クラフト、最後の冒険
時代が一つ、静かに形を変えようとしていた。
かつてノクスとして共に歩んだ仲間たちは、それぞれの道で、自らの“次”を歩みはじめていた。
《マッスルマジック》——
それは当初、誰もが冗談だと思っていた名前だった。だが、蓋を開けてみれば、そこには常識を超えた力と、人を守る意志が確かに宿っていた。
討伐不可とされ、国から“災害指定”までされていた古龍——その伝説級の魔物を、ブラスは斧一本で地に伏せた。
その後も、彼らのギルドは幾多の死地を乗り越え、武勲を重ねていく。
今や《マッスルマジック》は、冒険者たちの憧れの的。
そしてブラスは、名実ともに“英雄”と呼ばれる存在となった。
だが、誰もが思い出していた。
かつて彼は、命を燃やす禁忌のスキル《阿修羅》を使い、その代償として“長くはない”と宣告されていたことを。
⸻にもかかわらず。
「ん? なんか、最近むしろ体が軽いんだよな。寿命って増えたりするのか?」
本人はどこ吹く風。酒も肉も全開。毎朝の腕立てと斧振りも欠かさない。
なぜ生きているのか? なぜ衰えないのか? 誰も分からなかったし、誰も深く考えようとしなかった。
そんな彼をモデルにした絵本《やさしい大鬼》は瞬く間に大ヒットし、今では「将来の夢はブラスになる」と答える子どもが後を絶たないという。
キール、かつて皮肉屋であり合理主義者だった彼は、今や“市場の番人”として知られている。
監査機関——
それは、かつて誰も本気で考えなかった仕組みだった。
だが彼はその仕組みを形にし、運用し、制度に変えた。
特定のスキルが富を独占することはもはやできず、魔導石の価格変動には細かな監査が入り、販売店の契約書にも明確な透明性が求められるようになった。
“善意”に頼った市場は、すぐに歪みます。制度と牽制こそが、公平の基盤だ
彼の言葉は冷たく聞こえるが、その結果、救われた者は多い。
今、彼は“経済を変えた男”と呼ばれている。
スキルシェアという概念を社会に定着させた張本人として。
一方、アカデミアの地下研究棟。
そこには、今日も朝から晩までスキルと石に向き合う少女——いや、今や“研究主任”と呼ばれる女性がいた。
リリー。
かつては「姉の代わり」として道を探していた彼女は、今では“魔導石技術の第一人者”として知られている。
彼女の発見により、スキルを持たない者でも、その力を“使える”時代が始まった。
それは、スキル至上主義の終焉を意味していた。
魔導式義手、農業支援用スキル石、スイーツ製造装置——
どれも、彼女の研究から生まれた。
人々は彼女を、新時代の英雄と呼んだ。
本人がその言葉に照れて逃げ出したことは、ささやかな余談である。
彼らの英雄譚が語られるとき、そこにクラフトの名が登場することはめったになかった。
絵本にも銅像にもならず、祝賀会の壇上にも立たなかった。
だが、それを彼自身が望んだのかもしれない。
魔導石の店を譲り渡したのち、彼が選んだのは——一つの小さな学校を作ることだった。
その建物は丘のふもとにひっそりと建っていて、豪華な門も、権威の象徴もなかった。
教壇に立つクラフトの姿は、かつて仲間と戦った冒険者のそれではなく、
ただの“教師”だった。
スキルを持たない子どもたち、職人の弟子、かつて孤児院で育った者、富裕層の娘、流浪の商人の子――
そんな子たちが、同じ机を囲む場所。
教えるのは魔法でも剣術でもなかった。
「言葉の使い方」
「誰かの意見の聞き方」
「分からないことをそのままにしない勇気」
そんな、誰もが知っているはずなのに、社会では軽んじられていたことばかりだった。
ある日、授業のあと。
ひとりの少年がクラフトの机に近づいた。
「先生……正しいルールを作れば、ずっと社会はうまく回るんですよね?」
クラフトはゆっくりと手を止め、静かに目を向ける。
「……いい仕組みは、すごく大事だ。けどな、どれほど完璧に見える制度でも……やがては疲れる」
「……疲れる?」
「うん。使うのは人間だから。息切れするし、すれ違う。……昔、それで大きなものが壊れた」
少年は言葉に詰まったが、クラフトは笑って肩を叩いた。
「だから、話し合う場所が必要なんだ。ルールの外でも、ちゃんと“声”が届く場所が。ここみたいにさ」
その教室には、たしかに“未来”が息づいていた。
クラフトの学校が歴史の年表に載ることはなかった。
彼の名が称号として讃えられることもなかった。
しかし、彼の元で学んだ者たちは、少しずつ――だが確かに、社会を変えていった。
ある者は、政治の場で「対話」を重んじる新たな政策を打ち出した。
ある者は、かつて差別されていた移民達の仕事を生む企業を立ち上げた。
またある者は、地方に学校を作り、クラフトの教えをそのまま引き継いだ。
彼の名前は消えていったが、彼の「知識」と「思い」は、確かに受け継がれていた。
静かに。
確かに。
クラフトは、次の時代を“育てて”いた。
そして、それで十分だった。
それこそが、彼が望んだ最後の冒険だったのだから。




