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ヴェルシュトラ 〜スキル経済と魔導石の時代。努力が報われる社会で俺たちは絶望を知りそれでも、歩き出した〜  作者: けんぽう。
本編

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朝露の弔い

朝の光が、静かに世界を包み始めていた。


戦火の影を残した街並みの向こう、そこから少し離れた草原の丘には、湿った土の香りと風に揺れる草の音だけが広がっていた。


空気は澄み、夜露に濡れた野花が柔らかく朝日を浴びていた。


その丘に、人が集まっていた。


クラフト、リリー、キール。


そして、革命軍の仲間たち。共に酒を飲んだ友人たち。かつて戦った冒険者、商人、職人たち。ヴェルシュトラの戦士もまた、整然と列を成していた。


全員が俯き、無言のまま立ち尽くしていた。


泣いている者はいない。

けれど、その場にいる誰もが、喪失の重みを噛みしめていた。


「アイツが、湿っぽいの嫌いだったからな……」


誰かが、ぼそりと呟いた。それに誰も答えない。ただ、無言で、同じ思いを共有していた。


棺は、丘の中央に据えられていた。

ブラスの大きな身体に合わせて作られた木の棺。

その中で彼は静かに眠っていた。


リリーは棺の横で、声も出さずにじっと俯いていた。

今にも涙が溢れそうだった。けれど、それを堪えていた。


泣いたら、ブラスが残した思いまで崩れてしまう気がした。

弱かった自分じゃない。

今、ここにいるのは——ブラスに「成長した」と示したかった。


キールは少し離れた場所で、静かに草を踏んで立っていた。

その眼差しは棺の奥、ブラスのいない空を見ていた。


クラフトは棺の前に立ち。

深く息を吸い込み、しばらく黙ってブラスの顔を見つめる。

クラフトの拳が、音もなく強く握られる。


風が吹いた。


草が揺れ、花びらが舞う。

朝の光が、ブラスの棺をやわらかく包み込んだ。


誰も涙を流さないまま、誰も崩れずに。


それは、ブラスという男を送るには、あまりに不器用で、あまりに誠実な儀式だった。


だが、誰もがわかっていた。


これが、彼が望んだ形だということを。


そして、その丘の上に、いつまでも風が吹いていた。


棺の前に、ひとり、またひとりと参列者が立ち、静かに花を納めていく。


誰も声を荒げない。ただ、深く頭を垂れ、それぞれの想いを胸にしまいながら、花を手向けていく。


やがて、クラフトの順番が来た。


彼は、ゆっくりと棺の前に立つ。


真っ直ぐに、ブラスの眠る顔を見つめた。


その顔には、いつものような豪快な笑いも、怒鳴り声もなかった。


ただ、穏やかで、静かだった。


クラフトは、しばらく棺を見つめたまま立ち尽くし、

やがて——風に溶けるような声で、呟いた。


「……俺は、まだお前みたいにはなれないよ」


その言葉に、怒りも悔しさもなかった。ただ、静かな敬意と、どこか遠い目をしたような微笑があった。


「人を笑わせて、背中で引っぱって、みんなをその気にさせて……。俺には、できそうで、できなかった」


「……でも、俺は俺の歩き方しかできないからさ。バトン、受け取るよ」


クラフトは、腰に差していた小さな酒瓶を取り出すと、静かに棺の脇に置いた。


「ほんと……格好よかったよ」


次に立ったのは、バルトだった。


バルトが一歩、棺の前へ進み出る


「花なんて……お前のガラじゃないだろ?」


そう言いながら、懐から小瓶を取り出す。中に入っていたのは、深紅のオーガの血。


彼はためらうことなく、それをほんの一滴、ブラスの腹のあたりに垂らした。


——その二人の行いは、葬儀の作法から見れば、明らかに逸脱していた。


誰も、その行為を咎めなかった。


いや、むしろ、それが何よりもブラスらしい供養に思えた。


式を進めていた司祭も、思わず目を瞬いた。だが、咎める言葉は口にしなかった。


ブラスという男を知らずに務まらぬ式だった。


これは、彼らなりの別れのかたちなのだと——そう理解し、司祭はほんのわずかに頭を垂れた。


静かに、敬意を示すように。


静かな風が、丘を通り抜けていく。


空にはまだ雲が残っていたが、その隙間から一筋の陽光が、棺の上に静かに降り注いでいた。





棺が、ゆっくりと土の中へと降ろされていく。


縄を握っていた仲間たちの手が離れた瞬間、空気がふっと変わった。


誰も言葉を発さず、ただ目を伏せ、黙祷を捧げる。


鳥のさえずりすら遠く、風の音さえ控えめに聞こえるようだった。


——最後まで、ブラスはブラスだった。


誰かが口にしたわけではない。


だが、そこに集ったすべての人間が、そう思っていた。


戦いの中で笑い、怒鳴り、導き、そして守った男。


その背中に幾度も救われた仲間たちが、今は言葉もなく、その帰らぬ姿に頭を垂れていた。


そのときだった。


——ギィ……ギ、ギィ……ッ……


わずかに、棺の奥から不気味な、かすかに蠢くような音が聞こえた“気がした”。


誰もが顔を上げなかった。


けれど、ただ一人、キールだけはその音を確かに捉えた。


僅かに眉をひそめ、棺の方へ目を凝らす。


風か、気のせいか——否、それだけではない何か。


“おかしい”。


その違和感が、頭の片隅で鳴り続ける。


だが、それが何かはまだ分からない。


リリーは、棺の前にしゃがみ込み、小さく息を吐いた。


指先は小さく震えていたが、もう涙は流していなかった。


「……私の道、きっと見つけるから」


その声は、風にかき消されるほどに小さく、それでも確かな決意に満ちていた。


朝の光が、丘を包み込むように差し始めていた。


沈黙は続いていたが、確かに——何かが、また動き出そうとしていた。



突如「ゴトン……」という音が響いた。


参列者たちは顔を見合わせ、動揺と疑念の混じった視線を棺へ向けた。


そのとき——


バァン!!


乾いた破裂音とともに、棺の蓋が空高く跳ね上がり、回転しながら地面に叩きつけられた。


誰もが凍りついた。


棺の中から、ゆっくりと起き上がった巨影。


太陽の逆光を背負い、堂々と佇むその影は、見紛うはずのない特徴があった。


筋骨隆々の巨体。

頭部にはうねるような一対の角。

そして、腹部には薄く輝く魔導石——


それは、オーガそのものだった。


「っ……オーガ!?」


複数の参列者が後ずさる。驚愕と恐怖が広がる。


だが——その静止の空間を、たった数人だけが一瞬で突き破る。


クラフトが足を半歩引き、腰を落とす。その目にはすでに“敵の死角”が映っていた。


バルトは、一拍も置かず剣を抜き、重心を左足に寄せながら後方の遮蔽物を計算していた。


レギスの戦士たちは、呼吸ひとつ乱さず、それぞれが自分の持ち場と間合いを判断し、囲むように散開していく。


号令も合図もない。

だがそこには、長年の訓練と戦場で鍛え上げた“反射”があった。


思考と肉体が完全に同期し、戦闘の構えが整うまでに費やした時間は——一秒にも満たなかった。


“棺から出現した脅威”という不測の事態に、一切の無駄も、迷いも存在しなかった。


逆光の中、その“オーガ”が口を開く。


バルトが低く叫んだ。「咆哮が来るぞ!!」


しかし——


「お前ら、何してんだ? そんなにしんみりした顔してよ」


呆けたような口調が、丘の上に響いた。


一瞬、時が止まった。


「……は?」


誰かが間抜けな声を漏らす。


棺の中から身を起こした男は、頭をかきながら不満そうに周囲を見回した。


「っていうか、誰だよ俺を箱に詰めたの。最近流行ってんのか? この手のサプライズ」


「……ブラス!!!」


一拍遅れて、リリーが駆け出した。


ブラスに飛びつくように抱きつくと、堪えていた涙が一気にあふれ出す。顔をぐしゃぐしゃにしながら、彼の名を繰り返した。


「ブラス!! ブラス……っ!!」


「お、おう? どうした? そんな顔して……って、お前、髪切ったのか?」


ブラスは困ったように笑い、リリーの頭に軽く手を置く。


「似合ってるな、リリー」


その声に、参列者たちがようやく現実を受け入れたように、わらわらとブラスの周囲に集まり始める。


ざわめきが広がる中、キールが無言でブラスをじっと見つめた。


「ブラス……あなた、頭……」


「ん?」


ブラスが自分の頭を触った瞬間——


「……なんだこれ、邪魔だな」


バキィッ!!!


片手で角をへし折った。


「おっ、オーガの角じゃねぇか! 売れば金になるぜ」


「今日は俺の奢りだ! 飲め、笑え、バカみてぇに騒げ!」


さも当然のように言い放つと、周囲のざわめきが歓声に変わった。


「さすがブラスだ!!!いつもの店でいいなよな!?」


「やっぱりブラスは漢として格が違うぜ!」


「広背筋鍛えてると違うなああああ!!!」


バルトが肩をすくめる。


「……心臓が止まったぐらいでもうダメだとか、治療士もまだまだだな。ブラスのタフさ、舐めすぎだ」


リリーも涙をぬぐいながら笑う。


「うん、やっぱり……内臓がぐちゃぐちゃに潰れたくらいじゃ死ぬわけないわよ……ブラスだもん」


キールは頭を抱え息を吐き、クラフトは呆然と空を見上げた。



キールは、あの革命直前のやり取りを思い出していた。


——「落ち着いてください、ブラス。さっきの話、聞いてたでしょう? 革命なんて起こしたら、あなた——死にますよ!」


そう言った自分に、ブラスは肩の力を抜いて、にやりと笑った。


——「俺は普段の行いが良いからなぁ。女神様のキスで生き返って、墓から這い出してでも酒は飲みにいくぜ」


あの時は、冗談だと思っていた。だが。


キールは目の前の“現実”を直視する。棺から這い出し、みんなの中心で笑っている男。復活したブラスが、何の違和感もなく、まるで少し昼寝していたような顔で、皆と酒の話をしていた。


「……そんなはずはない」


思わず口に出ていた。


キールは脳内で矢継ぎ早に可能性を列挙する。


「予言とか、未来視とか……いや違う、そんなレベルじゃない。ブラスは常にオーガの血を飲んでいた。それが……肉体に何らかの変化を与えた? だがそれなら、“モンスター食”が好きな連中はみんな復活できるはずだ……いや、あれは単なるグルメ趣向で——くそ、整合性が……っ」


「いいじゃないか……キール……ブラスなんだから」


ぼそりと漏れたクラフトの声に、キールは眉をひそめる。


振り返ると、クラフトはまるで悟りでも開いたような、仏のような穏やかな顔をしていた。


「ちょっと待ってください、クラフト? 考えるのをやめてはいけません、見てください、あれを」


キールが指差す先には、震えながら神に祈りを捧げ続ける司祭の姿があった。


白い法衣の裾を握りしめ、膝を地についたまま、ぶるぶると身体を小刻みに震わせている。目は見開かれ、信仰の祈りというよりも、恐怖の言葉をただ繰り返すような口の動き。額には玉のような汗が浮かび、唇は青ざめていた。


「……聖なる御名において……これは幻か、試練か……否、奇跡か、いや、災厄……?」


声はかすれ、喉がひりつくほど乾ききっているのが見て取れた。


「……あれが普通なんです。そして、あっちが——」


キールがもう一度指を動かす。


「ブーラース! ブーラース! ブーラース!!」


奇声としか思えないコールとともに、ブラスを中心にした小さな群衆が盛り上がっている。クラフトやバルトも一緒になって肩を組み、何やら踊り出しそうな勢いだ。


キールは頭を抱えた。


そんな中、クラフトはぽつりと呟く。


「キール、俺も……お前と同じように考えてた時期があったよ。でもな……ブラスって、一種の“思想体系”なんだよ」


「……思想体系?」


「この一言で……全部説明できるんだ……”ブラスだから”」


そう言うと、クラフトはふらふらとブラスたちの方へ歩き出した。


「クラフト! クラフトちょっと待ってください! 考えることを放棄してはいけません!」


「せめて……分析させてくださいよ……!」


遠く、笑い声が上がる。


酒瓶の音、喧騒、そしてブラスの豪快な声。


それはまるで——この世界に、理屈ではなく“生き様”というものがあるのだと告げているようだった。


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