スキルは届くべき場所へ
それから、数ヶ月が経った。
あの夜、四人で語り合った制度設計は、実際の形として街に根を張りはじめていた。
魔導石を使ったスキル流通は、かつてのような“反逆”ではなく、今や市民の生活に静かに溶け込んでいる。
最初こそ無料で配られていた魔導石に、価格がついたことへの反発もあった。
「は? 今までタダだったのに金取るのかよ」
そんな声がなかったわけではない。だがそれも、数日と経たなかった。
なぜなら——価格が桁違いに安かったからだ。
スキル書一冊が家一軒の価格だった時代。
今や、その百分の一の金額で、使い切りとはいえスキルを手にできる。
それは、“誰にでも手が届く力”だった。
「……この魔導石に、俺のスキルを当てればいいんだな?」
日に焼けた腕まくりの男が、やや戸惑った顔でクラフトに尋ねた。
片手には、すでに刻印の刻まれた魔導石がある。
「《回転》ってスキルだけどよ。正直、物を転がすだけの、地味なもんだぜ?」
クラフトは微笑んで頷いた。
「構わない。なんでもいいんだ。……誰かにとって、必要なものかもしれないからな」
男は眉をひそめたが、それ以上何も言わず、魔導石に自分のスキルを転写した。
かすかに青白い光が走り、スキルがコピーされる。
「もしよければ、他のみんなも購入するときに、スキルをコピーさせてくれ」
「へえ……変な時代になったな」
男は笑いながら肩をすくめ、そのまま通りへと去っていった。
誰の目にも留まらない、誰にも求められないと思われていたスキル。
それが、別の誰かの“生活の武器”になると、クラフト達は知っていた。
たとえば——
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《微振》
——対象にごくわずかな振動を加える。
「意味ねぇだろ、こんなもん」
誰もがそう言った。
だがそれを手に取ったのは、ある老齢の薬研職人だった。
固まりすぎた乾燥薬草を砕くのにちょうどよかったのだ。
「手を痛めずに粉末にできる……年寄りにはありがてぇな」
職人はそう言って、魔導石を棚に丁寧に並べた。
《微振》はその日から、薬師組合でまとめて買い取られるようになった。
買い物帰りの主婦が、なんとなく並んだ石を眺めている。
「へぇ、魔導石って生活にも使えるのねぇ」
店の奥から勢いよく声が飛んできた。
「こんにちは! 洗濯、大変じゃないですか?」
元気よく駆け寄ってきたのは、白衣姿の少女——リリー。
目をきらきらさせながら、両手に小さな魔導石をひとつずつ握っている。
「これ、《回転》と《流水》! 二ついっしょに使うと、桶の中で洗濯物がぐるぐる動いて、手で揉まなくてもすごくきれいになるんです!」
「……自分の手でこすらなくても?」
「はい! 《回転》だけだとちょっと弱いんですけど、《流水》と組み合わせると、水の流れに合わせて布が動いてくれるんです。勝手に、するする、って!」
リリーは勢いよく身振りで説明しながら、魔導石を差し出した。
「石鹸の量も少なくてすみますし、手も荒れにくくなると思います!」
主婦は思わず笑った。
「ふふ、あんた、ほんとにそれ気に入ってるのね」
「めちゃくちゃ便利なんですっ! あ、使い方の紙もありますよ!」
「あら、親切ねぇ。……じゃあ、試しに買ってみようかしら」
「ありがとうございますっ!」
数日後、市場の別の主婦が言った。
「ねえ、《回転》と《流水》って知ってる? 洗濯がほんっとに楽になるのよ」
やがてその噂は広がり、小さな列ができ始めた。
そして、誰かが言った。
「……どんなスキルでも、誰かにとって意味があるのかもしれないな」
それは理想論ではなかった。
街のどこかで、誰かの暮らしを少しだけ支えている。
ただそれだけのことで、魔導石は価値を持ち始めた。
市場が育てるのではない。
人々の使い方が、価値を生む。
それは、クラフトひとりの夢じゃなくなっていた。
誰かが支え、誰かが使い、誰かが伝えるたびに——理想は、みんなの手で少しずつだが現実になっていった。
それは、静かに、けれど確実に——
この街を、変えていった。
暗い石造りの会議室に、苛立ちの声が響いた。
「このままでは、我々の影響力が完全に失われる……!」
重厚な椅子の背もたれを叩きながら、ヴェルシュトラの幹部の一人が立ち上がる。
彼の前に置かれた報告書には、魔導石による“コピースキル市場”の拡大が赤字で記されていた。
「ただでさえ、若い冒険者たちの中で“魔導石派”が増えてきている。伝統的なスキル流通では、もう追いつけん」
「私たちは……命を削るようにしてスキルを得た。その価値を、何の苦労もせずにコピーされて……認められるわけがない」
別の幹部が低く唸る。
「まともに鍛錬もせず、近道だけで結果を得ようとする。そんな“怠け者”に、秩序を壊す資格はない」
「クラフトたちの市場を、“違法”と定義づけるんだ。混乱の根源は彼らだと、はっきり広めろ」
「すでに、情報部には指示を出してある。明日から街の張り紙が変わる。“魔導石スキルは危険”とな」
「よろしい。ヴェルシュトラは努力するものに機会を与えるためにある。その秩序を揺るがす者は……敵だ」
※ 市民各位への重大な警告 ※
最近、未登録の模倣スキルが各地で密かに流通しているとの報告が相次いでおります。
これらの模倣スキルは、ヴェルシュトラによる技術認証および安全検証を受けておらず、
使用時に暴発・錯乱・意識混濁といった事例が確認されています(※当局調査中)。
また、無認可でのスキル販売や交換行為は、
ヴェルシュトラの専売登録規約第十二項に明確に反するものであり、
関係者は今後、ギルド間の取引停止・市場取引の制限措置を受ける可能性があります。
さらに、こうした模倣スキルの拡散は、
スキル市場の信用を著しく損なう社会的混乱行為であり、
“秩序なき自由”を求める過激な一部集団によって煽動されていることが判明しています。
混乱の中で得をするのは、責任を取らない者たちだけです。
スキルの価値と安全な社会を守るため、
市民の皆様にはヴェルシュトラ正規認可制度の利用を強く推奨いたします。
ヴェルシュトラ統制局
広場の片隅で、その張り紙を見つめていた青年が口を開く。
「でもさ……確かに最近、スキルを手に入れやすくなったよな。前は、何ヶ月も働かないと買えなかったのに」
隣で荷車を押していた老人が、眉をひそめて答える。
「そういうのが、安易なんだ。スキルってのは……自分で掴むもんだ。魂を込めて育てた技を、他人にただで配るなんて……職人として、認められん」
「けど、俺は助かってるよ。正直、昔みたいな“試験受かるまで何もできない”なんて、もう無理だったし」
遠巻きに聞いていた商人がぽつりとつぶやいた。
「……これじゃ、スキルが売れない。反対しねえと、本当に食ってけなくなる」
世論は揺れていた。
便利さを喜ぶ声、誇りを傷つけられた怒り、不安と焦燥。
それぞれの立場から、それぞれの正義が語られた。
だが、ひとつだけ確かなのは——
今、ヴェルシュトラは“情報”を使って戦おうとしているということだった。
彼らの狙いは明確だ。
「クラフトたちは混乱を招く危険な連中だ」
「スキル市場が崩壊すれば職人の生活が脅かされる」
「ヴェルシュトラこそが、唯一の秩序維持機関である」
そう信じさせるために、あらゆる手が打たれ始めていた。
だがその一方で、魔導石を使った暮らしに救われた人々の輪は、確かに、静かに広がっていった。




