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ヴェルシュトラ 〜スキル経済と魔導石の時代。努力が報われる社会で俺たちは絶望を知りそれでも、歩き出した〜  作者: けんぽう。
プロローグ

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昔話に灯るもの

胸の奥が、じわりと軋む。


苦しさに飲み込まれ逃げることばかりを考えていた。

でも、独りよがりだった。

自分以外の痛みが、最初から見えていなかっただけだ。


目の前にいるリリーは?

彼女は、あの日からずっと、どんな気持ちで生きてきた?

どれだけ重い枷を、彼女が一人で背負ってきたのか、どうして今まで気づけなかった?


「逃げたかった……?」

そう思っていた自分が、情けなかった。


(俺は……なんて卑怯なんだ……)


ほんの少しずつ、閉じていた心が揺らぎ始めていた。


クラフトとリリーは、互いに疲れ切ったように沈黙していた。


何も言えなかった。

何も言葉にできなかった。


だが、このまま黙っていても何も変わらないことだけは、二人とも分かっていた。


クラフトは、拳を握りしめたまま、ぽつりと呟いた。


「……リディアがいたら、こんな時、何て言ったかな……」


かすれた声だった。

リリーはまだ涙を拭いきれず、言葉の合間にしゃくりあげる音が混ざる。

それでも、声を震わせながら、少しずつ話し続けた。


「……お姉……ちゃん……」


しゃくりあげる声が、震えながら零れる。

リリーは何かを言おうとするが、声が詰まる。

喉がひりついて、呼吸がうまく整わない。


それでも——


「……お姉ちゃ……ん……」


必死に、言葉を紡ごうとした。


「……昔……クラフトと、キールと……一緒に……」


言葉が、ひっくり返る。

呼吸を整えるように、リリーは拳を握った。


「……大きなギルド……作りたかったって……」


クラフトが、わずかに顔を上げる。


「……え?」


リリーは、震える手で目元を拭い、少しずつ息を整えた。

涙で滲んだ視界の先で、クラフトがじっとこちらを見つめている。


「子供の頃の夢……だったんだって……」


リリーの声は、まだ掠れていた。

けれど、言葉を紡ぐごとに、ほんの少しずつ落ち着きを取り戻していく。


「ヴェルシュトラみたいな……大きなギルドを作って……」


「みんなが……安心して暮らせる場所を……」


「作るんだって……」


言葉の端々が、まだ少し不安定だった。

でも、それでも——


クラフトの拳が、わずかに緩んだ。


「……そうか。そういえば、言ってたな……」


懐かしい記憶が、微かに蘇る。


「『キールは頭がいいし、クラフトは頼れるから、きっとできる!』って。」


リリーは、少しだけ微笑んだ。

まだ、泣き腫らした目のままだったけれど、そこに浮かぶ表情は、先ほどまでの泣き崩れるようなそれとは違っていた。


「……お姉ちゃんは、ずっと二人を大事にしてた。だから……」


「きっと、クラフトが生きてることを喜んでたと思うよ。」


クラフトは何も言わなかった。

ただ、拳をわずかに緩める。


——話しているうちに、何かがほどけていく感覚があった。


だが、その心地よさを、クラフト自身が拒んだ。


「……でも」


クラフトの喉の奥から、くぐもった声が漏れた。


リリーがはっと顔を上げる。


「……そんな、単純な話じゃないだろ」


拳を握りしめる。


「リディアが……俺が生きてることを喜ぶ?」


「……俺が、生きてることを?」


言葉にしてみると、どうしようもない違和感が胸を締め付けた。

リディアが、本当にそう思っていたと?

自分が生き延びたことを、リディアが本当に——


「……そんなわけ、あるかよ……」


掠れた声で呟いた。

クラフトは拳を握ったまま、俯く。


「俺は、リディアを……」


喉がひりつく。

胸の奥が痛いほど熱い。


「俺は……何も……」


「違う」


リリーの声が遮る。


「違うよ、クラフト」


「それでも、お姉ちゃんは——」


クラフトは、拳を握る手に力を込めた。

まだ、受け入れられない。

けれど——


その先を、聞かずにいることもできなかった。


リリーの言葉が、ゆっくりと続いた。

その声は、まだ震えていた。

けれど、どこか、何かを確かめるような響きがあった。


「……お姉ちゃんは、クラフトのことを、ずっと大事に思ってた」


「それだけは、間違いないよ」


静寂が落ちる。


クラフトの指が、僅かに緩んだ。


少しの間、何も言えなかった。

けれど、確かに——

何かが、揺らぎ始めていた。


最初は、ぽつぽつと、途切れがちに。

リリーはまだ泣き止んでおらず、話している途中で鼻をすする音が何度も混ざった。


クラフトも、言葉を返すのに時間がかかった。

どこか、思い出すことにためらいがあるような間が生まれる。


「お姉ちゃんって、アカデミアに行けない子供たちに読み書きを教えてたんだよ。」


「『知識は力だ!』って言いながら、すごく真剣に教えてた。」


クラフトは静かに目を細める。


「ああ……覚えてる。あいつ、暇さえあれば子供たちの面倒を見てたよな。」


「でもさ、お姉ちゃんって、料理が本当に下手だったよね。」


リリーが、ふっと呟くように言った。

クラフトは、その言葉に少し驚いたように顔を上げる。


「……そうだったか?」


リリーは、すこし拗ねたように頬を膨らませる。


「えぇ!? クラフト、忘れたの!? お姉ちゃん、張り切って料理作るくせに、毎回焦がしてたじゃん!」


「ああ……そういえば……」


クラフトは、思い出したように苦笑した。


「依頼で遠くの街に行った時、俺とキールは干し肉で済まそうとしてたんだけど……」


「リディアが『二人ともちゃんと食べなきゃダメでしょ!』って言って、張り切って料理を始めたんだよな。」


リリーが、にやりと笑う。


「でも、結果は……?」


クラフトは、少し顔をしかめた。


「……肉は焼きすぎて固いし、スープはなんか焦げ臭いし……。あいつ、味見しないで作るんだよ。」


「……あぁ、お姉ちゃん、よく料理中に別のことしてたもんね」


リリーは思い出したように小さく笑う。


「あぁ…あの時は剣の手入れして、そのまま忘れてて……」


「俺が食う時に『しまった!』って顔するんだけど、『でも大丈夫! 栄養はあるから!』って押し切られた」


リリーは、想像したのか「うわぁ……」と小さく呟いた。


「それでも、クラフトはちゃんと食べたの?」


「……ああ。」


「優しいんだね。」


リリーは、少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「お姉ちゃん、それからも遠征のたびに料理を作ってたんでしょ?」


「……そうだな。」


「そっか……」


——昔は、ただ「飯を食わせてもらっている」としか思っていなかった。


けれど、今思えば。

あれは、リディアなりの「支え方」だったのかもしれない。


「……今なら、もう少しマシな感謝の仕方ができたのにな」


ぽつりと、クラフトは呟いた。


——最初はぎこちなかった。

——けれど、一つ話すたびに、次の言葉が自然と浮かんできた。


「あとね、お姉ちゃんが初めて大きなモンスターを倒した時、興奮しすぎて戦利品を全部落としたんだよね。」


クラフトは驚いたように目を細め、ふっと笑う。


「……ああ、あれか。確か、帰る途中で袋の口が開いてることに気づいて、必死で戻ったんだよな。」


リリーは頷きながら、楽しそうに続けた。


「そうそう! しかも、それでも半分しか見つからなくて、結局赤字だったって!」


クラフトは小さく笑う。


「……あいつ、あの時はしばらく落ち込んでたけど、結局『ま、次は気をつけるか!』ってすぐに立ち直ってたよな。」


「お姉ちゃんらしいよね。」


二人は顔を見合わせて、同時に笑った。

気づけば、涙を流しながら笑っていた。

話すうちに、空白が埋まっていくのを感じた。

次の記憶が後を追うように浮かび上がり、

それはまるで、解けかけた糸が次々と紡がれていくようだった。


「それで、そういえば、クラフトとキールって、すぐに喧嘩してたよね!」


「……まあな。」


「お姉ちゃん、毎回仲裁してたよね」


クラフトが小さく笑う。


「『またやってるの?』って、ため息つきながらな」


「でも、本当は二人のこと、すごく大事にしてたんだよ」


クラフトの表情がわずかに揺れる。


いつの間にか、窓の外が白み始めていた。

夜が明けようとしている。


「……こんなに話したの、久しぶりだな」


クラフトが、ふっと息を吐いた。


リリーはそっと、首元にかかるネックレスを触れた。

それは、かつてクラフトがリディアに渡したもの。


クラフトも、そのネックレスを見つめる。

今も変わらず淡い光を放っている。


「……このネックレス、俺がリディアにプレゼントしたんだ。」


「知ってるよ。」

リリーは微笑んだ。


「お姉ちゃん、家に帰ってからも嬉しそうにずっと見てたから。」


「……そうか。」


「お姉ちゃん、こう言ってた。『クラフトがくれたものだから、大切にするんだ』って。」


クラフトは、驚いたように目を見開いた。


「……リディアが、そんなことを……?」


リリーは、静かに頷いた。


ふと、微かに湿った土の香りが漂ってくる。


クラフトは気づけば、部屋のカーテンの隙間から差し込む朝の光をぼんやりと眺めていた。

雨に濡れた街並みが、静かに輝いている。


リリーも、そっとネックレスに触れながら、静かに息を吐いた。

長い夜が終わったような気がした。


二人とも、何かを言うでもなく、しばらく沈黙していた。

けれど、それはこれまでのような重苦しい沈黙ではなかった。


長い夜が明けた。


——話しながら、気づけば、涙が乾いていた。

——思い出して、気づけば、胸の奥の苦しさがほんの少し和らいでいた。


ゆっくりと、クラフトは息を吐いた。

静かに目を閉じ、もう一度、深く息を吸った。



ふと、微かに湿った土の香りが漂ってくる。


クラフトは気づけば、部屋のカーテンの隙間から差し込む朝の光をぼんやりと眺めていた。

雨に濡れた街並みが、静かに輝いている。


リリーも、そっとネックレスに触れながら、静かに息を吐いた。

長い夜が終わったような気がした。


二人とも、何かを言うでもなく、しばらく沈黙していた。

けれど、それはこれまでのような重苦しい沈黙ではなかった。

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