無償の代償、制御の可能性
昼下がりの陽光が、ギルドの小部屋の窓から斜めに差し込んでいた。
木製のテーブルには、飲みかけの茶と資料の山。そしてその周囲には、クラフト、キール、リリー、ブラスが向かい合って座っていた。
どこか穏やかで、それでいて重みのある空気が流れている。
クラフトが深く息を吐き、真剣な面持ちで言った。
「……無償提供は、結局、犯罪や革命の火種になっただけだった。」
彼の声には悔しさが滲んでいた。理想を信じて行動した結果が、暴走と混乱を呼んだことを、何よりも彼自身がよく知っていた。
ブラスが腕を組みながらうなずいた。
「あぁ、タダで配ったせいで、一部の連中が横流しして、転売で大儲けしてやがった。まったく、悪知恵ってのはどこまでも尽きねぇな」
キールは茶を一口飲んでから、肩をすくめた。
「要するに、市場ってのは“無料”じゃ成り立たないってことですよ。需要と供給ってやつが、ちゃんとバランス取らないと機能しないんです」
クラフトはその言葉に頷きつつも、視線を宙に泳がせた。
「……分かってる。俺が求めてるのは、“市場の平等”じゃないんだ」
そう呟いたとき、リリーがくすっと笑った。
「はいはい、分かってるわよ。ええと……『俺は努力すれば報われる社会じゃない。努力すら許されない人間が、努力できる社会を作りたいんだ』ってやつでしょ?」
彼女はクラフトの声色を真似ながら、言い終えると、くすっと笑って、指先で髪をひと房くるくると遊ばせた。
場の空気が少しだけ柔らかくなって、笑い声が滲んだ。
「おい、それ俺そんな感じか……?」とクラフトが照れくさそうに眉をひそめると、
キールが笑いを噛み殺しながら茶を置いた。
「それはまた……随分と壮大な話ですね。ええ、まるで詩人か政治家のような」
「言ってやるなって」とブラスが笑いながらも、ふっと顔を曇らせた。
そして、やや真面目な声で口を開く。
「でもよ……その“機会の公平性”ってやつを、魔導石使ってどうやって叶えるんだ?」
一瞬、空気が落ち着きを取り戻し、再び沈思の静けさが小部屋に満ちた。
クラフトは椅子にもたれたまま、真剣な目で言葉を落とした。
「俺たちの作った独自の流通網……。あの考え方自体は、間違ってなかったはずなんだ」
張り詰めた空気のなかで、リリーが口を開く。
「キールは……知らないよね。私たち活動のこと」
説明しようと身を乗り出したその瞬間——
「大丈夫ですよ」
キールがふわりと微笑んだ。「見てましたから」
リリーは拍子抜けしたように目を瞬かせる。
ブラスが低く笑った。
「お前らしいな」
キールの表情が、すっと真剣なものへと戻る。
「私も、あの流通網自体が悪かったとは思いません。問題は——規制の手段です」
「でも、規制をすれば、そこからこぼれ落ちる人が出る」
クラフトが絞るように言う。
リリーは机に視線を落としたまま、ぽつりと呟いた。
「……もし、“悪い人”を魔導石に教えられたら、どうかな」
「……ん?」
クラフトが顔を上げる。
「悪用や転売をした人の魔導石だけを——使えなくするの。つまり、“無力化”するの」
「無力化……」
クラフトがその言葉を咀嚼するように繰り返した。
「できれば、たしかに良いが……。どうやって?」
キールの視線が、静かにリリーを捉えていた。
あの思索の沈黙の中から、いつだって常識を揺さぶる“何か”を持ち帰ってきた彼女の姿が、脳裏に焼きついていた。
リリーは思い出すように、少しずつ言葉を継ぐ。
「……《小石割り》のスキルって、あったわよね?」
「《岩石破壊》じゃなくて? 《小石割り》って、子供が遊びで使うようなスキルだろ?」
「うん。でもそれだけじゃなくて……《術座移動》と……」
キールが顎に指を当て、すぐに反応を返す。
「なるほど。ということは——あと必要なのは《識印》あたりですかね?」
リリーは嬉しそうに目を細めて笑った。
「さっすが、キール。そう、《識印》さえ使えれば……」
そのやりとりを、ブラスはぽかんと口を開けて聞いていた。
やがて頭をかきながら言った。
「わりぃ、つまりそれってどういうことだ?」
キールはその問いに対し、言葉を選びながら説明した。
「《識印》を魔導石に刻めば、その座標や使用者情報が記録されます。そこに《術座移動》で《小石割り》を送り込むんです。小石割りは単純だけど、確実に物体を砕く。つまり——対象の魔導石を遠隔で破壊できる、という仕組みです」
「なるほどなぁ……」とブラスが考え込む。
リリーとキールの説明が終わる頃には、室内の空気はすっかり熱を帯びていた。
クラフトが拳を軽く打ち合わせ、「たしかに行けるな」と唸ったその直後——
彼の表情は崩れていない。けれど、言葉の端々から、こらえきれない知的な熱がにじんでいた。
「……この発想、凄すぎますよ」
その声音には、いつもの冷静さではなく、知的な興奮が滲んでいた。
「今まで価値がないと思われていたスキルが、組み合わせ次第でまったく新しい価値を生む……スキルの“意味”そのものが、根本から変わるかもしれません」
そんな中、ブラスが腕を組みながら、難しい顔をして唸るように言った。
「……あー、すまん。ちょっと水さすようで悪いが、実はこれ、うまくいかねぇかもしれねぇ」
リリーがきょとんとした顔で首を傾げる。
「どういうこと?」
「理屈は合ってるんだ。《識印》で座標を固定して、《術座移動》で《小石割り》をぶつける。頭じゃ理解できる。でもな……《術座移動》ってのはけっこう癖があってな、発動ズレが出やすいんだよ」
ブラスは机の端を軽く指で叩きながら続けた。
「戦闘中とか、大雑把な範囲で狙うぶんには誤差も許容範囲だ。だが、小さな魔導石をピンポイントで破壊するとなると、ズレは命取りになる。同調発動が必要ってわけだ」
「同調発動か……」
クラフトが思案するように呟くと、ブラスはうなずいた。
「現状、それを正確にできるのは、俺とクラフト、あるいはキールとクラフトのコンビぐらいだ。だが、量を裁くとちと厳しい。練習もかなり積まねぇといけねぇ」
だが、リリーはまるでブラスの言葉を待っていたかのように、あっさりと言った。
「ううん、大丈夫よ、ブラス。それね、魔導石なら一人でできるの」
ブラスとクラフト、そしてキールが一斉にリリーを見る。
「魔導石……一人で、同調発動?」
クラフトが眉をひそめた。
リリーはにこりと笑って、懐から厚めのノートと数枚の紙束を取り出した。机の上にパラパラと並べる。
「色々と実験してみたの。スキルをコピーした魔導石を使って、同時に違うスキルを起動できるかって」
彼女は真剣な目で三人を見渡す。
「……結論から言うと、できたのよ」
「できた……?」
クラフトの目が見開かれる。
その様子を見て、リリーはどこか得意げに胸を張り、手元の紙を一枚、ぴらりと差し出した。
「これがその実験レポート」
紙面には、丁寧な筆致でこう記されていた。
《影槍》および《衝撃撃破》に関する単独同調発動実験報告
一般に、同調発動は二名以上による協調的スキル行使を前提とする。これは単独での複数スキル同時起動が困難であるためであり、従来のスキル使用者は意識・魔力制御の観点から物理的限界を抱えていた。
しかし、魔導石によるスキル行使はこれと性質を異にする。すなわち、魔導石に格納されたスキルは、使用者本人がスキルを直接発動するのではなく、魔力供給を通じて間接的にスキル発動を誘導する構造を持つ。
以上を踏まえ、異なる魔導石(《影槍》《衝撃撃破》)を同一人物が同時着用し、それぞれを同一タイミングで起動した場合に、単独での“同調発動”が可能かを検証した。
【実験結果】
二つの魔導石は同時に起動し、発動タイミングもおおむね一致。結果、魔力が一点に集中する形で複合効果が発生し、実質的に同調発動と見做せる挙動を確認した。
【反応とその後の対応】
・訓練場の壁に大穴があく、ギルド管理者に大声で怒られる(落ち込んだ)
・「この前の爆発よりマシ」とのコメントも頂いた(前科が発覚)
・ゲンコツによる指導あり(たんこぶは翌日夕方まで残った。わりと痛かった)
・精神的な回復ため帰りにドーナッツを買う(重要)→チョコ2、ハチミツ3
・結果的に全体的に美味しかったです(すごく反省しています)
「……あの穴、お前だったのか……」
クラフトが頭を抱える。額に手を当てて目を伏せた。
「でも、なんで今まで教えてくれなかったんだよ……」
その問いに、リリーはふっと視線を落として答えた。
「……危険だと思ったから。公表したら、誰かに悪用されるかもしれないでしょ。魔導石って、使い方次第で本当に危ない武器になっちゃうから」
部屋に、一瞬だけ静寂が落ちる。
やがてブラスが息をついて言った。
「……たしかにな。あの夜、ヴェルシュトラとぶつかったとき、これを無制限に使えてたら——死人が出てたかもな」
キールが、口を挟まず、じっとリリーを見つめていた。
その目には、ただの関心以上のものがあった。
——これは偶然のひらめきではない。魔導石研究の中で、彼女が何度も“思考の深海”へ潜り、繰り返し浮かび上がってきた、その証だ。
クラフトが微笑んだ。
「リリー……お前、やっぱりすごいよ」
リリーは、指先でそっと髪をいじりながら、はにかむように笑った。
「ふふ。でしょ?」




