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やっと帰宅だよ~

「ふんふっ、ふふ~ん」


 鼻歌を歌いながら海辺の公園に軍用キャンプ用品のテントを立てている。小さなガスバーナーでコッヘルに入れた水を沸かしながら、ランタンに灯した火がゆらゆらと揺れている。


:まさか本当に野外キャンプをするとは

:ランタンの灯が綺麗だな

:こうも行き当たりばったりな配信者は見た事ないわ

:なんか刻印されたロゴに見覚えが

:明らかにリュックの質量超えとるやんけ


「わたしは世の中の厳しさを今日だけで学びました。ヒッチハイクはしてはいけません! ――ん、お湯が沸いたかなぁ?」


 コッヘルで沸かしたのお湯をカップ麺に注いでいく。湯気がふんわりと立ち昇りえるしぃの頬を優しく湿らせる。カップ麺の蓋を閉めるとランタンの大きさが蓋を抑えるのに丁度良かったので容器の上に置いた。


「カップ麺ができるまで暇だからお歌でも歌おうかな~。最近歌ってなかったし――一曲だけね?」


 配信初期に極稀にだが『歌ってみた!』の枠を取っていた頃があった。しかし、歌を歌うとコメントも読めないし、歌い終わった後はリスナーが沈黙してしまうので披露する機会が徐々に減っていった。


:まじか……伝説の……

:ふぉおおおお!

:●REC

:やった! お歌きちゃ

:一曲だけでも嬉しいです!


「ん~。もう、夜だし大人し目の曲ね? ――内容は、家族を想う歌。。帰りを待ち続ける寂しさや、無事を祈る意味を込められているの」


 眼を閉じ、心の中に情景を描く。家族の為に、国の為に旅に出る恋人。会えない時間は長くはない。きっと、早く帰って来てくれる。旅の無事を祈り、待ち続ける。


 情景を心に宿し。物語の主人公になり切る。えるしぃちゃんの周りには精霊の輝きが灯り。心の情動を表していく。


 ハイエルフという種族は原初の頃に精霊種と混じり合い生まれてきた種族であり、精神が身体を形作っているとも言われている。純なる想い、祈りが周囲に精霊を顕現させ。見る者、聞く者全てを魅了し、癒してくれる。


 ――私の家族を守るために、この街並みを守るために行ってしまうの? あなたが行かないといけないの? 私を置いて行ってしまうの? うしろ姿を見送ることが私にはできなかった。だって泣いてしまうから。だから私は祈るの。あなたの無事を。どうか。どうか。無事に帰って来て。どうか。どうか。元気な顔を見せて。


 長いまつ毛が、頬を染める紅色の血色が、透き通るような銀色の髪が、口元から奏でられる声色が。見る者、聞く者全ての心を掴んで離さない。


 ――帰ってこない。もう、ずっと待っている。ずっとずっと待っている。あなたのうしろ姿を覚えている。きっと、笑顔でただいまと言ってくれることを信じて。だけど帰ってこないの。もう、私はおばあちゃんになってしまった。本当はわかってるの。帰ってこないんだって。


 画面越しに、えるしぃちゃんの歌を聞いている人々の心の中に歌の情景が浮かび上がり。強く、強く胸を締め付ける。悲しい。苦しい。切ない、と。


 ――私は待ったわ。ずっと。ずっとずっと待ったわ。今でもあなたの無事を祈っている。笑顔で遅くなったねって言ってくれることを信じて。だけど、私はそろそろ旅に出ないといけないの。あなたをこの世に一人ぼっちにしてしまうわ。ずっとずっと、待っていたけれど。そろそろ、行かなきゃ。ようやく気づいたの。旅に出る時に、送り出されない寂しさに。ごめんなさい。ずっとずっと。愛しているわ。


 ――ああ、ああ、愛するあなた。ようやく帰って来てくれたのね。来世でも。ずっと。ずっと。幸せになりましょう。


「死の淵に立ち、ようやく二人は巡り合えた。それは、本当に想い人だったのかは分からない。しかし、彼女にとってその人は間違いなく最愛の人だった。――おしまい」


 キラキラと淡い光の残滓がえるしぃちゃんの周囲を漂っている。幻想的な光景であり、神聖な雰囲気だ。


 そして、カップ麺をずるるる、と啜り始めると。リスナー達の意識が現実に戻って来た。


:カップ麺で台無しやん

:カップ麺は戦犯

:カップ麺……

:心に染みる音。それはカップ麺

:カップ麺ッ!!


「だって麺がのびちゃうじゃん! ――ウマッ! こうして寒空の下で食べるカップ麺は最高だね」


 さっきまでの幻想的な精霊種はどこかに行ったようです。しかし、リスナー達は大絶賛どころか、この生配信で聞けたことに大変な価値があると思っています。


:お歌代【10000円】

:お代を置いとくよ【5000円】

:ほれ、美味いもん食いな【3000円】

:俺も~【1000円】

:[素晴らしい……]【500ユーロ】


「ぶふぉっ。――投げ銭ありがと……。ちょっと、歌の内容に感情移入しちゃってさ。ふざけないと気持ちが引きずられそうだったんだよ~」


 よく見るとえるしぃちゃんの目元が少しだけ赤くなっており。涙の痕が残っている。歌う時に感情を同調させる種族的な特性も合わさり、本人の感情が乱高下するので悲しい歌や切ない歌を奏でる時は注意が必要なのだ。


 久しぶりに力を込めて歌ったため、えるしぃちゃんの周囲の自然エネルギーが活性化しており、現在の天気が豪雪となってしまった。


「悲しい内容を歌っちゃったから――……雪が」


 テントの外は雪が吹き荒れて危険な天候となっていた。えるしぃちゃんは結界を張っているので特に問題は無いが、近所に住んでいる住人達は大迷惑だろう。


:うわ、吹雪やん

:突発的悪天候

:テント大丈夫?

:ぎゃああああ

:今度から陽気な歌を歌おう


「これは暖かくして朝まで寝るしかないなぁ。また、明日配信を見てね? ば~いび~!」


 本気で歌ってしまった気恥ずかしさからそそくさと配信を終了させるえるしぃちゃん。その頬は少しだけ赤くなっていた。


 ごそごそと、ポンチョを着込んで丸まり寝床に着いた。







 コトコトと海外産の紅茶を淹れるためにお湯を沸かす。テントの隙間からは朝日が射しており外の景色は銀世界となっている。


 はふぅ。吐息が白い煙となって宙に消える。オリーブドラフの迷彩ポンチョを着込む姿はまるで軍事演習中の兵士のようだ。


 沸かしたお湯にティーバックを淹れるとコッヘルをそのままカップ代わりにする。飲み口は加熱されて危険なので積もった雪で少し冷ました。


 暖かい紅茶を嗜みながらこの狭い空間と野外活動を楽しむ。異世界生活では野営を行うことが当たり前であり懐かしさを感じさせる。


 平和な世の中でテントを張り野外活動をできるなどとても贅沢な事だな、と。しみじみ感じる野生的思考なエルフ。


 日が昇り、世の人間が活動的な時間になるとテントを畳み出発の準備を終える。


「う~ん。今日もがんばっちゃうかな? いい気分転換になったしね!」


 背筋を伸ばして軽く準備運動をする。目指すは最北端の岬。昔から一度は単独で行ってみたかった観光スポットである。ノートパソコンを起動させ、配信ボタンを押したところで長距離マラソンのスタートである。


 決して配信がマラソンタイマー替わりではないとだけ言っておこう。

 






「ふわぁ。雪が綺麗だねえ。でも、朝からチェーンを車に装着しなきゃいけないのは大変だよねぇ」


 しゅばばばばっ! 呑気に雑談をしながら後方には砂が宙を舞い、新幹線から見る景色の様に高速で流れて行く。


 道路を走ってしまうと車の方が危険なため海岸線の砂浜や岩場などの悪路を走破しているのだ。まさに、バーバリアンエルフ。


:早朝から凄い光景を見た気がする

:新幹線ですか?

:岩場を飛び交い酔いそう

:後方に爆発しているような砂はなんですか……

:いや、景色はいいんだよ……いいんだけど


 その勢いたるや日本縦断を本気で完遂してしまいそうなほどだ。


 急にえるしぃちゃんの表情が険しくなり海岸沿いの道路の方向へ視線を向けた。そこには制御を失い、凍結した路面をスリップしている大型車両がいた。岩場に触れていた足に力を込めると地を強く蹴った。瞬間的に発生した剛脚の威力で、破砕された岩の破片が海へと飛んで行った。


 頬を叩く風を強引に突き抜けて行く。次の瞬間、砲弾が命中したような衝撃がアスファルトに伝わる。削れた地面を踏み締め、回転している車体を受け止めた。重量のある車両の慣性を後方に流すように、踏みしめた足を地面の上に滑らしていく。


 徐々に、踏みしめる力を増やしていくと、安全に大型車両を停車させることに成功した。回転していた車体を受け止めていたので、飛散した雪や土埃がポンチョに付着してしまった。


 しょうがないにゃあ、とポンチョを脱ぐとホコリ汚れをバッサバッサと振るい落とす。


「セーフ? 大型車両でチェーンを装着しないのは危ないにゃあ」


 降りて来ていた運転手に聞こえるように呟く。なるべく距離は取りたいのだが少しは小言を言いたかったようだ。


:すげぇぇぇええぇ!!

:アメコミで見た事あります

:ニ十トン近くの車体を丁寧に停車させる超絶技巧よ

:チェーンしろよな

:新装備のポンチョお気に入りみたいね


「え、あ、え? 助けて頂きありがとうございます!! えるしぃ様ですよね!! ヒッチハイクをされているとお聞きしております! ぜひッ! ご乗車下さい!」


 ピシリと両手両足を揃え深く頭を下げてきた運転手。乗車する事を進められるが、さすがのえるしぃちゃんもチェーンを装着しておらず事故を起こす寸前の車には乗りたくない。


 ホワイトボードをバシバシと叩きながら書いた言葉を運転手に読ませる。


『安・全・運・転!! 降雪の際にはチェーン装着!! あと、乗らんわ!』


 肩を落としながらガックリしているが『デスヨネ……以後、安全運転でいきます。本当にありがとうございました!』と、チェーンを装着し始めていた。――いや、装着できるやん! チェーンあるやん!? と、ツッコミそうになるもキリが無いので海岸線沿いを再び駆け出した。


「試される大地に住んでる皆は事故や怪我に注意しようね? えるしぃちゃんとの約束だよ?」


 ニパッ。銀世界を背景に眩しい笑顔を見せてくれる美少女エルフ。だが、考えても見て欲しい。この、雪景色あなたが原因だよね? と。







 「ふぉおおおおぉぉぉぉおおおおぉぉぉぉっ!! わたしは来た! 日本の最北端へ!!」


 テンションアゲアゲなハイエルフちゃん。感動のあまり涎が出てきている。岬に建てられているモニュメントをぺしぺし叩きながらスマホで撮影を始めている。


 ズンドコズンドコ奇妙な踊りを始め、人気の無い観光スポットを縦横無尽に駆け巡る。子供の様にはしゃぐ姿をリスナーは微笑ましそうに見ている。


:ああ、可愛い

:楽しそうで何よりです

:ようやくついたのか……

:ガチの野営からの到着だからなぁ

:感動もひとしお

:だが、どうやってかえるのかな?


 それから、紅茶を飲みながら歌を口ずさんだり、雪だるまを作ったり昼前まで遊び倒すとようやく帰路に着くことになった。だが、手持ちの資金も移動手段も無い。


「う~ん、どうやって帰ろうか……。――そうだ! き・み・た・ち? 今から見ることは秘密ね? 絶対、秘密ね?」


 片目をつぶり誘惑するようにウェブカメラに近づくと、絶対の秘密を念押しする。同時接続者数が二百万人を超えているのに、だ。もちろん、リスナーが拒否する訳もなくえるしぃちゃんの行動に期待を寄せる。


 空中に固定したウェブカメラと共に、試される大地から足が離れる。えるしぃちゃんの着用しているポンチョがはためく。銀色の髪が光を帯びて光輪を描き、地面がドンドン離れて行った。


 重力術式や空間のベクトルを操作する術式を展開していた。高濃度に圧縮された魔力光で術式が発光する現象が起きている。えるしぃちゃんの背後に浮かぶ円環の術式が天使や神の使いの光輪に酷似している。 


 まさに、現世に舞い降りた神聖存在。


:しゅごぉぉぉぉぃ!

:ドローン空撮みたいだな

:雪景色が綺麗

:[おお、神よ……]

:街並みがあんな遠くに

:これは鳥さんもびっくりです

:重力の枷を飛び抜けた……


「ここまで見守ってくれたリスナーにサービスだよ? わたしのお家である都内までの遊覧飛行をご覧あれ~」


 街の上空を通過し海を越えると本州へ辿り着く。山々を過ぎ去り、眼下で手を振って来る子供達の位置まで降下しながら手を振り返す。


 新幹線と並行すると乗客が唖然としていたり、飛行機ともすれ違った。恐らくツブヤイターなどでは試される大地からのルート上で目撃情報が次々に上がっていく。


 炎上しているわけでもないのにツブヤイターでは、#神の使いえるしぃちゃん、#公式飛行人間、#えるしぃちゃんねる。と、トレンドランキングを総なめにする。


 いくら裏の世界の不思議人間達でも飛行術式を成功させたものは一人としていない。


【えるしぃちゃんねる】の登録者数が八百万を超え九百万の数字を突破していた。それでも本人は全く気にしておらず、いつも通り周囲を騒がせるのであった。

 

 なお、帰宅した瞬間。鈴や、蓮ちゃんが家に駆けこんでくると正座をさせられ、細かな状況報告を行わされた。事務所の人間にも顔合わせと謝罪とお土産を配って回り、今回の騒動はようやく終わるのであった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 今更気づいたけど流石にえるしぃーちゃんも南樺太までは行かなかったのか〜
[一言] 世界で知られてるのにチャンネル登録1億人いってないのは逆にすごい気がする
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