姉の剣じゃない、私の剣を
朝日が広場を照らし、木剣のぶつかる音が静かな空気を切り裂いた。
「よし、もう一回!」
ブラスの豪快な声が響く。
リリーは息を整えながら、木剣を握り直した。
その手はまだ不慣れだったが、瞳の奥には負けじとする光が宿っている。
「ふっ!」
リリーが木剣を振るう。
だが、ブラスはひょいっと軽く身をかわし、柄の部分でリリーの剣を弾く。
「おっと、今のは隙だらけだな」
バランスを崩しそうになったリリーが、慌てて踏みとどまる。
だが、その表情には悔しさが滲んでいた。
「ほい、もう一回!」
「くっ……!」
再び木剣を振りかざす。
けれど、またしてもブラスにいなされ、簡単に弾かれてしまう。
「……リディアの戦い方を真似してるな」
リリーが驚いたように顔を上げる。
ブラスは木剣を肩に担ぎながら、にやりと笑った。
「動きが全部、あいつに似てる。背格好も違えば、得意な間合いも違うのに、無理に真似してどうする?」
リリーは唇を噛んだ。
無意識のうちに、姉の動きをトレースしていた。
リディアは力強く、素早い剣筋だった。
けれど、リリーはまだ非力で、魔力の運用にも慣れていない。
「お前はお前だ、リディアの影を追うな」
ブラスの声は、いつものように豪快だったが、その目は真剣だった。
「強くなるのはいい。でも、誰かの代わりじゃなく、お前のやり方で強くなれ」
リリーは、ブラスの言葉を噛みしめるように木剣を見つめた。
「……でも、どうすれば……」
「そんなの簡単だろ。お前が戦ってて一番しっくりくる動きを探せばいい」
「……探す……?」
「おうよ。スキルを振るうだけが戦い方じゃねえ」
リリーは、ぎこちなく剣を握り直した。
「おうよ。まずは力を抜け、余計な力が入ってると動きが硬くなる」
リリーは少し深呼吸をして肩の力を抜く。
けれど、まだどこかぎこちない。
「ま、剣はそのうち慣れるさ」
ブラスは軽くリリーの頭をぐしゃっと撫でた。
「お前、姉貴と同じように剣を振るう必要なんてねえんだ。お前の武器を探せばいいんだ」
リリーはゆっくり頷く。
——だが、その動きを見ていたもう一人の男がいた。
「リリー、ちょっといいか?」
静かだったクラフトが口を開いた。
リリーもブラスも、驚いたようにクラフトを見る。
「……魔力の流れがめちゃくちゃだ」
クラフトは剣を指しながら、少し首を傾げた。
「ブラスの剣の指導は的確だ。でも、リリーの動きが硬いのは、剣だけの問題じゃない。魔力の使い方にも問題がある」
ブラスは腕を組み、少し考えたあと、「なるほどな」と頷く。
「でも、魔力の流し方が……まだよく分かんない……」
「それはそうだ。リリー、スキル発動の瞬間にしか魔力を込めてないだろ?」
「え?」
リリーは戸惑いながら、自分の手元を見つめる。
「スキルの発動時に魔力の流し方が雑になってる。
それに、剣を振るう時に全身に均等に魔力を巡らせようとしてるだろ?」
クラフトの言葉に、リリーは驚いたように瞬きをした。
「……え、ダメなの?」
「ダメじゃないが……効率が悪い」
「例えば、剣を振るう瞬間だけ、魔力を刃の部分に集める。
ぶつかる瞬間にだけ、魔力を増やして、衝撃を高めるんだ」
「……やってみる」
リリーはもう一度剣を構えた。
今度は、クラフトの指示通りに、魔力を剣に集中させる。
「振る時だけ、剣の刃に……」
意識しながら、ゆっくりと剣を振る。
バシュッ!!!
「うわっ!」
思いのほか剣が重くなりすぎた。
リリーは体勢を崩し、踏ん張るように地面を蹴る。
「……なんか、すごく重かったんだけど……」
「それは魔力を込めすぎたんだな。必要以上に魔力を注ぐと、剣の動きが鈍くなる」
「む、難しい……」
リリーは悔しそうに眉を寄せる。
「おうおう、焦るなって。剣を振る時はバランスが大事だ。力任せにやると、ただの鈍器になっちまうぜ?」
ブラスが木剣を振りながら、豪快に笑う。
「もう一回……!」
リリーは気を取り直して、再び剣を構えた。
今度は、力加減に注意しながら魔力を込める。
けれど——
バシュッ!!
「っ……今度は、軽すぎる……!」
剣を振ったものの、力が抜けすぎて、まともに振り切ることすらできない。
「今度は魔力が足りなかったな。もっと刃に集中させるんだ」
「うぅ……加減が難しい……!」
リリーは悔しそうに唇を噛む。
「一気に完璧にする必要はない。繰り返し試して、感覚を掴むんだ」
クラフトの言葉に、リリーは深く頷いた。
「……もう一回!」
リリーは、深く息を吸い込む。
今度こそ——
振りかぶった剣の刃に、意識を集中させる。
「ぶつかる瞬間に、魔力を込める……!」
——バシュッ!!
木剣が空を切る。
今度は、適度な重さと速度が両立した。
「……さっきより、軽い……!」
ブラスはそれを見て、にやりと笑う。
「お、なんかコツ掴んだか?」
リリーは驚いたように、自分の剣を見つめる。
「うん、何か……少し違う気がする」
「そりゃよかった!」
ブラスは大きく笑い、リリーの背中をどんと叩いた。
「俺はこういう細けえことは苦手だが、クラフトが言うなら間違いねぇ。
これからは二人で教えてやるよ!」
「……ありがとう、クラフト」
リリーは静かに笑いながら、クラフトを見上げた。
リリーの表情にはさっきまでの迷いが少しだけ消えていた。
クラフトは少しだけ照れたように視線を逸らし、
「別に」と短く答えた。
ブラスは満足そうに腕を組むと、にやりと笑った。
「お、なんかコツ掴んだか?」
リリーは驚いたように、自分の剣を見つめる。
「うん、何か……少し違う気がする」
「そりゃよかった!」
ブラスは大きく笑い、リリーの背中をどんと叩いた。
「俺はこういう細けえことは苦手だが、クラフトが言うなら間違いねぇ。
これからは二人で教えてやるよ!」
「……でもブラスだって、ヴェルシュトラで魔力の操作を教わったんじゃないの?」
リリーが素朴な疑問を投げかけると、ブラスは「ん?」と首を傾げた。
「あぁ? 俺、魔力が切れたことねえからな」
「……は?」
クラフトの手がピタリと止まる。
リリーは目を瞬かせ、クラフトの方を見る。
「……え、どういうこと?」
「どういうことって、やっぱりお前らもスキル使う時、魔力切れるもんなのか?」
「当たり前だろ!?」
クラフトの声が思わず上ずった。
リリーも「そうだよね?」と同意を求めるようにクラフトを見た。
「ちょっと待て、待て待て待て……お前、今まで一回も魔力切れを起こしたことがないのか?」
「ねぇなぁ」
「……長時間の戦闘の後でも?」
「ねぇなぁ」
「強力なスキルを連発した時は?」
「ねぇなぁ」
「……一体どういう仕組みになってるんだ、お前の魔力は……」
クラフトは呆然としたままブラスを凝視する。
リリーは「すごいね!」と目を輝かせるが、クラフトはその言葉すら聞こえないほどの衝撃を受けていた。
「ブラス、おまえ、スキル使う時にいつもかなり魔力練ってるだろ?」
「そうなんだよなぁ、ヴェルシュトラの仲間がひぃひぃ言ってたんだが、なんでこいつらスキル使ってるだけでへばってんのか全然分からなくてよ」
ブラスは腕を組みながら、まるで他人事のように語る。
クラフトは何かを言おうとするが、言葉が出てこない。
その間にもブラスは続けた。
「後で聞いたら、魔力ってのが切れるって話を聞いて、そんなのがあるのか? って驚いたぜ」
「……」
クラフトは顔を覆った。
リリーは無邪気に「すごいね!」と尊敬の眼差しを向ける。
「いやいやいや、すごいどころの話じゃねえ!! どういう理屈だよ……!」
「いや、俺にもわかんねぇよ。そもそも魔力がどれくらいあるのか測ったことねぇし」
「測れよ!!」
「いや、そんなもん測らなくても困らねぇし」
「普通は困るんだよ!!!」
「そうなのか?」
「そうだよ!!」
クラフトは頭を抱え、しばらく唸った。
リリーはキラキラした目でブラスを見つめている。
するとブラスが、ふと何かを思い出したように笑った。
「そういえば、ヴェルシュトラの奴らも驚いてたな。『お前、魔力の底が見えねぇぞ……』とかなんとか」
「……当たり前だ!!」
クラフトはがっくりと肩を落とした。
リリーは「ブラス、すごいね!」と目を輝かせるが、クラフトはその言葉にすらもうツッコむ気力がなかった。
ブラスはそんな二人の様子を見て、「なんだよ、お前ら大袈裟だな」と大笑いした。
ブラスはにやりと笑い、リリーの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「よし、次は実践でやるぞ!」
「ちょ、やめて! 髪が乱れる!」
「気にすんな、ちっちぇえことだ」
「ブラスは気にしなさすぎ!」
「そりゃそうだ!」
リリーがむっとした顔をしているのを見て、ブラスは楽しそうに笑った。
クラフトは、苦笑しながらも優しい視線を二人に向けた。
ブラスの言葉には、不思議とリリーを安心させる力があった。
リリーはいつしか、ブラスを「姉の友人」ではなく、もっと身近な存在として感じ始めていた。
「型にはまるなよ。お前にしかできない戦い方を見つけろ」
ブラスはそう言いながら、再び木剣を構える。
「さぁ、もう一回だ!」
リリーは深く息を吸い込み、再び木剣を握り直した。
——今日の訓練は、まだまだ終わらない。




