スキル経済の正しさ
ロフタの町を抜けたリディアは、ひときわ洗練された雰囲気のスキル店の前で足を止めた。
金細工の看板が夜の風に揺れ、扉の横には「希少スキル専門店」の文字が刻まれている。
ここなら——間違いなく神経再生のスキルが手に入る。
彼女は意を決して、扉を押し開けた。
店内はまるで宝飾店のような整然とした空間だった。ガラスケースの中にはスキルが刻まれた羊皮紙が丁寧に収められ、一枚ずつ魔力の封印が施されている。
カウンターの奥には、白い手袋をはめた細身の男性店員が控えていた。
彼はリディアを一瞥すると、営業スマイルを浮かべる。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなスキルをお探しでしょうか?」
リディアはためらわずに口を開く。
「神経再生のスキルを」
店員の動きが一瞬止まる。
「……神経再生でございますか?」
口調こそ変わらないが、リディアの身なりをさりげなく値踏みするような視線が一瞬、走った。
それも当然だろう。
この店は高級店。神経再生のスキルは、治癒系スキルの中でも特に高度で、価格も群を抜いている。
店員は流れるような動作で帳簿をめくりながら、やんわりと尋ねた。
「失礼ですが……ご予算は?」
リディアは懐から金貨の詰まった袋を取り出し、カウンターの上に置いた。
金貨が擦れ合い、澄んだ音を響かせる。
店員の表情が、わずかに変わった。
「……承知いたしました」
彼はすぐに棚の奥へと向かい、慎重に羊皮紙を選び出す。
「こちらが、即効性のある神経再生のスキルになります。負傷した神経組織を活性化させ、短期間で回復を促すものです」
リディアは羊皮紙を手に取った。
これが——リリーの未来を変える力。
「……ありがとうございます」
店員は一礼しながら、白い手袋越しに帳簿へとサインを記し、代金を数え始める。
しかし、彼は金貨の重さを確かめたあと、ふとリディアを見つめた。
「お客様——差し出がましいようですが」
リディアは顔を上げる。
「……はい?」
店員は一瞬、言葉を選ぶように目を伏せ、それから穏やかに言った。
「本当に、よろしいのですか?」
リディアはその言葉の意味を瞬時に悟り、すぐに微笑を作った。
「ええ。問題ないわ」
店員はしばらくリディアの瞳を見つめたが、やがて微かに頷き、静かに礼をする。
「……承知いたしました。それでは、またのご来店を」
リディアは羊皮紙をしっかりと抱え、店を後にした。
扉を開けた瞬間、冷たい夜風が頬を撫でる。
リディアはゆっくりと息を吐いた。
(——大丈夫。これで、リリーは歩ける)
そう、強く自分に言い聞かせながら、夜の街道へと歩き出した。
早朝、冷たい空気をまといながら家を出たはずなのに、帰ってきた頃にはすでに日は傾きかけていた。長い一日だった。けれど、リディアの手の中には確かにある。リリーの未来を拓くための、奇跡のスキルが——。
扉を開けると、部屋の奥からリリーの声がした。
「おねえちゃん?」
ベッドの上で枕を抱きながら、リリーは不思議そうにこちらを見つめている。その視線には、微かな不安と期待が混じっていた。
リディアはゆっくりと笑みを作った。
「ただいま。……実はリリーにプレゼントがあるの」
リリーの瞳がぱっと輝く。
「えっ、なになに?」
リディアはそっと彼女の前に膝をつき、その小さな手を取った。
「リリー、私の手を握っていてね」
「?」
リリーがきょとんとしながらも指を絡める。リディアは、深く息を吸い込むと、そっとスキルを発動した。
——《神経再生》
温かな魔力が指先から流れ込んでいく。リディアの手を通じて、淡い光がリリーの足元を包み込んだ。
「……あったかい……?」
リリーがぽつりと呟いた。その言葉が終わるより早く、彼女の表情が変わった。
「……っ!」
リリーの肩が震え、指先がぴくりと動いた。
リディアは優しく微笑み、手を離した。
「立ってみて」
リリーは一瞬、呆然としたままリディアの顔を見た。そして、恐る恐る足を動かす。
——動いた。
リリーの瞳が大きく見開かれる。
「……えっ……?」
彼女は震える手をベッドの端に置き、ゆっくりと上体を起こす。そして、息を飲みながら、両足に体重を乗せ——。
——すっと、立ち上がった。
「——立てた……!」
リリーの声が震えていた。喜びと驚きが入り混じった、その声に。
それはまるで、生まれて初めて世界を見上げたかのような、そんな瞬間だった。
彼女はおそるおそる足を前に踏み出す。バランスを取るのが難しいのか、よろけそうになりながらも、一歩、また一歩と。
——歩いた。
「歩けた……! すごい! すごいよ、お姉ちゃん!!」
次の瞬間、リリーは嬉しさのあまり飛び跳ねた。
——そして、バランスを崩す。
「わっ!」
慌てて手を伸ばすリディア。
間一髪のところで、リディアはリリーを支えた。
「……ははっ、難しいね」
リリーは照れくさそうに笑いながら、リディアにしがみつく。
「でも……歩くのって、難しいけど、楽しい!」
その無邪気な笑顔に、リディアの胸が締めつけられる。
(——この笑顔を、絶対に守らなきゃ)
リディアは強く思った。
しかし、リリーはふと不思議そうに首をかしげる。
「ねえ、お姉ちゃん。……でも、こんな高価なスキル、どうしたの?」
リディアの心臓が、一瞬だけ跳ねた。
(……リリーには言えない)
喉の奥がひりつくのを感じながら、リディアは平静を装い、ゆっくりと口を開いた。
「実はね……私たちの親族に、昔貴族だった人がいたの」
「え?」
リリーは驚いたように目を瞬かせる。
「そんな話、聞いたことなかった……」
「私も最近知ったの」
リディアは嘘を重ねる。
「アカデミアの入学手続きを進めているときにね、ある親類の方と話す機会があって……リリーのことを相談したの。そしたら、援助してもらえることになって」
リリーの表情がぱっと明るくなる。
「本当に!? じゃあ、お礼しなきゃ!」
リディアは微笑みを作りながら、曖昧に頷いた。
「……そうね」
胸の奥が重く沈む。
リリーは嬉しそうに足を動かしながら、くるりとその場で回る。
「すごいね……歩くのって、本当に楽しい! これで、おねえちゃんと一緒に冒険できるね!」
その言葉に、リディアの喉が強く詰まる。
「……」
どう返せばいいのか分からない。
嬉しそうに未来を語るリリーの姿を前にして、リディアはほんのわずかに視線を伏せた。
(——これでよかった)
そう思い込もうとしながら、彼女は静かに、けれど確かに拳を握りしめた。
お読みいただき、ありがとうございました。
小さな物語ですが、どこかに残るものがあれば嬉しいです。
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