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ヴェルシュトラ 〜スキル経済と魔導石の時代。努力が報われる社会で俺たちは絶望を知りそれでも、歩き出した〜  作者: けんぽう。
プロローグ

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計算を超えた先に、祈りが残った



老紳士の屋敷を後にし、リディアはただ歩き続けていた。

冷たい夜風がコートの裾を揺らし、肌を刺すような寒さを感じる。

それでも、心の中の焦燥感のほうが、ずっと痛かった。


どこへ行けばいいのか。

どうすれば、この絶望を打ち破れるのか。


何度考えても、答えは出ない。

どこかにまだ何か方法があるはずだと信じて歩いても、出口の見えない迷路をさまよっているようだった。


無意識のうちに歩き続けていた。ふと気づくと、目の前には懐かしい建物があった。

孤児院——キールが育った場所。


木造の古びた建物から、ほのかに暖かな明かりが漏れていた。

門の奥では、年季の入った扉が静かに開く。


リディアは思わず足を止め、そっと門の影から様子を窺った。


「これを」


短く告げると、キールは院長へと小さな布袋を差し出した。

袋の中には、ずっしりとした重量があり、硬貨の擦れるかすかな音がする。


「……いつもすまないね、キール」


院長は袋を受け取り、申し訳なさそうに微笑んだ。

彼の顔には深い皺が刻まれていたが、その瞳は今も変わらず、孤児たちを見守る温かさに満ちていた。


だが、キールはただ淡々と頷くだけだった。

そう言って、彼は院長の礼も最後まで聞かず、くるりと踵を返した。


——その場に長く留まるつもりはない。

それが彼の意思表示だった。


そして、扉から数歩歩き出したところで、キールはふと、目の前の影に気づいた。


「……キール?」


リディアが、門の陰から顔を出していた。


キールは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにいつもの冷静な表情に戻ると、肩をすくめる。


「こんな時間に珍しいですね、リディア」


「あなたらしくないことをしているわね。でも、なんでかしらね、妙にあなたっぽいのよ。」


彼女は少しだけ笑ってみせる。


キールはわずかに目を細め、ため息混じりに肩をすくめる。


「自分でもこんなにも愚かなことをしているのが、わからないんですよ」

キールは肩をすくめる


「院長さん、元気?」


「ええ、いつも通りです。孤児院の経営は火の車なのに、気づけば ‘また’ 増えているんですよね、子供が。」


皮肉っぽい言い方だったが、その奥にある感情をリディアは感じ取っていた。

孤児院はキールの育った場所。

どれだけ彼が合理的なふりをしていても、ここに対する思いは、消えないのだろう。


「……クラフトやブラスには、言わないでおいてくれますか?」


リディアは、その言葉に小さく笑う。


「わかってるわ」


「なら、いいんですが」


キールは小さく息を吐くと、夜道を歩き出す。

リディアもその横に並んだ。


夜の街は静かで、二人の足音だけが響く。


「……ねぇ、キール」


「なんです?」


リディアは、ふと夜空を仰ぎ見た。

遠回しに聞く——彼にお金の相談などすれば、きっと気づかれてしまう。

リディアは、自分が追い詰められていることを、誰にも知られたくなかった。


「例えば、もしあなたが孤児院を支える立場だったとして……どうしても大金が必要になったら、どうする?」」


キールは足を止めた。


「……ずいぶんと唐突ですね」


「ただの仮定の話よ」


リディアはすぐにそう付け加えた。

キールはじっと彼女を見つめるが、その意図を深く探ろうとはしなかった。


「そうですね……」


彼は少し考え込み、静かに答える。


「そもそも、そんな状況にならないように計画を立てますね」


「……それができない状況だったら?」


「そんな状況に、自分を追い込まないことが賢明でしょう」


リディアは思わず苦笑した。


「相変わらずね、あなたは」


「当然の判断です」


キールはわずかに目を細めた。


「けれど……現実は、理屈通りにはいかないものよ」


リディアはぼそりと呟いた。


キールは、その言葉の奥に何かを感じ取ったが、あえて突っ込むことはしなかった。


「計画を立てた上で、どうにもならなければ、次の手を考えるだけです」


「……例えば?」


リディアは、自分でも驚くほど自然な口調で尋ねた。


キールはしばらく歩いた後、ふと立ち止まり、思い出したように口を開いた。


「そういえば、ロフタの町の魔契約の噂を聞きましたよ」


リディアの足が一瞬止まりそうになる。


「……ロフタの町?」


「ええ。聞いたことがあるでしょう?」


「……少しだけ」


リディアはあえて詳しく聞こうとはしなかった。

だが、キールはまるで他愛ない世間話でもするかのように、肩をすくめて続ける。


「ロフタの町には、法外な金利で大金を貸す連中がいるんです。それはもう立派な慈善事業ですよ」


口元にうっすらと笑みを浮かべながら、彼は皮肉たっぷりに言う。


「契約者はスキルを担保にしてお金を借りる。そして、ほとんどの者が破産する。素晴らしいですね。まるで夢のような話じゃありませんか?」


リディアは黙って聞いていたが、キールは楽しげに話を続けた。


「まぁ、そんな契約をする奴の気がしれませんがね。よっぽどの愚か者でしょう」


軽く肩をすくめる彼の口調は、まるであり得ない冗談でも言っているかのようだった。


リディアの心臓の鼓動が速くなる。そしてその言葉を黙って聞いていた。


愚か者——

それでも、これしかない。


どこを探しても、何を考えても、もう方法はなかった。

リリーの未来を守るためには、選択肢など存在しない。


リディアは、静かに夜空を見上げた。

街灯の光がぼんやりと滲み、空に溶けていく。


「……キール」


隣を歩くキールが、軽く視線を向ける。


「なんです?」


「今日はありがとう。そろそろ帰るわ」


「そうですね、僕も戻ります」


リディアは彼の背中を見送った後、ふっと息をついて家へと向かった。


小さな家の扉を開けると、室内はしんと静まり返っていた。

リリーはすでに寝ているのだろう。


ロフタの町——。


その名前が、静かに、けれど確かに彼女の心を支配していく。


——明日、行こう。


リディアは寝室へと向かい、そっと目を閉じた。


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