閉ざされた扉と、譲れぬ願い
リディアは、祖父の兄弟が住む屋敷の前に立っていた。
かつての貴族の邸宅だったその家は、遠目には今も立派に見えた。
だが、門の鉄柵は錆びつき、かつて整えられていたはずの庭は雑草が伸び放題だった。
重厚な扉の前に立ち、リディアは拳を握る。
ノックをしても、すぐには応答がなかった。
しばらくして、中からゆっくりと扉が開く。
そこに立っていたのは、疲れた顔をした年老いた男性だった。
かつて武具の輸出事業を起こした元貴族の家主——リディアの祖父の兄弟である。
老紳士はじっと彼女を見つめていたが——
次の瞬間、驚きに目を見開いた。
「……君は……もしかして、リディアちゃんか?」
声が、僅かに震えていた。
リディアは慌てて頭を下げる。
「はい……母の娘の、リディアです」
老紳士はリディアの顔をしばし見つめ、やがて目を細めると、どこか懐かしそうに微笑んだ。
「大きくなったねぇ……」
彼はしみじみとした口調で言い、少しだけ遠い目をする。
「お母さんに似ている。君は覚えていないだろうが……私は昔、君のお母さんの工房で何度かお世話になったことがあるんだよ」
リディアの胸が、小さくざわめいた。
母の話をする人に出会うのは、久しぶりだった。
「そうだったんですか……」
「ああ、あの頃はよく、彼女に助けられたよ。」
老人の瞳に、懐かしさと、どこか寂しげな光が宿る。
「……こんな寒い夜に、外で話すのもなんだすぐにお茶を淹れよう。さあ、中に入りなさい」
彼は柔らかく微笑み、扉を大きく開きゆっくりと歩きながら、奥の部屋へとリディアを案内する。
「手入れが行き届いてなくてすまないね」
そう言うと老紳士がソファを指し示す。
リディアはそっと腰を下ろした。
ソファが、長年の空白を埋めるように軋みの音を立てる。
「それで一体どうしたんだい?」
「妹の学費について、ご相談があります」
老紳士の表情がわずかに曇る。
「リリーといいます。私たちの家系がかつて貴族籍にあったため、アカデミアの学費が通常の三倍になってしまい……どうか、少しでも援助をいただけませんか?」
老紳士は微かに息をつく。
「……すまないが、それはできない」
リディアの血が凍りつく。
「……どうして?」
「君も知っているだろう。我々、元貴族には莫大な負担が課せられている」
リディアは、何も言えなかった。
「アカデミアの学費、多額の納税額……生活を維持するので精一杯だ」
「でも……!」
老紳士は静かにリディアを見つめる。
「私も、君の母親には恩がある。
私が事業に失敗し、資金繰りに困っていたとき、支払いは余裕が出てからでいいと言って彼女は武器を大量に卸してくれた。
それがなければ、私は今ここにいなかっただろう。」
彼は、そっと視線を逸らす。
「だからこそ、本当は君を助けたいんだ。」
彼は、静かに拳を握る。
「だが、今の私は、自分の家族を支えるのがやっとだ。
スキルも全て売り払い、長男をアカデミアに通わせるのが限界だった
その結果、次男の病気の治療費も払えず逝ってしまった」
リディアの胸が、痛みに締め付けられる。
「それでも……! 何か、できることは……!」
「リディアさん」
「……君の母親は、最後まで無理をし続けた。
家族を守るために働きすぎて、ついには倒れてしまったんだろう?」
リディアは息を呑む。
「きっと、君の母親が願ったのは……」
少し言葉を探すように、静かに息をつく。
「大切な人と、ただ一緒にいる時間を守ることだったんじゃないのか?」
リディアの指先が微かに震える。
「君まで、同じ道を辿る必要があるのか?
何かを犠牲にしなければ、大切な人を守れないのか?
——ただ、そばにいてやるだけじゃ、ダメなのか?」
「……!」
リディアの瞳が揺れる。
「本当に、無理にアカデミアに通わせる必要があるのか?」
瞬間、リディアの頭の中が真っ白になった。
——リリーに、教育はいらないと?
彼女がどれだけ努力してきたかも知らずに?
「……それは、違います」
リディアは、拳を握りしめた。
「リリーには、未来が必要なんです。
私が母から託された……リリーの未来を、諦めるわけにはいかない」
「……そうか」
男は、目を伏せた。
「本当に力になれず、申し訳ない」
そう言って、男はそっと扉を閉じる。
リディアは、それ以上何も言えなかった。
冷たい風が吹き抜ける。
身体の芯まで凍るような、夜の風だった。
彼女はゆっくりと門を離れ、足を引きずるように街の石畳を歩き出す。
頭が、空っぽだった。
何も考えたくなかった。
——このままでは、ダメだ。
——リリーを守るには、何かを犠牲にするしかない。
「……どうすればいいの……?」
夜の街灯が、頼りなく揺れていた。
お読みいただき、ありがとうございました。
小さな物語ですが、どこかに残るものがあれば嬉しいです。
※もし続きを読みたいと思っていただけたら、評価やブクマでお知らせください。




