阿修羅
ブラスは、迫りくるヴェルシュトラの精鋭たちを睨み据えた。
彼らの動きは、まるで機械だった。
《一撃の構え》《体術拡張》《支援同期》《陣形圧縮》《攻防自動》——
幾重にも施された補助スキルが、個々の兵士たちを一糸乱れぬ連携に結びつけている。
盾兵が寸分違わぬ角度で押し寄せ、槍兵が絶妙な間隔で突きを繰り出し、後衛の魔法兵たちがほぼ同時に支援魔法を展開する。
すべてが無駄なく、機能的に噛み合っていた。
それはもはや、人間の軍ではなかった。
「チッ……!」
ブラスは盾で受け、斧で薙ぎ、拳で弾き飛ばす。
それでも——ほんのわずかに、対応が遅れる。
「……は、やべぇな……」
額を流れる汗。
右腕が重い。呼吸が浅くなる。
だが、止まるわけにはいかない。
押し寄せる兵たちの壁を前に、ブラスの巨躯が徐々に押し戻され始めた。
(クソッ、こっちは独りだってのに……)
前線で踏ん張るブラスの眼には、わずかに焦りの色が浮かび始めていた。
それでも、彼は食い下がった。
次々に襲いかかる剣戟を受け流し、寸前で避け、時に無理やり蹴散らしながら、立ち続けた。
——だが。
──グシャリ、と骨ごと潰しにくるような鋭く重い槍が突き出された。
目にも止まらぬ速さで突き込まれた一撃が、ブラスの鎧ごと肉を穿つ。
鈍い痛みと共に、肺の奥から熱いものがこみ上げた。
「……っ!」
反応が、一瞬遅れた。
槍の穂先がブラスの脇腹を抉り、肺を穿つ。喉奥から、鉄臭い血が逆流した。
「がっ……は……っ!」
吐き出された鮮血が、戦場の白熱した空気に混ざる。
意識が、一瞬、暗転しかけた。
(クソッ……!!)
視界の端で、ヴェルシュトラの兵士たちが一斉に間合いを詰めてくるのが見えた。
ブラスの重心が揺れる。このまま、押し潰されるのか——。
……その時だった。
ブラスの胸の奥に、低い音が響いた。
血と肉の悲鳴に混じって、何かが脈打ち始めた。
(……ああ、来たな)
(オーガも——キマイラも——)
(阿修羅でぶっ飛ばしてきた)
(でも、こいつらは違う)
(“人間”で、ここまでやるかよ……)
(だったら……全部、叩き潰してやる!!)
「《阿修羅》発動——」
息をするたびに、血が溢れた。
それでも、ブラスの体は立ち上がる。
ブラスの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
代償は、寿命七年。
未来を七年分、削り捨てて。
——応急処置と、狂気の力を手に入れる。
それが、《阿修羅》。
心臓が焼けるように熱い。
骨が軋み、筋肉が膨張し、全身にあり得ないほどの魔力が逆流していく。
ブラスは、無理矢理動き始めた自分の肉体を、ぐっと噛み締めた。
「ああ……これが、最後の手札だ」
「——ッッ!!」
次の瞬間、ブラスの体から黒煙のような気迫が噴き上がった。
割れた肺が繋がる。破れた血管が無理やり閉じられる。
傷は塞がってなどいない。ただ”動けるように”なっただけだった。
そして、同時に——
ブラスの視界が、真っ赤に染まった。
呼吸が荒くなる。鼓動が爆音のように耳を打つ。
理性の閂が外れ、筋肉が、骨が、戦闘のためだけに再編成されていく。
眼前に立ちふさがるヴェルシュトラの戦士たち。
ギルド長のスキルによって強化された彼らは、呼吸も、足運びも、すべてが一糸乱れぬ統制のもとにあった。
個々の実力も申し分ない。下手なギルドの精鋭より、数段格上。
両手で斧を握りしめる。
その瞬間、地を蹴った。
ドンッッ!!
空気が弾けた。
目にも止まらぬ速度で、ブラスが敵陣へと飛び込む。
その一撃は、ただの斧撃ではなかった。
まるで、雷鳴と地震を合わせたような、暴力の塊だった。
敵兵が吹き飛ぶ。
鎧ごと砕かれ、盾ごと叩き潰され、魔力ごと粉砕される。
「な、なんだあれは……!!?」
「止めろ!!止め——があっ!!」
悲鳴と肉が潰れる音が、戦場に響いた。
阿修羅——それは、人の身で使うにはあまりにも過酷な、命の燃焼だった。
ブラスが吼えた。
「てめぇらァァァ、カタすぎんだよッ!!」
渾身の斧撃が、兵士の盾を粉砕し、その背後の鎧ごと叩き潰す。
「スキル盛りすぎなんだよ!! 何枚重ね着してんだァァァ!!!」
別の兵士が、素早く魔法障壁を展開した。
それをブラスは、ためらいもなく真っ向からぶち破る。
「この完璧主義者集団がぁああ!!! 息ピッタリすぎてキモいんだよ!!」
右から振り下ろされた槍を、身を翻して回避。
逆に柄を掴み、引きずり倒すと同時に、拳で兜ごと戦士を沈める。
「お前ら学校の体育祭かァァァ!!? 合わせすぎだバカヤロォォ!!」
さらに別方向から襲いかかる連携攻撃。
しかしブラスは、それすらも見切っていた。
「補助魔法のバーゲンセールかァァ!!?」
瓦礫が飛び、地が裂ける。
ブラスの進撃は止まらない。
阿修羅の力によって、彼の動きは鋭く、重く、そして——どこか、獣のように野太かった。
「だいたいなァァ!!!」
「管理して!統率して!指示して!……てめぇらの頭はねじ巻き人形かァァァ!!!」
最後に、振りかぶった斧を振り下ろす。
一撃で数人をまとめて吹き飛ばした。
「てめぇらァァァ!! 人の意思まで管理できると思うなァァァァ!!!」
戦場が、一瞬静まり返る。
ブラスの全身から、赤黒い闘気が立ち上っていた。
彼は——革命軍の象徴だった。
そして、怒りそのものだった。




