試す者、試される者
戦いの傷も癒え、久しぶりにヴィスのギルドに足を踏み入れると、そこはいつもと変わらない活気に満ちていた。酒場のようなざわめき、壁に貼られた無数の依頼書、そして報酬を求めて駆け回る冒険者たちの姿。
だが、クラフトたちがカウンターに向かうと、受付のギルド職員が妙に興奮した様子で駆け寄ってきた。
「クラフトさん! すごいですよ、ヴェルシュトラから指名依頼が来ました!」
「ヴェルシュトラ……?」
リディアが思わず反応し、クラフトは渡された封筒を確認する。
封蝋には見慣れたヴェルシュトラの紋章。
「ヴェルシュトラは、優秀な奴はどんどん出世させる主義ですからね」
横でキールが冷静に言う。
「試験代わりに依頼を投げるのはよくある話です」
「チャンスだって?」
ブラスが鼻を鳴らし、腕を組む。
「はっ、ヴェルシュトラに拾われるなんざ、俺はごめんだね」
「いや、でもヴェルシュトラってそんな簡単に目をつけるものなの?」
リディアが驚いたように言った。
「そう思いますか?」
キールがわずかに口元を歪める。
「私たちの実力なら、そろそろ目をつけられてもおかしくないですよ」
「そりゃあ当然でしょ〜?」
不意に、緩んだ声が背後から響いた。
「おやおや、ついにヴェルシュトラの目に留まっちゃったかぁ。さすが、オーガを仕留めた若者たちだねぇ」
振り向けば、酒瓶を片手に持った派手な衣装の男――オラクスが、相変わらずの気楽な笑みを浮かべながら近づいてきた。
その目は、酔いに霞んでいるようで、しかしどこか鋭く光る。
「まさか、お前が依頼を持ってきたわけじゃないだろうな?」
クラフトが疑わしげに尋ねると、オラクスは「いやいや」と手を振った。
「まさかぁ! 僕はただの情報屋。そういうお堅い仕事は苦手でねぇ。でもまぁ……」
オラクスは酒瓶を傾けながら、ちらりとクラフトたちを見回す。
「君たち、ヴェルシュトラに行くつもりなの?」
「別に決めたわけじゃねえよ」
ブラスが腕を組み、不機嫌そうに答える。
「でもさ、そもそも頂上って、どれくらい高いところにあるんだろうねぇ?」
「……は?」
リディアが眉をひそめる。
「いやいや、深い話なんだけどなぁ? ほら、雲の上の世界って憧れるだろ? でも、そこに登ってみたら思ったより風が強かった、みたいなこともあるし?」
オラクスの言葉の後、ブラスの表情がわずかに揺らぐ。
一瞬、目を伏せたが、すぐに鼻で笑い、いつもの調子に戻る。
「……まあな。風が強すぎると、うっかり吹き飛ばされちまうかもな」
オラクスは、その様子をじっと観察しながら、ゆるく微笑む。
「ま、どう転ぶかは、君たち次第さ」
そう言って、彼は酒瓶を掲げ、くるりと踵を返した。
「ヴェルシュトラの試験を、『試される場』と思うか、『試す場』と思うかってことさ」
その言葉を残し、オラクスはギルドの喧騒の中へと溶け込んでいった。
「……試す場、か」
クラフトが小さく呟く。
その時、キールが依頼書をめくりながら、細かい条件を確認する。
「……農村でのグリスラット討伐の依頼ですか」
「グリスラット?」リディアが首をかしげる。「どんなモンスター?」
キールが淡々と答える。「簡単に言うと、巨大なネズミです」
「……それは最高ね」リディアは苦笑いしながら、顔をしかめた。「私、ネズミは苦手なんだけど」
「ははっ、それは面白ぇな!」ブラスが肩を叩く。「剣より箒の方が役に立つんじゃねえか?」
「やめてよ、想像しただけで嫌になる」
ブラスは依頼書を覗き込み、報酬額を確認すると、顎に手を当てて少し考え込んだ。
「これ、本当に受けるのか?」
クラフトがまっすぐに答えた。「困ってる人がいるんだ。受けよう」
キールが書類を手に、冷静に言葉を継いだ。
「……報酬は悪くありません。それに、この依頼の規模を見る限り、ただの害獣駆除では済まない可能性がありますね」
「ま、デカいネズミくらい、俺の一撃で吹き飛ぶだろ!」ブラスが豪快に笑う。「問題は、リディアが戦えるかどうかだが……?」
「バカ言わないで」リディアはジト目で睨みつつ、ため息をついた。「やるしかないでしょ」
「よし、決まりだな!」ブラスが腕を組み、満足そうに頷いた。「じゃあ、ネズミ退治といこうぜ!」
リディアは心底嫌そうな顔をしながらも、肩をすくめてクラフトたちの後を追った。
「今回は長旅になるから、買い込まないとな」
クラフトが市場を見渡しながら、必要な物をリストアップする。
「ポーションに食料、保存のきく干し肉も欲しいな」
「ふふっ、それなら私の出番みたいね」
リディアが微笑むと、クラフトとキールは同時に顔を見合わせた。
「……また始まるな」
クラフトが静かに呟く。
「ええ、またです」
キールが淡々と答える。
「おい、今回はどんな手口を使うんだ?」
ブラスが待ちかねていたような表情だ。
「分かりません。ただリディアは市場の相場を動かす女ですからね」
キールが冷静に言い放つ。
市場は活気に満ち、商人たちの掛け声が飛び交う。
通りを行き交う人々の間をすり抜け、リディアは目当ての店へと向かった。
俺の名前はガイ。この市場で保存食とポーションを扱って十五年になる。
商売の基本はデータと確率だ。感情は誤差、情は損失。冷たいかもしれないが、それが生き残るための鉄則だ。
初めは何もわからなかった。価格設定も、仕入れの目利きも。帳簿は赤字の山で、毎晩数字とにらめっこしては吐き気がした。
「いらっしゃい! ポーション買っていけ!」
だがある時から、売れる商品の共通点が見えてきた。
年齢層、職業別、季節変動に加えて、客の目線の動きや声のトーンまで——。
すべて記録し、分析した。結果、今ではこの通り、棚ごとの売上は週単位で5%ずつ伸びている。
「こんにちは!」
そこに現れたのが、少女——リディアだった。
「お嬢ちゃん、今日は奮発するな?」
そのときだった。少女の動きがふと止まり、わずかに肩が落ちた。
「ええ、でも今回は少し特別なの」
「ん?特別?」
リディアは目を伏せ、わずかに肩を落とす。
「……妹のためなんです」
落ち着け、これは前振りだ。情に訴えてくるパターンだ。
あくまで平静を保て、俺。数字、数字を思い出せ!
「妹さんの?」
「はい。まだ十五で……車椅子なんです」
その瞬間、脳が反応した。なぜか、心拍数が一つ跳ねた。
「今度、アカデミアに通う予定で……学費も私が出してて。やっぱり、遠征のたびにお金が……」
言葉が、記憶を呼び覚ます。
かつて、俺が何も持ってなかった時。
自分のものを削ってでも、俺に食わせてくれたあの背中。
「だから、ちょっとだけでも装備を整えておきたくて……」
おいガイ、目が潤んでるぞ。嘘だろ!? これはただの値引きトラップだ!
数字......原価率は70%、利益を乗せなきゃ店が死ぬんだ。
「でも、やっぱり商売って……厳しいですよね」
「おじさんだって、きっとご苦労されて……」
……落ち着け。ガイ。原価率70%。回転数月30本。収益モデル、成り立ってる。
いける。まだ抗える。
……なのに。
気づけば、目からぽろぽろと涙がこぼれていた。
「三割引き……っ、いや、……四割で! 持ってけ……!」
「えっ、本当に!? ……ありがとう、おじさん……!」
グラフにも帳簿にも、この気持ちは書かれてなかった。
……どうやら俺の商売、今日から少し変わるらしい。
ガイは空を見上げた。
「太陽が眩しいぜ...」
市場の外で、リディアの仲間たちが呆然と立ち尽くしていたのを、俺は見なかったことにした。
市場の外――呆然とする仲間たち
外で待っていたクラフトとキールは、無言でリディアを見つめた。
「……またやりましたね」
キールが静かに呟く。
「うん」
クラフトが淡々と頷く。
「おいおい……」
ブラスが頭を抱えるように呟いた。
「泣き落としは初めて見たが……お前、ほんと容赦ねぇな」
リディアは微笑みながら、手に持った戦利品を誇らしげに掲げた。
「何のことかしら? 嘘はついてないわよ」
「……その言葉が一番怖い」
キールがため息をついた。
「さて、次は装備品ね!」
「……まだやるのか」
クラフトとキールはほぼ同時に声を上げた。
市場の喧騒の中、リディアの『交渉術』はまだ続きそうだった。
お読みいただき、ありがとうございました。
小さな物語ですが、どこかに残るものがあれば嬉しいです。
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