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ヴェルシュトラ 〜スキル経済と魔導石の時代。努力が報われる社会で俺たちは絶望を知りそれでも、歩き出した〜  作者: けんぽう。
プロローグ

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強さの代償と、守りたかったもの

それから、数日が過ぎた。


訓練場には、クラフトのリリーへの指示の声が響いていた。

しかし、その様子を遠巻きに見ていたブラスは、次第に違和感を覚え始めていた。


リリーの動きは、日に日に鈍くなっていった。

息を切らすことが増え、剣を握る手に力が入っていないのが遠目にも分かる。


だが、リリーは何も言わない。

文句を言うわけでも、弱音を吐くわけでもなく、ただクラフトの言葉に従って剣を振り続けていた。


最初は、ただの疲労だと思った。

しかし、それにしてはリリーの表情が 違う 。


何かが、抜け落ちていくような顔をしていた。

まるで、自分が何のために戦っているのかを見失っているかのように——。


ブラスは、その様子を眺めながら腕を組む。

——これでいいのか?


クラフトのやり方が間違っているとは言い切れなかった。

リリーが強くなることは悪いことではない。

実際、彼女は少しずつ技術を身につけ、動きも研ぎ澄まされてきている。


だが、それと同時に 何か大切なものが削られている気がした 。


止めるべきなのか?

いや、それともこれは リリーにとって必要な訓練 なのか?


ブラスは決断を下せずにいた。


石畳の上に、リリーが小さく息を吐く音が響く。

その手には、まだ使い慣れない剣が握られていた。


「……準備はいいか?」


クラフトの声は淡々としていた。

けれど、どこか冷たさを含んでいるようにも感じられる。


「……うん」


リリーはわずかに間を置きながら、気丈に答えた。


クラフトは無言で剣を構え、静かに間合いを詰める。


「攻撃してこい」


リリーは一瞬だけ逡巡するが、すぐに駆け出し、剣を振り下ろした。


けれど、その動きはまだぎこちない。

クラフトは軽く身をひねるだけで、彼女の攻撃を避けた。


「遅い」


乾いた声が響く。


「リディアはもっと速かった」


「……!」


リリーの表情が一瞬揺らぐ。

けれど、彼女は何も言わず、歯を食いしばって再び構え直す。


「もう一度だ」


「……はいっ!」


リリーは自分を奮い立たせるように答える。

その声には、焦りと必死さが滲んでいた。


しかし、クラフトの視線は冷徹だった。


「リディアなら、そんなの簡単に避ける」


「………」


リリーの手が、剣の柄を握る力を少しだけ強める。

それでも、彼女は何も言わず、ただ前を向いた。


クラフトは、ただ次の指示を出した。

クラフトの声が響くたびに、リリーの中に何かが鎖のように絡みついていく。

それでも、リリーは足を止めなかった。


再び剣を振りかざし、踏み込むリリー。

けれど、その動きにはもはや力がなく、バランスを崩して転倒する。


「……くっ」


「立て」


リリーは息を荒げたまま、倒れ込んだまま動かない。


「……少し休ませて……」


か細い声が漏れる。


しかし、クラフトの表情は微動だにしなかった。


「モンスターの前でも休むのか?」


「……!」


リリーの肩がびくりと震えた。


訓練場に張り詰めた沈黙が落ちる。

クラフトは次の指示を出すだけだったが、リリーの呼吸が乱れていた。

彼には聞こえなかった。彼女の手が小さく震えていることにも、気づいていなかった。


「もう一度やる。立て。」


「……」


リリーはうつむいたまま、ゆっくりと立ち上がる。


涙をこらえているのが、誰の目にも明らかだった。

けれど、クラフトはそれを 見ようとしなかった。


攻撃が雑になっていく。

明らかに力が入らなくなっている。


「……お前、それで戦うつもりか?」


リリーは何も言えない。


「お前、本当に戦いたいのか?」


「……うん」


小さな声。

言葉は震えていた。


「それでリディアの代わりになれると思ってるのか?」


「……っ!」


リリーの動きが止まる。

まるで何かに打ちのめされたように、その場に硬直した。


指の力が抜け、剣が鈍い音を立てて地面に落ちる。


呼吸が乱れ、喉が震えた。

けれど、それでも声は出ない。


目を見開いたまま、ただそこに立ち尽くす。


クラフトの言葉が、リリーの中でこだまする。

「リディアの代わりになれると思ってるのか?」


リリーは崩れ落ちるように膝をついた。


違う、そうじゃない。

でも、そうなのかもしれない。


自分は、何のために戦っているのか?

お姉ちゃんのため?

クラフトのため?

それとも——


考えたくなかった。


胸の奥が締めつけられ、呼吸がうまくできない。


足に力が入らない。


肩が震えている。

拳がわずかに握られ、震えながらも何かを必死に押し込めようとしていた。


だが、もう抑えきれない。


「……私……私は……」


クラフトは無言のまま彼女を見つめていた。


「何をすればよかったの……?」


嗚咽が漏れる。


「お姉ちゃんが……私を助けるために……死んだのに……!」


「私が……もっと強かったら……!」


「何をすれば……お姉ちゃんの代わりになれるの……!?」


クラフトは、何も言えなかった。


ドンッ——!


乾いた音が響いた。

ブラスの拳が、訓練場の壁に叩きつけられていた。


「……テメェ、ふざけんなよ、クラフト。」


「お前……今、何つった?」


クラフトが顔を上げると、ブラスが 本気で怒った顔 をしていた。


「リディアの代わり? ふざけるな……!」


ズカズカとクラフトに詰め寄る。


「お前がリリーを鍛える理由は、それか?」


「違う……!」


クラフトが反論するが、その声には自信がなかった。


「違うなら、今すぐリリーに謝れ!!」


ブラスはクラフトの襟を掴み、力強く引き寄せた。


「いい加減にしろよ……! そんなこと、リディアが望んでると本気で思うのか?」


「俺は……」


「リディアが聞いたら、泣いてるぞ。」


クラフトの喉がひりつく。


「それで……どうしろって言うんだよ」


クラフトの声は低く、張り詰めていた。


「強くなれなかったから、リディアは死んだんだ」


「リリーが強くならなかったら、また同じことが起こる……!」


「俺は、もう誰も失いたくないんだよ……!!」


声が荒くなる。

今まで抑え込んでいた感情が、ついに溢れ出る。


リリーを鍛えなければならない。

そうしなければ、また誰かが死ぬ。

また、自分は何もできずに見ているだけになる。


「それが、お前の言う強さかよ……」


ブラスの声が、低く響く。


「お前がやってることは、そいつをリディアの代用品にしてるだけだ。」


一瞬、思考が停止する。


クラフトは本能的に否定しなければならなかった。

「違う」と言わなければならなかった。


でも——言えなかった。


言葉が喉に張り付き、声が出ない。

否定しようとすればするほど、胸の奥に突き刺さる感覚が強くなる。


「リリーは、リディアじゃねえ。」


「そんなこと……わかってる!!」


クラフトは叫ぶように言った。


だが、拳が震えていた。


「でも、どうすればいい!? 俺にはこれしか……」


「だからって、お前のやり方は間違ってる」


「少し冷静になれ、クラフト。」


「じゃねえと、次はリリーを失うぞ。」


ブラスの言葉が、鋭く胸に突き刺さる。

しかし、それを素直に認めることができなかった。


「……だったら、お前がやるのか?」


静かに呟く。


「リリーを、俺の代わりに鍛えるのか?」


ブラスは、わずかに目を細める。


「……ああ。」


その返事に、クラフトは微かに息を詰まらせる。


「俺がやる。お前じゃ、無理だからな。」


「……っ」


クラフトの拳が、無意識のうちに握り締められる。


「俺が……リディアの代わりになれる奴を作らなきゃ、また誰かが死ぬんだよ!」


その瞬間、自分の口から飛び出した言葉にクラフトは凍りついた。

慌てて手で口元を押さえるが、もう遅い。


違う。

こんなことを言いたかったわけじゃない。

リリーをリディアの代わりになんて、そんなこと——。


けれど、自分がいま吐き出した言葉が、何よりも正直な感情だったことを嫌でも理解させられてしまう。


指先が冷たく震え、胃の底が捩れるような不快感が全身を襲う。


——俺はリリーを、リディアの代わりにしようとしていたのか?


自分自身の醜さを目の当たりにし、クラフトはとっさに視線を逸らした。


ブラスの目が鋭く光った。


「俺たちはリディアを救えなかった」


「だからって、リリーまで壊すつもりか?」


その言葉が、決定打になった。


何かが崩れた。


クラフトは歯を食いしばる。


何も言い返せない。

何を言っても、自分の言葉が正しく聞こえない。


自分は、間違っていたのか?


「……勝手にしろ」


そう吐き捨てるように言い、訓練場を後にした。


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