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ヴェルシュトラ 〜スキル経済と魔導石の時代。努力が報われる社会で俺たちは絶望を知りそれでも、歩き出した〜  作者: けんぽう。
プロローグ

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救えなかった過去と、見失った現在

訓練場の夜は静かだった。

遠くで灯る街の光が、かすかに揺れている。

ブラスは木の柵にもたれかかりながら、煙草の葉を噛むように舌で転がした。


しばらくすると、足音が近づいてくる。

振り向けば、キールが夜風に揺れる青い髪を払いながら、静かに歩み寄ってきた。


「……頼んで悪かったな」


ブラスは、肩をすくめるように言った。


「どうだった、クラフトの様子は?」


キールは足を止め、少しの間だけ口を閉ざす。

ふと視線を落としたあと、小さく息をつく。


「……ダメでした」


短く、それだけ。

けれど、その声にはわずかに苦味が混じっていた。


「だいたい、私の役割じゃないんですよ。こういうのはリディアが……っ」


その言葉を口にした瞬間、キールは自分で気づいたのか、喉の奥で詰まらせた。

リディア—— もういない名前。

出してはいけないと分かっていたのに、あまりに自然に口をついてしまった。


顔を背けるように、一度息を整える。


「……こういうのは、私のやることじゃないんです」


今度は、静かに言い直す。


ブラスはその言葉を聞いて、一度だけ目を伏せた。

夜風がふたりの間を吹き抜け、ひんやりとした空気が漂う。


「お前も、何もできなかったんだな」


キールが顔を上げる。


「……?」


ブラスは夜空を見上げながら、低く笑うように言った。


「クラフトと同じだよ」


「お前も、リディアのために何かしようとして、何もできなかったんだろ?」


キールは何も言わない。

夜風が、彼のコートをわずかに揺らした。


ほんの一瞬、彼は目を伏せる。

だが、それでも表情は変えないまま、静かに答えた。


「私は……合理的な判断をしたまでです」


けれど、その声はどこか硬く、違和感を残していた。


ブラスはそれを聞くと、少し苦笑した。


「……そりゃ、良かったな」


それだけ言うと、再び柵に寄りかかり、空を仰ぐ。


ふたりの間に、言葉のない沈黙が落ちた。


それは、言葉にしてしまえば、簡単に崩れそうな、脆くて苦い沈黙だった。


沈みゆく日々


ギルドには、もう何日も顔を出していなかった。

仲間たちの顔も見ていない。

訓練場へも足を運んでいない。


ただ、酒場に入り浸るだけの日々が続いていた。


朝になれば重い頭を抱え、夕方にはまた酒場へ足を運ぶ。

何をするでもなく、ただカウンターの隅に座り、酒をあおる。


このまま沈んでいければいいとすら思う。

気がつけば、そんな考えすらも朧げになり、ただ惰性でグラスを傾けるだけの時間が続いていた。


——そして、今夜も。


酒場の空気は、いつものように喧騒に満ちていた。

陽気に笑う冒険者たち、酔いに任せてくだを巻く男たち。

だが、その片隅に沈む影は、まるでそこだけ時間が止まっているかのようだった。


カウンターの隅。

クラフトは無言でグラスを傾ける。

何杯目の酒かは、もう分からない。


仲間とともに剣を振るい、戦い、訓練し、未来を考えていた。

しかし、今の彼には「何もなかった」。


リディアはいない。

リリーはブラスのもとで訓練を受けている。

キールにも見限られた。


——俺は、何をしている?


その問いすら、もはやどうでもよくなっていた。


「おい、兄ちゃん」


カウンターの隅で酒をあおるクラフトに、背後から荒々しい声が飛んだ。


「随分飲んでるみてぇだな」


クラフトは無視した。

だが、男は構わず肩を掴み、無理やり振り向かせる。


「聞こえてんのか?」


クラフトは抵抗しない。ただ虚ろな目で男を見上げるだけだ。


「……殴りたいなら、勝手に殴ってくれよ」


「あ?」


「さっさと殴れよ!!!」


男が一瞬戸惑ったように眉をひそめると、背後から重い足音が響いた。


「……やめとけ」


低く響く、聞き覚えのある声。

ブラスだった。


ブラスの静かな威圧感に押されるように、男は舌打ちをしてクラフトから離れた。


「……チッ、つまんねぇな」


男たちが去ると、ブラスは静かにクラフトを見下ろした。


ブラスは、溜め息混じりに言う。


「……お前、いい加減にしろよ」


その言葉は、呆れにも、怒りにも聞こえた。

それでいて、どこか 友の落ちぶれた姿を見たくない という感情が滲んでいた。


酒場の空気は、相変わらずざわついていた。

だが、クラフトの周囲だけは、まるで時が止まったように静かだった。


壁に寄りかかりながら、ブラスはじっとクラフトを見下ろす。

クラフトは、何も言わずに俯いたままだった。


——「俺は、ここにいちゃいけない」


胸の奥で、またその言葉が反響する。

ブラスの声が、それをかき消すように低く響いた。


「お前、何やってんだよ……」


その言葉は、呆れにも、怒りにも聞こえた。

それでいて、どこか 友の落ちぶれた姿を見たくない という感情が滲んでいた。



酒場の空気は、相変わらずざわついていた。

だが、クラフトの周囲だけは、まるで時が止まったように静かだった。


壁に寄りかかりながら、ブラスはじっとクラフトを見下ろす。

クラフトは、何も言わずに俯いたままだった。


「……俺は……」


ようやく絞り出した声は、かすれていた。


すると、ブラスは短く鼻を鳴らし、懐かしむような口調で言った。


「俺もな……ヴェルシュトラにいた頃、何もできなかったんだ」


クラフトが顔を上げる。

意外だったのか、わずかに目を見開いた。


「俺は強かった。でも、アイツらのやり方に従うしかなかった」


ブラスはゆっくりと視線を落とし、カウンターの奥にぼんやりとした目を向ける。

そこに何があるわけでもない。ただ、思い出の影を追うように。


「お前、自分なんていなければ……そう思ってるんじゃないか?」


その言葉に、クラフトの心臓が跳ねた。

まるで、心の奥底に隠していた傷を暴かれたような感覚だった。


「……」


クラフトは何も言えず、ただ息を呑む。


「昔、俺も親友を死なせちまった」


ブラスの言葉には、どこか遠くを見るような、静かな痛みが滲んでいた。


「お前は今、その感覚を味わってるんじゃねぇか?」


クラフトは、拳を握る。

言葉にするには、重すぎる感情が渦巻いていた。

リディアを失ったあの日から、ずっと。


「……リリーの訓練を見たんだろ?」


ふと、ブラスが核心を突くように尋ねた。


「……ああ」


クラフトは低く答えた。


「….リリーが本当に求めてたのは……違ったんだよな?」


胸の奥が、鋭く痛んだ。

思い出すのは、訓練場でのリリーの表情。

苦しそうに、必死に食らいつこうとする姿。

あのとき、自分は何を見ていた?


「……」


言葉は出なかった。

クラフトはただ、拳を握りしめるだけだった。



雨音が、シトシトと部屋に響いていた。


暗い部屋の中、カーテンは閉め切られ、わずかな隙間から漏れる薄い光だけが、机の上の酒瓶を鈍く照らしていた。


クラフトは、ただぼんやりと床を見つめる。

何も考えたくなかった。

けれど、頭の中には、消せない言葉がこびりついていた。


「お前がいない方が、みんな幸せだ」


何度かき消そうとしても、呪いのようにリフレインする。

あの時、訓練場でリリーが見せた表情。

自分がいなくなった後、リリーはブラスのもとで強くなっている。


それは本来なら喜ぶべきことだった。

だが、それを喜べない自分がいた。


「俺は……」


思わず声に出してみる。

だが、言葉はそこで止まり、それ以上何も出てこなかった。


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