ストロベリーパフェが溶けないうちに
「ふたりとも、大きくなったねえ。ほんとに」
(――もうこれ、何回目?)
おばあちゃんの無限ループに耐えられなくなって、口だけ笑った形の顔で通路を眺める。
大丈夫。おばあちゃんの相手なら、お姉ちゃんがいるし。
それより早く来ないかな。パフェ。
今日はお姉ちゃんの、中学校の卒業祝い。
向かいの席には久しぶりに長野から来た、高田のおじいちゃんとおばあちゃん。
さっき待ち合わせの駅で会ったとき、二人ともなんか小さくなっててぎょっとした。私が背が伸びたっていうのもあるけど、背が高いおじいちゃんも、元々小さいおばあちゃんも、縦だけじゃなくなぜか横まで縮んだ感じで。
ふたりの声が、目の前にいるのに遠くから出てるみたく聞こえたのも謎だった。
遠くっていうか、深くから? 口は開いてるのに、ちょっとしか音が来ない。
けど、話してたらふたりともだんだん前と同じ感じになってきて、ほっとした。
おじいちゃんたちには、結構長い間会ってなかった。
お正月はいつも、三好のおばあちゃんの家でお父さんの兄妹と集まるし、去年の夏休みはお姉ちゃんの受験で、長野には行けなかったから。
前は高田のおじいちゃんたちの方から、泊りがけでこっちに来てた。お遊戯会とか運動会を見に来てくれたり、クリスマスにおばあちゃんとケーキ焼いたり。
けど、私が小二でお姉ちゃんが小六の運動会を最後に、そういうのはなくなった。
「もう、朱里も希美も心配ないから」って。
(――なんだよそれ)
勝手なことばっか言って。みんな。
隣でお姉ちゃんが何か言って、おじいちゃんとおばあちゃんが笑った。お姉ちゃんの向こうの席のお父さんも、声は出さないけど楽しそう。
「……ああ、希美は面白いねえ。
おばあちゃん、こんなに笑ったの久しぶり」
眼鏡を外したおばあちゃんが、ハンカチで目元をちょっと押さえた。
そんなに楽しかったら、もっと会いに来ればいいじゃん。
自分たちのせいじゃん。勝手に来なくなって。
ご機嫌なおじいちゃんにわしわし頭をなでられて、お姉ちゃんが笑顔で耐えてる。あー、髪の毛、朝すごいブローしてたのに。
お姉ちゃんはいつもそうだ。素直で、大体のことは我慢して、トークでみんなを笑わせる。
お姉ちゃんの反抗期って、いつ始まるの? てか、なかった? そういう種類の人類?
私なんかもう、とっくに始まっちゃってんだけど。
なんか腹が立って、下を向いて枝毛のチェックとかしてみる。
ムカつくけどほんと、前に学校でやった「思春期」の授業で言われた通り。最近、めっちゃイライラする。いろんなことに。
でも言っとくけどそれ、反抗期ってだけじゃないから絶対。
ほんとに勝手なんだって、みんな。
お姉ちゃんはずっと、いつもいい子で。見た目はほんわかで別に大人っぽいキャラじゃないけど、実は中身はめちゃくちゃ大人。
お皿洗いとかの当番も、私と違って忘れないし、誰かになんか言われたらさくっと謝れるし。受験も、第一志望合格だし。
先生たちもすごい覚えてて、しょっちゅう「朱里は希美の妹なんだから」って比べてくる。
あの人たち、お姉ちゃんが小学校卒業してから何年たったと思ってるわけ? てかもう、中学も卒業なんですけど。
二組の佐々木とか、この前マジむかついた。
『三好の家は、お父さんとお姉ちゃんと三人だけで大変かもしれないけど。あんないいお姉ちゃんがいるんだから、大丈夫だからな』
お・ま・え・が、うちの何知ってるっていうんだよ。
調子乗ってんなマジで。なんでそういうこと言ってくるわけ? 担任でもないくせに。
てか、お姉ちゃんも嫌ってるし佐々木のこと。私が家であいつの話すると、めっちゃ盛り上がるし。悪口で。
お姉ちゃんのやる、佐々木が目をガッて開くまね(いつも目がキモく充血してる)を思い出したら、思わず笑いそうになった。
そしたらそのタイミングで、
「朱里は、小学校どう?」
前の席から、おばあちゃんが話しかけてきた。
「え? あ、普通……」
あわてて顔を上げる。とりあえず笑っとく。
「五年生からは、委員会があるんだっけ?
クラブは、今年は何入ったの?」
おばあちゃんが首をかしげて、謎にマニアックな質問をしてくる。
あーそっか、まだ覚えてるんだ。お姉ちゃんが五年の頃は、こっちによく来てたから。
たまに、イベントじゃないときでも来て、そういうときは私も学童休んで早く家に帰った。
玄関を開けたらおじいちゃんとおばあちゃんがいて、三人でテレビを観ながらお土産のおやつを食べる。そのうち、六時間目が終わったお姉ちゃんが帰ってくる。テーブルの上のおやつを見て、お姉ちゃんはいつも「やったー」って笑ってた。
「……給食委員。クラブは去年と同じ。バドミントン」
最小限でこたえると、
「後輩ができたの?」
またきかれた。
「四年生には、教えてる」
“後輩”ってほどじゃないけど。お姉ちゃんの中学の部活の話に比べたら、うちらのクラブなんて全然ゆるいし。
敬語も挨拶もされないし、私たちだって六年の人にしない。そんなの別に怒られないし、怒らない。
「学童終わって、一人でお留守番するの寂しくない?」
急に話題が飛んだ。
「慣れたよ。他の子もいるし」
「……そう」
そこで会話が途切れたけど。私はお姉ちゃんみたいに空気読むキャラじゃないから、そのまま黙ってた。
学童卒業なんて三年の終わりだし。今もう、五年の終わりじゃん。覚えてないって。
だいたい、電話で何回もしたじゃん、この話。
おばあちゃん、そんなに気になるなら、四年生のとき見に来ればよかったんだよ。
高田のおじいちゃんとおばあちゃんは、亡くなったお母さんの親だから。おばあちゃんたちがいつまでもうちに来てると、お父さんがなかなか再婚できないから。
そう言って、二年生の運動会以来、おばあちゃんたちはうちに来なくなった。
私とお姉ちゃんも大きくなったから、もうお手伝いもいらないでしょ、って。
私が保育園の年少のとき、交通事故で死んだお母さん。
甘えん坊だった私は、いつもお母さんにくっついてた、ってみんな言うけど。正直、なんにも覚えてない。
お母さんの写真もいっぱいあるけど、動画と違って、あんまりリアルじゃなくて。
なんかすごい、昔の人っぼく見えるんだよね。悪いけど。友達のお母さんと同世代って感じがしないっていうか。
事故のとき八歳だったお姉ちゃんは、お母さんのこと少しは覚えてるって言うから、そこはいいなあと思う。年上って。
お姉ちゃん、顔もお母さん似だし。
それに比べて、顔もお父さん似なら記憶もないっていう全然使えない私は、小さい頃お母さんに甘えてたって話も、まわりから聞いてそうなんだーって思うだけで。
正直、たまに不安になるくらい。それって、ほんとにほんとの話なんだよね? って。
そんな感じだから、「頑張れ」とか「大変」とか言われても。
私にとっては、お父さんとお姉ちゃんとの三人家族があたりまえだから。これが普通。これしか知らない。てか、覚えてない。
でも、おばあちゃんたちからもう来ないって言われたときのことは、覚えてる。
嫌だった。わんわん泣いた。
なのに、「それが朱里たちのためだから」とか言われて。
おばあちゃんだって、泣いてたくせに。あのとき。
だって再婚とかそんなの、わかんないじゃん? どう決まるのか。
あのコミュ障のお父さんだよ? バレンタインに、会社の義理チョコすらもらってこない。
それに再婚なら、死んだ奥さんの親がどうとかより、私みたいな反抗期の子どもがいることの方が問題なんじゃない?
みんな、勝手なことばっか言う。私の意見なんて、全然聞かずに。
「お待たせいたしました。
こちら、スペシャルストロベリーパフェでございます」
そのとき、大きなガラスの器が二つ運ばれてきた。
「はい朱里」
お姉ちゃんがパフェをまわしてくれる。
目の前が、急にすごいキラキラになって、頭の中がふあー! ってなった。
「かわいい! ちょ、やばいねお姉ちゃん!」
「やばすぎ! やばみが深み!」
「深み!」
言ってることバカなのはわかってんだけど、こういうのがまたテンション上がるんだって。
嬉しすぎる。
お姉ちゃんの顔も、でれっでれになってる。
このお店の名物、期間限定スペシャルストロベリーパフェ。いつものストロベリーパフェより豪華なやつ。
テーブルにおもいっきり広がる、濃厚な苺の香り。
「あらいい匂い」
おばあちゃんが嬉しそうに言った。
大きくて、生クリームとアイスとゼリーとチョコの上に、大粒の苺がいっぱい載ってて。ミントの緑が、苺の赤を引き立ててる。
お腹いっぱいでご飯が食べらなくなるからって、いつもは買ってもらえないんだけど。お祝いだから、今日は。
お姉ちゃんとスマホで撮影した後で、
(――もう、いいんだ。別に)
持つところの長い、いかにもパフェ用って感じのスプーンを手に取りながら、私は思った。
おじいちゃんもおばあちゃんも、先生たちも。みんな、勝手なことばっか言うんだから。
私だって、勝手にする。ほんとのことなんか言わない。
言ったって、誰も聞いてくれないもん。私の話なんて。子どもだからって。
それに私は、お姉ちゃんみたいにはなれないし。どうせ。
そのとき、斜め前の席からニコニコこっちを眺めていたおじいちゃんが言った。
「それにしても、ふたりともほんとにそっくりになったな。
頼子の声に」
――びっくりして、長いスプーンが落ちそうになった。
“頼子”は、お母さんの名前。
「僕も、いつも思ってるんですよ」
珍しく大きな声で、お父さんがこたえた。いつものおじ眼鏡の奥の目が、なんか嬉しそうにキラキラしてる。
(――嘘でしょ?!)
さらにびっくりして、私はお父さんの横顔をみつめた。
そんなの、今まで一回も言ったことないくせに。
「希美の方が背が高い分、少し声も低いかな。
朱里の声はほんと、頼子そのままだ」
おじいちゃんが目を細めると、
「えーそうなの? 初めて知った!」
お姉ちゃんが、おじいちゃんを見上げた。
おばあちゃん似で小柄だったっていうお母さん。163センチあるお姉ちゃんは、お母さんの身長をとっくに超えている。
「そうよー。電話だと、もっとそっくり」
なぜか自慢げにおばあちゃんが言う。
「これから、頼子の声が聞きたくなったら、朱里に何かセリフ言ってもらおうかしら」
「なにそれおばあちゃん」
お姉ちゃんとおばあちゃんが、肩をたたきあってきゃはきゃは笑う。
「朱里、どうしたの? びっくりした顔して」
不意に、お姉ちゃんに顔をのぞきこまれた。
(――お父さんの、バカ)
声が出ない。ほっぺたと耳が熱い。
(早く言ってよ)
スプーンを握りしめて、うつむく。
無口なお父さんには、いつも、うるさがられてると思ってた。家の中にぎゃーぎゃー響いてる、私の、お姉ちゃんの、声。
けど、私とお姉ちゃんの中に。あったんだ、お母さんの声。
――ほんとにいたんだ。
私の、お母さん。
たくさん抱っこしてもらったのに。どうしても、思い出せなくて。
忘れてしまって、ごめんなさい。
でも、いた。
お母さん。ちゃんとここに。
「もー、朱里、びっくりしすぎ。
早く食べなきゃスペスト溶けちゃうよ?」
お姉ちゃんが、パフェのグラスを私の手元に寄せた。
ついでにって感じで、さりげなくほっぺたの涙を紙ナプキンで拭いてくれる。紙ナプキン、水吸わないから、あんまり乾かなかったけど。
もう一度私の顔をのぞきこんだお姉ちゃんは、
「よかったね」
小さく言って、写真の中のお母さんそっくりの大きな目を細めると、泣いてるみたいな顔で笑った。
【 了 】