのに、あいつらは何の迷いもなく突っ込んできた……」
キールが静かに分析する。
「ここまで理性がない個体群は、自然発生ではまず考えられません。何らかの外的要因で、極端に攻撃衝動が強化されている可能性があります」
クラフトは無意識に、汗の滲む手で捕縛糸を握り直した。
「……いや、良い策だったけどさ……」
クラフトは視線を上に向ける。
「なぁ、キール。これ、どうやって向こうの足場まで戻るんだ?」
キールは無言のまま、一拍置いた後——
「……え?」
「……おい」
「………」
「………………」
遠く、洞窟の奥では、トロールとミノタウロスが互いに咆哮を上げながら激しくぶつかり合っている。
轟く衝撃音が洞窟に響き、壁がわずかに揺れた。
ブラス、クラフト、キールは無言で見つめ合った。
ヘルハウンドたちは崖下へと消えた。
だが、彼らは今、天井にぶら下がって宙ぶらりんの状態だった。
「……おい、どうする?」
「ちょっと待て、考えます」
「……お前ら、まさかノープランでこれやったのか?」
洞窟の天井で、三人の男たちが困惑する。
「 なんだか、立派なミノムシになった気分だね!」
背後で無邪気に笑うリリーの声が響いていた——。




