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ヴェルシュトラ 〜スキル経済と魔導石の時代。努力が報われる社会で俺たちは絶望を知りそれでも、歩き出した〜  作者: けんぽう。
本編

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伝播する意志


「さて、そろそろ来る頃ですね」


キールが静かに言った瞬間だった。


「すでに居るぞ」


どこからともなく響く声。低く、微かにこもっていて、それでいて空気を切るような鋭さがあった。


「えっ、どこ?」


リリーが周囲を見回す。


「俺はどこにでも居る。存在など、あってないようなものだ」


不気味な響きをまとった声だったが、言っている内容はよくわからない。


「……ん?」


ブラスが首を傾げながら、なんとなく窓の方へと歩み寄る。

ガタン、と微かな音。窓の外から、何かが引っかかっているような気配がした。


ガラリと窓を開けると、そこには今にも落ちそうな体勢で張りついている全身黒づくめの男——黒炎の使徒がいた。


「……お前、何やってんだ」


「窓から登場したら……かっこいいかなって思って……でも、思ったより……風、強くて……早く……助けてくれないか……」


ブラスが呆れた顔で腕を伸ばし、黒炎の使徒を片手でぐいっと引き上げる。

部屋に転がり込むように着地した彼は、肩で息をしながらフードを直した。


「……ふぅ。登場成功だな」


「どこを、どう見たら成功なんだよ」


キールはわずかに笑みを浮かべながら、手にした封筒を差し出した。


「お願いしたいことがあります。この手紙を、爆速ロバの皆さんに託して、できる限り多くの家に配っていただきたい」


黒炎の使徒は手紙を受け取り、フードの下で目を伏せる。


しばしの沈黙のあと、低く呟く。


「……この件我が同胞、クラフトは……知ってるのか?」


「いえ。知りません」


その返答を聞いた瞬間、黒炎の使徒の手がわずかに震えた。

そして、ほんの少し顔を背けるようにして言った。


「じっ……じゃ、できない……」


その声には、決意の硬さと、言葉を出すことへの不器用さが同時に混じっていた。


「クラフトは、ま……まっすぐで……嘘がなくて……おれは……そういうとこ、信じてるから」


キールはわずかに視線を落とした。

そして、彼のその震える言葉を遮ることなく、ただ静かに応じた。


「クラフトはまっすぐです。だからこそ、敵が曲がっていれば、正面からでは届かないこともある。

——私は、その隙を埋めたいだけなんです。彼の背中を押す方法は、ひとつじゃない」


黒炎の使徒は唇を噛んだまま、手紙を見下ろす。


「そ……それって……あいつらと……どう……違うんだ……?」


その問いは、震えていながらも、確かに核心を突いていた。


キールはふっと笑った。皮肉でもなく、挑発でもない。どこか自嘲を含んだ、穏やかな笑みだった。


「もし、私がクラフトの理想を踏みにじるような真似をしたら——」


言いながら、懐から小さな魔導石を取り出す。薄く青白い光を放つそれを、そっと黒炎の使徒に差し出した。


「ここに、私の居場所を登録した《識印》の魔導石があります。

……好きなタイミングで、《術座移動》と適当な攻撃スキルを使えばいい。

私は、それだけのリスクを背負って、これをやってるつもりです」


沈黙が落ちる。

リリーとブラスも、会話には加わらず静かに見守っている。


キールは言葉を切り、わずかに視線を落としたあと、再び顔を上げた。


「それでも、やる価値があると信じている。クラフトの理想には、それだけの価値がある」


黒炎の使徒の表情が、一瞬だけわずかに揺れた。

その目が、キールの顔から魔導石へと移る。


キールは続ける。その声は静かだったが、芯があった。


また少しの間があった。

やがて黒炎の使徒は、ぽつりと呟いた。


「……おまえ、ちょっと……こ、怖いんだよ……で、でもそういう覚悟、嫌いじゃない」


そう言うと、彼はそっと魔導石を懐にしまった。

そして、顔を上げてまっすぐキールを見る。


「わっわかった。受け取った以上はやる。お、俺は“爆速ロバ”だからな。やると決めたら、誰よりも早く届けてやるよ」


その声は、吃りこそなかったが、真剣そのものだった。


だが、次の言葉には、ほんのわずかだけ照れが滲む。


「……でも、つ、次は……正面から頼め。

お、俺……こっそり動くの、苦手なんだよ……」


キールはその言葉に、少しだけ目を細めた。


「次は正面から。それも……考えておきます」


そう返した彼の声には、どこか安堵の色が混ざっていた。


黒炎の使徒が音もなく姿を消したあと、部屋には一瞬、奇妙な静けさが訪れた。


キールはふぅ、と小さく息を吐き出した。


「……なんとか理解が得られてよかったです。彼らがいないと、この計画は成立しませんでしたから」


椅子の背にもたれながらつぶやくその声は、珍しく本音めいていた。


「そう?」

リリーが首を傾げる。

「そんなに心配しなくても、黒炎の使徒さん優しいから、ちゃんとお願いすればだいじょうぶだったと思うよ?」


キールはその言葉に、思わず目を細めた。


「似てるんですよ、クラフトと」


「……あぁ、昔のクラフトも一時期あんな感じだったんだろ?」

ブラスが思い出すように言いながら、にやりと笑う。

「なんだっけ、漆黒の……なんちゃらとか言ってなかったか?」


「違いますよ」

キールが軽く咳払いをして否定する。

「今のクラフトと、です。口下手で、一見すると簡単に論破できそうな雰囲気なのに……中身にはちゃんと芯がある。

一度“違う”と判断したら、なかなか折れません」


「言われてみれば、たしかに……」

リリーがくすっと笑った。

「クラフト、頑固だもんね。最近はちょっとマシになったけど」


ブラスは腕を組み、何度か頷いた。


「なるほどな」


そして視線をぽんぽこプリンターへと向ける。


「しかし……この魔道具、本当すごいな。これって、色々使えそうだよな?」


「ええ」

キールもうなずく。

「これからは、庶民でも書物を手に取れる時代になるかもしれません。知識や思想が、広く共有されるようになる……ただ」


「ただ?」

リリーの表情がわずかに引き締まる。


「個人が、簡単に——無責任な情報や思想まで発信できてしまう、ということです。

使い方によっては、間違った観念が伝染病のように広がって、社会を乱す可能性もある」


その懸念を語るキールの顔には、微かに陰りが差していた。


だが、それを吹き飛ばすようにブラスが笑った。


「それを今からお前がやるんだろ? “正義の伝染病”ってやつをよ」


キールは肩をすくめ、わずかに皮肉めいた笑みを浮かべた。


「私の場合は、ただの世直しごっこではありません。国家級の監査機関設立を視野に入れた、極めて学術的かつ実験的な社会介入ですので」


そう言って机に手をついた彼の瞳には、理性と疲労、そして一抹の決意が入り混じっていた。


(……監査機関の運用。これは、思っていた以上に骨が折れそうですね)


彼の心の声は、静かに宙に溶けた。



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