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ヴェルシュトラ 〜スキル経済と魔導石の時代。努力が報われる社会で俺たちは絶望を知りそれでも、歩き出した〜  作者: けんぽう。
本編

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最後に微笑んだ支配者

夜の街は静かだった。

星がまたたく空の下、クラフトは一人、工房の片隅で魔導石を削っていた。

その手つきは変わらない。その石には、誰かの絶望と希望とが同居していた。クラフトは、それを“次”に繋げるために削っていた。


やがて、扉の軋む音が響く。

クラフトは顔も向けず、手を止めることもなく言った。


「……来ると思ってたよ」


「ほう。予知のスキルでも手に入れたか?」


低く落ち着いた声——アイノール。

その響きもまた、昔と変わらない。


クラフトはゆっくりと顔を上げた。


「違うさ。あんたは、最後まで“見届ける”人間だろ」


アイノールは何も言わずに頷き、黙って工房に入ってくる。

手近にあった魔導石をひとつ取り上げ、淡く光るそれを眺めた。


「……ずいぶんと静かになったな。この街も、世界も」


「ヴェルシュトラの声が消えたからな」


「“秩序”が消えたとも言える。混沌の始まりかもしれんぞ」


「それもあるだろうな。でも、混沌の中でしか、新しいものは生まれない」


その言葉に、アイノールの眉がわずかに動いた。

アイノールは、工房の片隅に積まれた魔導石を手に取り、じっと見つめた。


「これが……お前たちの切り札か。スキルを複製し、組み合わせ、新たな力すら生む……確かに強力だ。まさに時代を動かす“力”と言っても過言ではない」


クラフトはその言葉を遮るように首を振る。


「違う。“力”じゃない。……いや、以前はそう思っていた。でも今は違う」


「……違う?」


「信じてる。これはただの石じゃない。誰かと誰かが関わり合って、少しずつ進んできた……その証なんだ」


「……俺は“関わり合い”で、時代は進むと、今は思ってる」


アイノールはわずかに目を伏せた。


「私は……かつて、革命でこの社会を築いた。力がなければ、語ることさえできなかった時代だ」


「だからこそ、あんたの言葉には重みがある」


「お前のやり方は、“対話”だの、“歩み寄り”だの、まるで頼りない幻想に見える」


クラフトは少しだけ笑った。


「それしか、俺にはできなかったんだ。誰かを殴り飛ばして導くほどの力は、最初からなかった。これが正解だとか思ってるわけじゃないんだ。……ただ、誰かと向き合った時間だけは、無駄じゃなかったと思ってる」


沈黙が流れる。

やがてアイノールが呟いた。


「……本当にそれで、この世界は回るのか?」


クラフトはすぐには答えない。

黙ってひとつ、石を削り終えたあとで、ようやく口を開いた。


「分からない。けど……俺たちがやってきたことが、誰かの“次”に繋がるなら……それでいい」


アイノールの目が細められる。

長い年月を通じて勝ち残り、積み上げてきたものが——今、ほんの少しだけ、揺らいでいた。


「……お前に未来を託す気にはなれん。だが、壊す気にもなれん」


「それでいいさ。見ていてくれれば、それで」


アイノールはふっと笑った。


「お前はもっと、“正しさ”を振りかざして、皆を導く者かと思っていたが」


「俺もいろんな奴と出会ってきた。……誰かと関わって、影響を受けるって、案外悪くない」


アイノールはゆっくりと背を向ける。

その足取りは、ほんの少しだけ、軽かった。だが振り返ることなく言葉を残す。


「……私は、お前に未来を託したとは言わん。だが——」


「“次の時代”という言葉には……少しだけ、興味が湧いてきた」


クラフトはその背に、何も返さなかった。

ただ、静かに。魔導石をもうひとつ、削りはじめた。



夜風が揺らす葉の音だけが、静寂を破っていた。


クラフトの家から遠ざかりながら、アイノールはふと立ち止まった。見上げた空には、見慣れぬほど星が広がっていた。いや——見慣れぬのではなく、何十年も見上げてこなかっただけだ。


「やっと終わったのかい?」


どこか懐かしげな声が背後から届いた。振り返れば、古びたランプを片手に、酒瓶を携えたオラクスが立っていた。


「……久しぶりだな」


アイノールは静かに息を吐いた。


「そうだね。久しぶりついでに今日は飲もうじゃないか」


オラクスは木椅子を引き、隣を指さす。そこには古びたベンチと、夜露に濡れかけたグラスが二つ。


「……私に、そんな余裕があると?」


アイノールはわずかに口元を緩めながらも、その目はどこか遠くを見ていた。


「お前が作ったこの世界を、昔の戦友たちが見たら、なんて言うかね……多分こうだろうさ。『アイノール、お前はもう休め』ってな」


オラクスが静かに酒を煽ると、その言葉が夜気に溶けていった。


「……フッ。情報屋から霊媒師にでも転職したのか?」


アイノールが短く笑った。オラクスは、目を大きく開く。


「驚いた……半世紀ぶりに笑ったんじゃないかい? 気に入ったのかい、クラフトを?」


「……あいつの考えは甘い。だが、少しだけ——信じてみたくもなった。それだけだ」


アイノールはゆっくりと視線を落とした。指先でグラスの縁をなぞりながら、呟くように言った。


「オラクス……私は、本当に仲間たちの期待に応えられただろうか?」


その問いに、オラクスは目を伏せず、まっすぐに返した。


「応えたさ。だから、もういいんだよ」


アイノールは目を細めた。揺れるグラスの中に、かつて共に戦った者たちの顔が浮かんでは、静かに沈んでいく。


「……そう、か」


「お前はずっと、“彼らのために”って言い続けてきた。でもな——」


オラクスは微笑む。だがその声は、どこまでもまっすぐだった。


「もう、お前は“自分のため”に生きてもいいんだぜ?」


アイノールのまなざしがわずかに揺れる。


「……私が、自分のために?」


「そうさ……お前が作った時代を、もう誰かが動かしてる

それだけで、もう十分じゃないのか?」


オラクスはもう一度、グラスに酒を注ぐ。月明かりの中で、琥珀の液体が静かに揺れた。


アイノールは短く息を吐くと、その酒を一口——まるで何かを確かめるように、静かに飲み干した。


「……そうか」


「今日は“ノール”として飲もうじゃないか。“アイノール”としてじゃなくな」


オラクスの言葉に、アイノールは目を伏せ、そして——初めて、心からの微笑を浮かべた。


「……そうだな」


二人の杯が静かに重なる。


「……老いたな、私も。脆く、頼りない方法だと笑い飛ばす気力すらない」

それでもなお、否定する理由も見つからなかった。

その静かな気づきは、長きにわたり背負い続けてきた己への、ささやかな赦しだった。


“支配者”という名の鎖を、ようやく解いた男は、ようやく“ただの一人の男”として、夜の街の中に溶け込んでいった。


やがて、彼らの姿は闇に紛れ、誰の記憶からもそっと遠ざかっていく。


——だが、夜空にまたたく星だけが、それを静かに見届けていた。


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