隣人は殺人者? 《イリ ーガル ~バイト探偵は今日も仮面を被る~》
「あのう。あなたは視える人ですか?」
出会ってしょっぱな。挨拶の後にでた彼女の質問がそれでした。
「みみみ・・視えません!」
私はちょっとどもりながら答えた。先輩がジト目で私の顔を見る。
「あのう。それはどういう意味ですか?」
先輩は落ち着いた口調で問いを返した。
私の名は由井柚葉。
田舎の高校から東京の大学に入り、親の反対を押し切って女優になるべく、(バイトにいそしみつつ)小さい劇団で活動を続けている。(まだ端役しかもらった事ないけど。)
先輩は高校の時の2個上の先輩で、弱小ながら県の大会では上位を占め、何回かの全国大会出場経験を持つと言う演劇名門高(?)に在籍していた。
その中でも先輩の芝居は群を抜いていた。そうだなあ、俗に”憑依型”と呼ばれる役者で、自分で設定した役になってしまうタイプ。
そして私はそんな先輩に憧れつつ、仄かな恋心を抱いたものだ。
とはいえ、今は先輩の隣にいるけど、先輩と付き合ってるわけじゃない。
これもバイトの一つなのだ。
東京での先輩との出会いは、まさに奇跡で衝撃的なものだった。
繁華街で突然出会い、そのままラブホに連れて行かれた。身の危険を感じつつも、もしそうなったらそれでもいいや的な、ちょっぴり素敵な乙女心をこの野暮天は理解するはずもなく、部屋に入るなり先輩は隣室の盗聴を始めた!
そう、先輩は探偵になっていた。(非正規採用だけど。)
その時に起こった出来事については、いずれまた話す機会もあるだろう・・・と思う。(私はワトソンか?)
「来るんです・・。」
依頼主の彼女は青ざめた顔をして答えた。
「来るとは? 何がですか?」
「毎晩、毎晩。私が眠ると夜中に血みどろの女の幽霊が私に覆いかぶさって来るんです。そして、『憎い・・。』とか『殺してやる・・。』とか言うんです。」
彼女は本当に怯えている様子で、涙まで流していた。
本当なら探偵の仕事とはかかわりの無い話だ。『神社仏閣に行っけーーー!!』と言うのが本心であろう。どうしてこんな仕事を受けたのか、私には謎。
でも先輩はボスの命令に忠実ある。やや怯えたふりをしつつも、冷静に依頼者の話を聞いている。多分・・・もうすでに入っている。
「そして、ある日。聞いてみたんです。誰が憎いのか? 誰に殺されたのか? そうしたらその女の人はプイと横を向いて、恐ろしい顔つきで悔しそうに涙を流すんです。」
「なるほど、なるほど。それで医者に行ったんですね。」
彼女は一瞬面食らった表情をしたが、素直に頷いた。
彼女は結構派手目の美人顔である。それが目の下にうっすらと隈まで出来てる。聞くところによると、バツイチの30代。仕事は美容師らしい。
(正確にはメイクアップアーティスト)
「でも、医者に行く前からあの女の人は来てたんです。」
「ええ、分かっていますよ。それはさぞお辛い経験でしたね。」
「・・ありがとうございます。それで、神社とかお寺とかにも行ったんですけど、全然変わらなくて・・藁にもすがる思いでそちらにお願いしたんです。」
もし! 殺人犯が捕まれば!!
もう二度と自分の所には来ないんじゃないか!?
と言うのが、彼女の言い分である。
とは言え、探偵が殺人事件を捜査するなんてのは現実世界ではありえないのである。そもそも捜査権と言う物がない。子供が事件を解決するなんて、本当は異世界での話である。(そりゃね、おもしろいんだけどもね。)
先輩はおもむろに立ち上がると、部屋の中を見回した。
「少し、お部屋を拝見させていただいてよろしいですか?」
「ええ・・どうぞ。祈禱師さんは東北東に霊の通り道があるとかで、お札を貼って行ってくれたんですが・・・」
「ああ。あれですね。」
先輩は珍しそうにお札を眺めている。
彼女の部屋はごくありふれたマンションの2LDK。5階の東から2番目にある。玄関を入ると右手にバストイレ、キッチンと連なりダイニングとなる。入り口左手側と右奥に洋間があり、ウォーキングクローゼットまである。1Kのアパート暮らしの私にとっては、羨ましい限りである。
「寝室はこちらですか?」
彼女はコクンと肯く。
「拝見させていただいても?」
「ええ。どうぞ。散らかってますけど・・。」
私も先輩に同行して彼女の部屋を見せてもらった。彼女も立ち上がり、私たちの後ろに立った。
(うわぁ、欲しかったヤツだ。)
先輩はベッドと窓を交互に見比べているが、私の目は棚に置かれているブランド物のバッグから目が離せない。そう言えば靴もブランド品が並んでいた。
「ここで寝ていらして、その女の人はそっちを向くんですね。」
「ええ。」
ベッドの脇は壁である。
頭を向けている方向はベランダで、先輩はサッシを開けてベランダに出た。鍵は2重ロックで、揺らしたくらいでは開きそうもない。ベランダから見える向かいのマンションからは道を挟んでおり、飛び移るにはアメコミのヒーローでなければ無理があった。
もちろん、左右の仕切りを越えて侵入するという事は可能かもしれないが、左右の部屋には隣人が居る。隣人が侵入してくる可能性は0ではないけれど、それは命懸けであろう。
先輩は部屋に戻ると、サッシを閉める。
「すると、こちらの方向を向いたという事は、こちら側にその女性を殺した犯人が居るという事でしょうか?」
先輩は腕組みして、じっと壁を見ている。
彼女は割り切れないような表情をしながら「はあ・・。」とだけ言った。
「ちなみに、お隣はどんな方が住んでいらっしゃるんです?」
「男性の方のようですけど、よく知らなくて・・。」
まあ、よくあるあるである。
「分かりました。ではお力になれるか分かりませんが、出来る限りの事はやってみましょう。」
先輩は丁寧な口調で彼女にそう言った。
「ありがとうございます。やっぱり断られるかと・・・」
彼女が泣き崩れたのにはびっくりした。余程悩んでいたのだろうと思うと私も力になってやりたいと思った。
「お察しします。ですが、お薬は用法を守ってお飲みになる事です。時々はお電話させていただきますので、吉報をお待ちください。」
(こいつ、いい加減な事を言ってるな。)とは口が裂けても言えない。私はバイトのバイトなのである。
第一、幽霊の訴え(依頼主は人間ですけど)を真に受けて捜査する探偵がいるのか? そもそも殺人事件と断定したわけではない。古今東西の名探偵なら、『何か引っかかるものを感じたんだ。』とか言うんだろうけど、私には分からないので、後で聞いてみる事にする。
「で、どうするんですか?」
廊下に出ての第一声は、ちょっとフテ気味のセリフだった、
「まあ、隣の人に話を聞いてみようか。」
先輩は髪に櫛を入れて、伊達メガネをかけ替える。先輩曰く『変装じゃない。』らしい。実際、それほど変わり映えしない。先輩にとってはメイクみたいなものか。
彼女のマンションは片面に壁は無く、吹き抜けの通路となっている。そしてその反対側に5棟の住居が真横に連なっていた。彼女の部屋はエレベーターから2番目だから、幽霊の向いた方には3軒ある訳だ。
(やっぱり3人の容疑者ですか。)
そう思っている最中に、すでに先輩はインターホンを押していた。
「初めまして。私、弁護士の鈴木と申します。」
セリフの物言いは柔らかだけど、しんなりとした堅さを持っている。
ドアを開けた男性は、訝しそうに先輩を見ている。
「弁護士の方が、なにか用ですか?」
多分、3年は洗ってないだろうと言う感じの頭をボリボリと掻く。
(うーん。絶対ミスリードさせるタイプのキャラね。)
「実は、上の階の方から騒音の苦情がありまして、私どもが近隣の方のお部屋を拝見させていただいております。どうかご理解の上、ご協力願えませんでしょうか?」
先輩の演技に合わせて、私も弁護士みたいなイメージで挨拶した。今日はスーツで来いと言われた訳がなんとなく分かった。
「ふーん。まあいいですけど、見るだけにしてくださいよ。」
部屋に入ると先輩は、穏やかな口調で音が出そうな物を物色しては質問した。マンションの作りは同じような物だから、私はキッチンを見て回ろうとして・・・
「ギャアアアア!!!」
先輩と男性は驚いて駆け付けたが、男性は気まずそうにその物体を隠した。
それは、赤い人間の目玉だったのである。
「それは?」
「いや、これは。・・うっかりしてた。」
「まさか、本物ですか?」
「まさか! 違いますよ。」
「見せてください。」
男性はバツが悪そうに手に持った赤い瞳の目玉を出して見せた。
先輩はそれを手に取り、しげしげと眺める。
「よくできてますねー。これはあれですか?」
先輩の顔はいかつい顔から、にっこりとした笑顔に移行した。
「僕も好きでね。ファンなんです。」
「俺は仕事だからやってるけど。ま、あれは面白いよな。」
洋間の一室には黒い祭壇と瓶に入った緋色の目玉が飾られてあった。私は知らなかったが、これはある漫画のワンシーンを模した物らしい。彼は造形師と称して、いろんなものを作っているのだそうで、その道ではけっこう有名なんだそうだ。別に工房もあるのだそうだが、自宅でも作るらしい。
「コンプレッサーなんかも使うから、それが原因かなあ・・。」
男性はボリボリと頭を掻く。探偵なら金田一耕助だろうか? (和服ではないのだけれど。)
「でも気に入らないんだよね、これ。」
「なんだか嘘くさいって感じですか?」
「そうなんだよなあ。情念みたいなものが感じらんないンだわ。どっかに本物の死体でも転がっててれば、感じがつかめるんだけどね。」
(こいつ・・アブナイヤツ・・)
偽物の金田一耕助の隣はまたも男性の一人暮らしだった。
「すいません。早くしてくださいよ。これから人に会うんで。」
マッチョな感じのごつい彼は、きちんとしたスーツ姿である。
「デートですか?」
「違います。僕、失業しちゃって、就活の真っ最中なんスよ。」
探偵が巧みに話を聞きだすと、どうもブラックな会社だったらしく・・
「ちょっと揉めちゃって、つい・・」とゴツイ兄ちゃんは右手の拳をさすった。
これなら痴情のもつれで殺人を犯しかねないだろう。
(第2の容疑者である。)
部屋の中にはバーベルだのダンベルだの凶器になりそうな鈍器がいくつも置かれていた。
「こちらの女性は?」
兄ちゃんは角刈りの頭に手をあてて、「いやあ。」と顔を真っ赤にした。付き合い始めて1ヶ月らしい。被害者の女性が幽霊になって現れるようになった頃と一致する。
これはもしかして・・・そう言えば、被害者の女性は血みどろだったと言う。ダンベルで頭でも殴られたのか!?
「何、妄想にふけってるんだ、バカ。」
と私に気づいた先輩の視線がそう言っていた。
「毎晩、筋トレしてるんスよ。金が無いからジムもやめちゃって。そんな時に知り合ったのが彼女だったんです。」
ちょっとだけうっとりした顔をしている。妄想にふけってるんじゃないか? こいつも。
「毎晩ですか?」
「あ、いえ、それでも、騒音は出さないように気を使ってますよ。」
「これもお使いに。」
先輩は立てかけてあるランニングマシンを見る。
「あ、いや、それは・・。毎日じゃないです。それに、上の階の方ですよね。下なら分かりますけど、上に響くわけがないじゃないですか。」
男はちょっと憤慨したようだ。
「何とも言えませんね。建物の構造上振動が上によく伝わっていたケースもありますから。」
「じゃあ、もういいでしょう。訴えるなら勝手にやってください。僕は出かけますから出てってください。」
一番端の部屋は不在だった。
しかし、その部屋の住人は依頼者の東隣の住人が知っていた。
「ええ、知ってますよ。御園さんでしょ。旦那と同じ会社の同僚なの。」
依頼者の隣人は眼鏡をかけた人の良さそうなおばさんである。50代に差し掛かろうかという年齢のようだ。
「うちの子供が小さい時は、そりゃ騒いだりもしましたよ。でも今は高校生でしょ。騒音で人様にご迷惑をかけるような事はありませんけどねえ。」
とはいえ、一応は部屋に寄せてもらった。
今日は日曜日で旦那は笑顔を浮かべて応対してくれた。
「御園さんはたまにスーパーで会ったりしてましたけど、最近は会ってないわねえ。彼女元気?」
「いや、もしかしたら辞めちゃったかもしれないなあ。会社でも見なくなったよ。」
白髪混じりのおじさんは右上を見て、何かを思い出すように言った。
「息子さんは今、どうしてるんですか?」
「塾に行ってますわ。来年は受験ですもの。」
息子さんの部屋も見せてもらったが、騒音が出るような物は何もなかった。奥さんの言った通り、本棚には参考書の類が並べられ、壁にはアイドルのポスターが貼られていた。
「確かに騒音が出そうな物は何もありませんでしたね。ご協力ありがとうございました。」
私たちは部屋を出て、エレベーターに乗る。
先輩は結構無口になっていた。
エレベーターを出るとホールのあちこちを見回し、何かを見つけてじっと見ている。そこには管理会社の張り紙があって、清掃業者などの連絡先が書いてあった。
「先輩、何か閃いたんですか?」
「バカか、お前。俺はシャーロックホームズじゃねえっての。」
そうだけど、名探偵は何気ない物からヒントを得て、事件を解決するのが決まりである。
「車に戻るぞー。」
車に戻ると先輩は、私にスマホを渡してこう言った。
「今日会った連中の顔写真を撮ってくれ。俺はちょっと会社に行ってくる。」
「何か閃いたんですね!」
「ちげーよ。ただちょっと気になった事があってさー。」
出た! 出ましたよ、お決まりのセリフです。そしてもう一回問いかけると、決して言わないんだよねー、これが。
「気になった事って何ですか?」
一応流れで聞いてみる。
「何で社長がこの仕事を受けたかだよ。」
「へ?」
思いがけない答えだった。
「普通さ、こういう依頼ってやんわり断るだろ。探偵の仕事じゃないし、カネになりそうもない。それが何で社長の耳に入って、俺らが出張んなきゃなんなくなったのか、それが知りたい。」
身も蓋もない返事である。これでは名探偵失格。
「でもさっきは『吉報をお待ちください。』とかなんとか言ってたじゃないですか。」
「キャビネットの上にブロチゾラムがあったろ。」
「ブ・・なんですか、それ?」
「薬だよ。睡眠導入剤だ。飲み過ぎれば害になる。」
「死んじゃう・・って事ですか?」
「幻覚を見たりする事もある。」
「じゃあ、全部妄想ってことですか?」
「・・そうじゃない。薬は後から処方されてた。」
(そういえば。)
「んー。社長の答え次第じゃ、このままフェードアウトかな・・。」
「殺人事件ですよ!」
「バーカ。幽霊は出てるかもしれないけどな。どこで殺人事件があったんだよ。なんか妄想すごくないか、お前。」
呆れた顔で先輩は私の顔を見た。
確かにその通りだ。ならなんで捜査を続行するような素振りをするんだ?
「まあ、社長の顔を潰さねーようにはしないとな。」
先輩は車のドアを開けて外へ出た。
「終わったら、マンションへ来てくれ。じゃあな。」
「ちょ、ちょっと待って!」
先輩は聞こえないふりをして、後ろ姿で手を振った。
********
「はい。頼まれてた写真です。」
私はスマホを寝そべっている先輩の上に投げつけた。
先輩はニヤニヤしながらそれを取ると、ソファーからパソコンデスクに向かう。
「おかえりーー。だいぶお冠だね。」
「当たり前ですよ。7時間ですよ、7時間! やっと全員撮り終わったのが!」
「腹減ったろう。冷蔵庫にピザあるから、チンして食べな。」
(暖簾に腕押し! 糠に釘!)
私はキッチンに向かうと冷蔵庫を開けて、ピザを取り出し、レンジに入れる。ついでに缶ビールも拝借する。
「お前もここに越して来たらどうよ。」
これは、一緒に暮らそうとか、結婚しようとかの類ではない。
確かに、このマンションは豪華だ。
先輩は探偵社の社長の計らいで、この豪華なマンションの一室で暮らしている。しかも管理人なので家賃は無い。
「空きは今、結構あるよー。」
「ぜーーーったいにお断りです。」
私は缶ビールをぐいと飲んだ。重労働の後の一杯は格別だ。たとえおちょくられていようともだ!
そうとも! タダでもこんな所はお断りだ!
探偵社の社長の本業は葬儀屋さんである。そしてここは。。。
「住人はみんないい人ばかりだよー。静かだし、文句も言わないし。」
当たり前だ。ここは死体安置マンションなのだから。
都内では死者の数に火葬場の数が追い付かない。そこで、一時的に死体を安置する場所が必要になっている。ここはその一つで、中古マンションをリノベーションして死体安置所にしたのである。今いる部屋の隣には、監視用のモニター室になっていて、いくつものモニターが各部屋と廊下を映し出している。
で、問題はそこからだけど。
時々、ドアが開いたり、物音がしたり、照明が明滅したり・・・(か、どうかは知らないけれど)視える人には視えるかもしれないマンションなのだ。
ただここに居るだけでなんとなく背筋が寒い。
エアコンのせいでは決して無いのだ!
「ところで、先輩。社長は何て言ってたんですか?」
「説明すると長くなるな・・。一言『オレの勘だ!』って言ってチョン。」
「いつものヤツですかぁ。」
社長の本業はけっこう羽振りが良いらしく、ハードボイルド大好きな彼は探偵社を道楽で設立したのだが、これが大当たり。今では都内でも10指に入る探偵社に成長したらしい。
他にも清掃業や産廃業にも手を伸ばしているようだから、お金はたくさんあるに違いない。羨ましい限りである。
因みに探偵業と言うのは、普通に浮気調査や身元の調査などが業務の90%以上な訳だけど、たまに変わった調査も引き受ける事がある。犯罪にかかわる事も稀にあって、正道の調査だけではできない事が時にはあるらしい。そういう依頼は社長が独断で取り仕切り、会社の正規の事業としてではなく、個人の趣味として引き受けられるのだそうだ。
そこでいつでも尻尾が切れるように非正規の探偵が必要になったという訳。
だから先輩も自分を守るために本名を明かさない。探偵社の名刺ですら偽名である。(それってヤバくないかといつも思う)
パソコンの画面にいくつもの写真が並んでいる。どれもあの目玉の男の写真だ。
「センパイ。いつの間にこんなに写真を集めたんですか?」
「集めてないよ。」
「だって、これ?」
なんと学生時代はおろか、おそらく幼児の頃の写真まである。
「ひょっとして、これがハッカーって言うヤツですか!」
「違ぇーよ。それを言うならハッキング。」
「じゃあ、これっていったい何なんですか?」
「こいつは顔認証検索サイト。顔認証でネット上に載っている写真を数秒で集めちゃうシロモノでね。これで大体のプロフィールなら分かっちまう。」
「うっそー! マジすか? でもそれって、おちおち写真もアップできないって事じゃないですかー!」
「そだよ。」
先輩はのほほんと私のピザを召し上がった。
「あー! あたしのピザ!!」
「冷凍庫にまだあるって。」
「たく、もう、油断も隙もありゃしないんだからー!」
私は冷凍庫のピザを出すと、ふたたびレンジに入れた。
「はーい、オッケーでーす! 休憩入れよっか。」
演出の長谷川さんが稽古の休止を告げると、みんな思い思いの場所に移動して休憩に入った。。
「オッケー・・かあ・・。」
今のシーン。先輩なら絶対にオッケーとは言わないだろう。恋人が夜の街を歩くシーンで女性が別れを言い出す。歩くと言ってもその場で動かず、背景のモブたちがマイムで色んな情景を作り出しているシーンだ。
酔っ払いがタクシーを止めたり、花屋の店がシャッターを降ろしたり、ただ通り過ぎていく人がいたり・・・。だけどみんなモブだから本気で演技していない。ただおざなりにそれとなく演技している。
例えば酔っ払いが、タクシーを止めようとしてタクシーに逃げられ、毒舌を言い放つ。マイムだから台詞は無いし、シルエットになる予定だから適当だ。
「いいか、酔っぱらって足元がふらついてる。気づくとタクシーが見える。それを停めようとするだろ。いつタクシーに気づいた? 車はどこを走ってる? タクシーはスピードを上げたのか? それとも速度を落としたけれどスピードを上げて走り去ったのか? モブだからって適当にやりゃ全体のリアリティが霞むだろうが!」
という具合に言うだろう。
でもモブの一人として、私が同じような事を言えば、長谷川さんはムスッっとして「ザコが偉そうに言うなあ。」と偉そうに言うに決まっているのだ。
そろそろ見切りをつけて別の劇団にいこうかなあ・・とか考えていると、ラインが入っているのに気づいた。
先輩からだ。
たった一言「デートしよ。」(直訳:暇ならバイトに来ないか)である。多分この調子ならあと1時間ほどで稽古は終わるだろう。つまらないし、行ってみる事にした。
某駅から徒歩で15分。
閑静な住宅街の中、広々とした豪邸が立っていた。
門の所に不動産業者の看板が掛かっていて、売地と書かれている。夕暮れにはまだ間があるけれど、住宅街の中とはいえ何となく寂しい。鉄の門扉の奥にはいくつかの木が立っていて、草刈りもされていないからうっそうとした茂みになっていた。
「こんな所に何かあるんですか?」
「まあ、入ってから説明するよ。」
先輩は門扉の鍵を開けて中に入る。気づくと手袋を付けていた。
(これはヤバイやつだ!)
脳内にアドレナリンが分泌され、ちょっとした興奮状態になる。
「ほれ。」
先輩が軍手を私によこす。(指紋を残すなって事か・・。)と、いう事はこれって泥棒でしょうか!?
少なくとも不法占拠・・え・・と、何だっけかな?
小道を歩いて玄関まで行くと、先輩は庭の方へと歩みを進めた。やだやだ、やぶ蚊がぷ~んと飛んでいる。
先輩は雨戸の閉まった母屋の所まで来ると、庭の木をじっと見ている。私もつられて見ると庭の木の枝に一本のナイロンロープがぶら下がっていた。それが風も無いのにゆらゆらと揺れている。
「何なんですか、あれ。」
「後で説明するけど、この写真、何だかわかるか?」
先輩のスマホを見ると、30代半ばくらいの女性がほほ笑んでいた。
「誰です、この人?」
「幽霊。」
事も無げに言うけど、意味不明だし、気味が悪い。それに生きてる人なら失礼と言う物だろう。
「依頼主にこの写真を見せたら、驚いてたよ。毎晩、彼女の所に来てたのはこの人らしいね。」
「そんな、何かの間違いじゃないんですか?」
「多分ね。でも、もしかすると本当かもしれないよ。ちょっと座ろうか。」
旧家だったらしく、縁側に縁石がある。ちょっと低いがそこに座った。
先輩は双眼鏡を取り出して、ロープのぶら下がった木の方を眺めている。車の走っていく音が塀の向こうでする。小鳥の囀りが平和だった。
ふと考えた。先輩と結婚してこんな家に棲んだら、年を取ってこんな風に縁側で日向ぼっこでもするのかなあ・・などと。いやいや、そんな事はありえないぞ柚葉。
「もったいぶらないで教えてくださいよ。あそこに何があるんですか?」
「・・・確証は無いけど、たぶん死体が埋まってる。」
「え?」
「ほら、ロープの下にブロックが転がってるだろ。遠くてよくは見えないけど、黒いシミみたいなのがついてる。それにすぐそばの草の生え方が違うだろ。」
確かによく見ると雑草が生い茂っていない所がある。
え? 自分、両手を見る。軍手がはまっている。
「もしかして! 私に掘らせる気ですか!」
先輩は双眼鏡を外して、ニカッと笑った。
「ぜーーーったいに嫌! ですからねーー!!」
「大声出すなよ。一応不法侵入なんだからさあ。それに、お前にそんな事はさせねーよ。」
ちょっとだけ、ウキウキしてしまう私はバカだ。
何か言うとベソ掻きそうなので、軍手の両手を突き出した。
「指紋残したくないからだろ、それだけ。分かったか。」
私がコクンと肯くと、先輩は私の頭に手を置いた。
「駅前に旨いラーメン屋があるんだ。こっちは鑪さんにでも相談してみるから、今日は飯食って帰ろうか。」
「鑪・・さんって、あの刑事さんの事?」
「ああ。」
私にはあまり良い印象がない。金に汚いし、しつこいし、加齢臭臭いし・・。
先輩は立ち上がると、ボーっとしている私に向かって手を差し伸べた、私はちょっと戸惑いつつ、つられるように先輩の手を握った。
「いいか、お前の役は地方の片田舎から出て来た30代半ばの女性だ。内気でこれと言った取柄も無く、子供の頃にはいじめられていたかもしれない。きっと恋愛経験も少ないだろう。そんな彼女が会社の上司に優しくされて身も心も委ねてしまった。不倫だという事は十分に承知していたが、それでもいつの間にか諦めきれない存在になっていた。それを踏まえてすすり泣いてくれ。」
「は・・い。・・・・・え。。と・・」
「どうした?」
ここは先輩の部屋。先輩はこれからある人物に電話を掛ける。その背後ですすり泣いたり、恨み言を呟いたりしろと言うのである。
これでも私は女優(・・・の卵)である。どんな役でもやり切れる自信はあるけれど、先輩には何度もダメ出しを喰らっている。
そして
「で・・・できません・・。」
先輩の鬼のような目が私をギロリと睨んだ。
「あの・・ごめんなさい。分かりません。」
けっこう泣きそうである。
先輩の口元がふっと緩んだ。
「当たり前だ。人は皆違う。表面だけで演じるな。お前のイメージでやるのは当然としても、お前の中に人物のイメージがあるとないとでは表現のリアリティが違ってくるとオレは思う。だからプロフィールを話した。その人物像を自分で考えて作り上げるんだ。正解は無い。お前の正解はお前が作るんだ。」
「わ・・分かりました。」
役者はマゾだと思う。無理難題を出され、苦しみ藻掻きやっと表現できても意地悪な演出にダメを出される。それでまた藻掻く。しかし、それが快感となって病みつきになるのだ。
それに、優れた演出の元でなら、出来上がりが全然違ってくる。
何度かの練習の後で細かい打ち合わせに入る。本番は1回こっきりの勝負だ。それが今回は3回ある。先輩の役は2人。実在の人物もあれば、架空の人物もある。電話のどのタイミングでどういう声を入れるのかメモを書く。正式ではないが自分で自分の脚本を書いているようなものだ。
実は先日、二人で高杉不動産という所に行って、あの死体が埋まっているかもしれない豪邸を買う素振りを見せた。三日後には内見の予約まで入れてきている。だから油断は禁物である。先輩は声色も変えるが、話し方やクセまで作りこみ、関西のボンボンらしく振舞っていた。本人に電話しても感づかれることはまずないだろう。でも、私は、ちょっと・・・。
でも、やる。
女優として一人前になるために!
「緊張しすぎだ。深呼吸しろ。」
先輩は私の深呼吸が終わるのを見届けると、並べてあるスマホの一つに手を伸ばした。
開演のベルが私の頭の中で鳴り響いた。
********
「お陰様で、あれから出なくなったんです。」
最初に会った時は、やつれて目の下にうっすらとクマまで作っていたのに、今はとても健康そうに見えた。にこやかに笑う彼女はとても嬉しそうだった。
「それは良かったですね。お元気になられて何よりです。」
先輩はにこやかに、ほほ笑みを返した。
「それにしても大変でしたね。まさかお隣の方が逮捕されるなんて。驚いたでしょう。」
「ええ、本当にビックリしましたよ。いきなり警察が来て、家宅捜索してくなんて思わなかったし、私もインタビューされるなんて思ってもいませんでした。」
インタビューはマスコミで、警察は聞き込みだと思うが、あえて突っ込まないことにした。
「でも殺人犯が隣に住んでるなんてねえ。私もなんだか気味が悪くて、お隣の奥さんはどこかへ引っ越してしまったし、私も引っ越そうかと考えてるんですよね~。」
「まだ殺人犯とは決まった訳ではなさそうですけどね。それと、今回の調査の内容と、費用のご請求明細です。」
先輩は茶色い封筒を彼女に差し出した。
先日、先輩が電話した相手と言うのは依頼主である彼女の隣の大槻和正さんである。
大槻さんは先輩からの電話で怯え、あの廃屋に急いで出かけて死体を掘り返した。別の場所に埋めるつもりだったらしい。そうしなければ逮捕されることも無かったのだろうけれど、そうせずにはいられなかったのだろう。もちろん、そう仕向けたのは先輩の仕業だし、私も別の役で大槻さんに電話した。
「推測だけど、御園さんは自殺しようとしてロープが切れたんじゃないかな。そして運悪く踏み台にしてたブロックに頭をぶつけて亡くなった。多分、呼び出されていたんだろうけど、大槻さんが怖くなって彼女の死体を埋めたんだろう。」
先輩曰く。だから殺人ではなく、死体遺棄。
「どうしてそんな事が?」
「大槻さんは『最近は見ていない。』と言ったけど、直属の上司でいつも顔を合わせる立場にいながら、見ていないと言うのは変じゃないか。」
そう言えばあの時、大槻さんは何気に右上を見て答えていた。人は嘘をつくとき、右上を見るケースが多い。(誰かの受け売りだけど)
「調べてみたら御園さんは既に退職していた。その退職願を受理したのも大槻さん。それで、御園さんの部屋に入ると、部屋はきれいに整理されていてテーブルの上に彼女のスマホが置かれてあった。見ると中には遺書。そして大槻さんと仲睦まじい写真が何枚も出て来た。どうもあの廃屋で逢瀬を重ねていたみたいだね。」
ここまでやるのに、いくつもの犯罪を重ねて来た先輩である。(マジか~・・)
あの時、清掃会社の看板を見ていたのは、社長の系列会社の看板だったからで、おそらくバイトで入り込み、管理人室から合いかぎを拝借(盗んで)して部屋に入り込んだのだろう。
あの廃屋にも下見に行って、合い鍵をどうにかして作ったに違いない。後は彼をビビらせ、内見に行くという期限を切り、その中で鑪刑事をうまく使ったのであろう。まるでミステリー劇の公演を演出したかのようである。
「これって、どういう事ですか?」
彼女は荒らしく封筒の中身を叩きつけた。
請求書の備考の欄に、『貴方が殺した』と書かれていた。
「言いがかりは止めてください! 幽霊は本当に来たんです!」
先輩は平然とその紙を見つめている。
「・・それが本当だとしても、貴方が二人を強請っていたのは事実じゃないんですか? 警察があなたに辿り着くのは時間の問題です。」
その言葉を聞いて彼女は立ち上がったが、項垂れたまま絶句した。
先輩の調査は御園さんと依頼主の彼女との関係まで調べ上げていた。御園さんと彼女は同じ高校での同級生だった。彼女は御園さんのボス的立場にいたようで、高校時代はだいぶイジメていたらしい。やがて彼女は大学へ、御園さんは就職していったんはその関係が途切れたものの、偶然にも同じマンションの隣人になって、元の関係が復活したのだった。
「請求金額は支払えるうちに、お振込みを願います。」
先輩は氷のような表情のまま席を立つと、そのまま外に出た。
外は清々しい青空である。
禍々しい所から出て来たせいか、私も清々しい。
「隣人が犯人だなんて、そんな事もあるんですねえ。」
「あるさ。」
そう言えば、私の隣で歩いている人も犯罪者である。(まだ捕まってないけど・・)
「幽霊騒ぎはお芝居だったんですねー。素人なのに、すっかり騙されちゃいましたね。」
「誰でも演技はする。けれど誰も気づいていないだけさ。」
「嘘の幽霊にビビッて損しちゃったなあ。」
「そうとも限らないさ。毎晩来たかどうかは分からないけどね。死んでしまったのは彼女にとっても誤算だったろうし、本当に怖かったんだと思うよ。」
「じゃあなんで、幽霊は犯人が隣にいるのに、逆方向を向いたんですか?」
「わかんないなあ。間違いなのか、嘘なのか・・。待てよ、もし本当だとしたら・・。」
先輩はいつもの先輩に戻っていた。
歩道を二人で歩いていると、前から幅広の帽子を目深に被った女性がすれ違いざまに私たちに会釈して通り過ぎた。
「お知合いですか、先輩。」
先輩はふと気づいたように振り返る。
そしてその女性を見送りながら先輩が話しかけて来た。
「・・なあ。もし自分を殺した相手を告発するとして、憎くてたまらないけど愛してる。その時、人はどうするだろう? 愛と憎悪に苛まれてどっちを向くか・・・。お前ならどう演技する?」
私は・・それどころでは・・・・・なかった・・。
なぜって?
だって、消えちゃたンだもの! 歩いてたのに!!
隣人がテーマと言う事で、書いてみました。本編のイリーガルについては、第1話を書いたきりでまだ眠ったままです。
僕はミステリードラマは好きだけど、自分でトリックを考えたりするのは苦手で、なんとかごまかしつつ書いてみました。お楽しみいただけたら嬉しいです。
さて、現実の話ですけれど、隣人が事件の犯人というのは結構あるようです。性犯罪などでも調べると隣の人が犯人だったなんてのはザラにあるようですので女性の一人暮らしの方はお気を付けくださいね。
隣人のテーマでミステリーというと、僕が知ってる殺人事件で覚えているのが<江東マンション神隠し事件>です。興味のある方は調べてみてもいいですが、かなり後味の悪い鬼畜な事件です。(正確には一件先)隣の人だからと言って皆が善人とは限りません。お気を付けください。(あ、ダブった。)