スキルが価値を生む世界
スキルこそが価値を生む。
それが、この世界の絶対的な原則であり、この社会の基盤だった。
かつて、この世界は貴族によって支配されていた。
彼らは「略奪スキル」と呼ばれる力を持ち、庶民が苦労して得たスキルを奪い、自らのものとしていた。
血筋こそが力であり、運命だった。
だが、英雄アイノールが現れ、歴史は変わった。
彼もまた、スキルを持たずに生まれた一人の庶民だった。
だが研鑽を重ね、仲間を得て、貴族制を打倒し、新たな秩序を築き上げた。
スキルは、努力と学びによって磨くもの。
才能がすべてを決めるのではなく、鍛えた者が報われる世界。
それが、今の社会だった。
ヴェルシュトラ――スキルの自由化と魔契約制度を整備した、新時代の中心ギルド。
スキルを担保に資金を得る魔契約制度により、金のない者でも学び、冒険し、事業を始めることができるようになった。
この制度に救われた者は多く、人々は今、人生を自らの手で切り開いている。
「才能がなくても、努力があればチャンスはある」
それは、誰もが実感している“希望”だった。
——そう、“誰もがそう思い込もうとしていた”。
俺も、リディアも、キールも。
でも、本当にそうだったのか?
そんな問いを抱いたのは、もっとずっと後のことだ。
そして、俺たちがそれを思い知るには――あまりにも遅すぎた。
クラフトたちが所属するギルド《ヴィス》は、街の中心部に構える中堅ギルドだ。
中小ギルドとしては規模も大きく、特に若手の育成に力を入れていることで知られている。
ギルドの中は、朝からにぎやかだった。
「よし! これで新しいスキル買えるぞ!」
「……お前、あの《斬撃強化》は?」
「……すまん、昨日の酒代に消えた」
「またかよ。お前!」
「それはそれ、これはこれ。明日のオレに任せとけって!」
スキルは財産であり、通貨であり、時に人生そのものだった。
誰もがスキルを売り、魔契約で融資をうけながら日々をやりくりしている――そんな光景が、このギルドの日常だ。
冒険者たちが依頼掲示板の前でざわつき、
別のテーブルでは、昨日の戦果を語る老練な剣士たちが酒瓶を傾けていた。
木の床が少し軋み、誰かの笑い声が響く。
リディアが金髪を揺らしながら、クラフトの隣で掲示板を眺めた。
「ゴブリン退治ねぇ。私たちみたいな前途ある若者がやるには、ちょっと地味すぎない?」
「雑魚だけど、楽に稼げるってもんだろ」
斧を軽々と担いだ巨漢――ブラスが、肩をすくめて言った。
「だったら真面目にやんなさいよ。あんた、いつも途中で適当に戦ってるでしょ」
「おいおい、適当って言うなよ。俺様は“戦場のスパイス”だぜ? 入れすぎても味が壊れるだろ?」
リディアがため息をつき、クラフトは苦笑いを浮かべる。
「……どんな依頼でも、やるべきことはやらないとな」
「クラフト相変わらず真面目すぎますよ」
肩越しに声をかけたのは、青い髪の青年――キール。
パーティ最年少にして、戦術支援・情報収集を担当する、頭脳派の仲間だ。
「クラフト、優しさは美徳ですが、非効率は損失です。一人当たりの労働時間とリスクを考えれば、これより効率の良い依頼はいくらでもあります。もっと合理的な選択をすべきかと」
「……でもさ、誰もやりたがらないからこそ、俺たちがやる意味もあるだろ?」
クラフトがそう言うと、キールはわずかに眉を寄せてため息をついた。
「あなたの博愛主義には感服します、……結果、依頼はこなしてるのに、財布だけが一貫して痩せてるんですよ。不思議ですね、ほんと」
少しだけクラフトの声のトーンが硬くなり、感情が滲む。
「……お前、本気で“優しさにも値段がある”なんて思ってるのか?」
クラフトとキールの間に、一瞬だけ沈黙が落ちた。
視線が交差し、言葉の重みだけが部屋に残る。
「あーもー、また“理想 vs 現実”の世紀の決戦……飽きないの?」
リディアは両手を叩き、うんざり顔で割って入った。慣れた様子で、まるで毎朝の習慣でもこなすように
「おまえら、子どもの頃からこの調子だったのか?」
ブラスがニヤリ笑うと、クラフトとキールは同時に眉をひそめた。
「だってよ、幼馴染で一緒に今までずっとパーティ組んでんだろ?」
リディアはため息混じりに肩をすくめる。
何十回と見てきたこのやり取りに、もはや苦笑すら浮かんでいた。
「そうよ......そして昔からずっとこの口論、回数でいったらもう無形文化財だわ」
「おやおや、若者たちが熱く語り合ってるねぇ〜」
背後から聞き覚えのある緩んだ声がした。
酒瓶を片手に、派手なマントをひるがえして現れたのは、情報屋のオラクス。
髪は相変わらず無造作に跳ね、目元は酔いのせいかとろんとしているが、その奥には油断ならない光が宿っていた。
「オラクス……今日は朝から飲んでるのか?」
クラフトが呆れたように言うと、
「ん〜? 昨日の夜から継続中〜♪」
「継続は力なり、という言葉を悪用した事例として、学術的に記録しておくべきですね」
キールがため息を漏らす。
「ねぇねぇ、洞窟って湿気がすごいんだよね。髪が広がるの、どうにかならない?」
「お前の髪なんて、元からくしゃくしゃじゃねえか」
ブラスが笑いながらツッコむと、オラクスは「うんうん」と頷いた。
「まあね、俺は人生の湿気にも負けずにここまで来たからさ」
「それ、いいセリフみたいに言ってるけど意味わからないからね?」
リディアが呆れ顔で呟いた。
「はっはっは、そういう日常が好きなんだよ。ノクスって、ちょうどいい緩さがあるっていうか」
「だったらゴブリン退治には来ないでね?」
リディアの言葉に、オラクスは肩をすくめる。
「行かない行かない。ただ、若者たちの成長を見届けるのも俺の仕事ってことで」
「どんな情報屋だよ……」
クラフトが呟いた。
「それにさぁ......」
オラクスはふらふらと歩み寄り、ブラスのすぐ隣に立った。
酒瓶を傾けるふりをしながら、低い声で囁く。
「沈黙は美徳だよ。……ねぇブラスくん、おしゃべりだと損することもあるでしょ?……ま、知ってるよね?」
ブラスの笑顔が一瞬だけ引きつる。
「……あ?」
オラクスは、さっきまでの軽薄な笑みをふっと引っ込め、
真剣な色を瞳に浮かべてブラスに目を向けた。
その瞬間、彼の声の温度がわずかに下がる。
「“言えない”のは仕方ない。でもな——隙を突いて“言ってしまう”と、今の仲間が巻き込まれるかもしれないんだ」
「君が守りたい相手なら、なおさら慎重にね。……伝わるよね?」
「……チッ」
ブラスは言葉を返さず、オラクスを睨むように見返した。目の奥に、苦々しいものが滲んでいた。
オラクスは、ひらひらと手を振って酒瓶を掲げた。
「それじゃ、良い依頼日和を! ゴブリンたちによろしく!」
ブラスが笑いながら斧を担ぎ直す。
「よっしゃ、出発だな!雑魚だろうと依頼は依頼!」
「真面目にやってね!」
リディアがブラスの背中に念を押し、クラフトも続くように歩き出す。
「まぁまずは買い出しだな」
キールが静かに頷いた。
こうして、ノクスの一行は軽口を叩き合いながらも、次なる依頼へと向かっていった。
希望のある世界で。努力が報われると信じられる世界で、彼らの歩みは、静かに始まった。
⸻だか彼らは知らなかった。まもなく市場が、一人の少女によって静かに制圧されることを。
お読みいただき、ありがとうございました。
小さな物語ですが、どこかに残るものがあれば嬉しいです。
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