偽りと、真実の刃
ラットロードは逃走しながらも、細い瞳を鋭く光らせ、狡猾な思考を巡らせていた。
最も警戒するのは、一瞬で間合いを詰められ、人間どもの数に圧倒されることだ。特に、群れの中でも、あの大男——殺意を隠そうともしない獣のような気配をまとった存在——は特に厄介だ。距離を詰められれば、確実に捕えられる。だが、恐怖はない。あの人間たちは以前、愚かにも群れの小さきものを深追いし、自ら包囲網に足を踏み入れた。やつらはその失敗を覚えているはず。そうなれば、追撃は慎重になり、動きは鈍る。
そこにこそ、逃げる時間を稼ぐ隙が生まれる。狩るつもりで狩られるなよ、人間ども……。
クラフトたちは警戒しながら進む。
しかし——
ラットロードは、川を背に不敵な笑みを浮かべていた。
「……嫌な予感がするな」
ブラスが低く呟いた、その瞬間——
「ギィィィィッ!!」
ラットロードの巨大な尻尾が、川の縁を叩きつけた。
ゴゴゴゴゴッ!!
「なっ……!?」
川の水が、クラフト達に向かって流れを変える。
水流が一気にせり上がり、クラフトたちの膝下まで水が押し寄せた。
足元の石が流され、地面が不安定になる。
「チッ、足場を潰しやがったか!」
ブラスが舌打ちする。
だが、ラットロードは攻撃を止めない。
間髪入れず、巨大な尻尾を再び振りかぶる——
「俺の後ろに来い!!」
ブラスが咄嗟に叫び、盾を構える。
次の瞬間——
「ギィィィィッ!!」
ラットロードの尻尾が、川底の小石を弾き飛ばす。
ラットロードの思考は澱みく張り巡らされていった。
やはりな……。あの大男が仲間の盾となった。
愚かなことだ。獲物の本能か、群れを守るためか。理由はどうでもいい。
まずは足を止める。
あの肉の塊を封じ込めれば、残りの小さな獲物などどうでもいい。
川の水を操り、足場を奪い、不安定にする。近づかせなければ、奴の力は生かせない。
そして、石礫を撃ち込む。
鎧の隙間、皮膚の柔らかい部分を狙い、遠距離からじわじわ削り取る。
やつが膝をついた瞬間、終わりだ。
立ち上がれなくなれば、後は順番に仕留めていくだけ。
そうして、この縄張りを再び静寂に戻すのだ。
石の破片が弾丸のような速度で飛び交う。
クラフトたちを正面から撃ち抜くかのように、無数の石が襲いかかる。
「くそっ……!!」
弾丸のような石が衝撃波を生み出し、クラフトたちの動きを阻害する。
キールは素早く状況を整理しながら、視線を走らせた。
(……まずいな。川の水量が増してきている。このまま足場が不安定になれば、いずれ戦闘どころじゃなくなるぞ)
さらに周囲を見渡す。
(この距離ではリディアと俺のスキルは十分な火力を発揮できない。接近戦に持ち込むしかないが……)
ブラスは盾を構え、石弾の嵐を受け止める。
だが、すべての攻撃を捌くには限界がある。右肩をかすめた鋭い衝撃に、痛みが走る。
(——考えてる暇はない。来る!)
クラフトが、石の間を縫うように突撃した。
目にも止まらぬ速さで駆け抜け、剣で飛んでくる石を弾きながら前へと進む。
「おい!クラフト!待て!」
「…..またかよ……お前のそういうとこがヤバいんだ….」
ブラスは悔しそうに低く呟くしかし目の前の石弾を防ぐことで精一杯で、手が出せない。
キールが影槍を構え、リディアが閃光炎で援護のタイミングを測る。
「クラフト…!?」
キールとリディアも、一瞬息を呑んだ。
普通の冒険者なら、反応することすら不可能な攻撃。
だが、クラフトはそれを捌きながら、寸分の狂いなく前進を続ける。
ラットロードの目が鋭く光った。
標的がこの嵐の中でも進んでくることに、ようやく気づいたのだ。
(——もう一歩だ……!)
クラフトは剣を握る手に力を込める。
「やっぱり無理か……」
ブラスは奥歯を噛み締め、小さく呟いた。
距離を詰めるごとに、回避の猶予は瞬く間に削られていく。
石弾をかわしながら、一歩ずつ前に進む。だが、断続的な攻撃を捌くには限界がある。クラフトの息が上がっていく。
クラフトの突進は次第に鈍り、ついには足が止まる。圧倒的な攻勢に晒され、防戦を強いられた。
「前進しましょう!」
リディアが決意を込めて言った。
「無理だ!二人を守りながら前進する余裕はない!」
ブラスが2人に向かって言い返す。
「自分の身は自分で守る。とにかく、キールと私のスキルが確実に届く距離まで行けばいい!」
リディアの声には揺るぎがなかった。
しかし、その表情に焦りはない。
依然、石弾の嵐を受け続けながらも、クラフトの目は鋭く、冷静な光を宿していた。
(この距離だ……この距離でいい……!)
こちらの攻撃は届かない。しかし、奴は一歩踏み出せば攻撃できる。
(その一歩を——狙う!)
「——ぐっ……!!」
クラフトの動きが唐突に止まる。
その瞬間、空気が張り詰めた。
片膝が崩れる。肩を押さえ、息を乱す。
苦しげに顔を歪め、まるで限界が訪れたかのように。
「クラフト、まさか怪我がまだ——!」
リディアの叫びが響くが、彼は答えない。
いつも余裕を見せるブラスが、明らかに焦りの色を浮かべた。
キールが鋭く目を細める。
「……本当に限界、なのか?」
疑念と焦りが入り混じった声だった。
ラットロードの瞳がギラリと光った。
獲物が弱った瞬間を見逃さない捕食者の目だった。
ラットロードの思考が読めるほど、動きが変わった。
それまで慎重にこちらを見ていたが、獲物が弱っていると確信した瞬間、より大胆な動きに変わる。
(——よし、かかったな)
クラフトは剣を握る手に力を込めた。
ラットロードが 一気に飛びかかる。
その巨大な爪が、獲物を仕留めるべく振り下ろされる——
だが——
「……遅い!」
クラフトは、その一瞬の隙を見逃さなかった!
剣が 鋭い弧 を描く。
ラットロードの爪が届く前に、クラフトの剣が先に 喉元 を捉えた。
「——終わりだ!!」
渾身の一撃が、ラットロードの体を貫いた。
「ギィィィィィ!!!」
ラットロードは 絶叫を上げながら、その場に崩れ落ちる。
赤い瞳が一瞬だけ苦悶に歪み——
そして、 完全に沈黙した。
その姿を見つめ、皆はようやく 息をついた。
しかし、その静寂を破ったのは——
「大丈夫、クラフト!」
リディアの 叫び声 だった。
彼女はすぐに駆け寄り、 クラフトの肩に手を置いた。
「怪我は……!? まさか本当に——」
だが、クラフトは ふっと笑って 彼女を見た。
「いや、演技だよ」
「……は?」リディアは硬直した。
「いや、だから作戦で——」
「なによそれ!!」
「いや、だから——」
「演技なら演技って 事前に言いなさいよ!!」
「……悪かった」
クラフトが バツが悪そうに頭をかく。
「クラフトが本当に倒れたのかと思ったじゃない!」
「まぁまぁ、結果オーライだろ?」
クラフトが 苦笑しながら言うが、 リディアはまだ納得がいかない様子だった。
キールは軽く 息を吐き、驚きを噛みしめるように言った。
「クラフトが敵の思考を呼んで戦略を立てるなんて、私は悪い夢でも見てるんですかね」
クラフトは肩をすくめながら呆れたように言い返した。
「夢じゃなくて現実だ。ほら、ほっぺでもつねってみろよ。」
ブラスはしばらく無言でクラフトを見つめた。
そして、腕を組み、満足そうに頷いた。
「お前、成長したなぁ!」
「……え?」
「今までのお前なら、こんな戦い方はできなかったぜ」
ブラスは大きく腕を組み、満足そうに笑う。
「力だけじゃなく、頭を使う戦い方も覚えたってことだ!
まだまだ俺様の洗練され優雅さを兼ね備えた知的な戦闘術にはかなわねぇけどな!」
ブラスはそういうと大きく口を開け笑った
クラフトは 少し照れくさそうに笑った。
—— こうして、ラットロードとの死闘は幕を閉じた。
お読みいただき、ありがとうございました。
小さな物語ですが、どこかに残るものがあれば嬉しいです。
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