第九話 急転
オバさんが、変だ。
こう書くと、まるでオバさんが変人か変態みたいだな。
オバさんの様子がおかしい、が正解か。
これもオバさんが挙動不審ぽいけど、上手い表現が思いつかねえ。
ブチが気付いたのは、ある日の寒い朝だった。
二人より目覚めの早いブチは、軽く吠えて朝ごはんを要求するのが日課になっている。そのうちオバさんが縁側のガラス戸を開けて、餌を皿に入れてくれる。
朝は普段ならコンビニで売ってるロールパン。時たま夕飯の残りが追加される時もある。ちょっとした朝の楽しみだ。
だが今日は、オバさんの来る気配がない。
ワン!
試しに、もう少し大きく吠えてみる。
近所迷惑なので、連続鳴きは御法度だ。
でも反応が無いとイライラするから、仕方ない。
遅めの太陽が出てきた頃、バタバタと小走りに走ってくる音がした。
勢い、期待で尻尾が丸くなり、舌も出る。
だが「ごめん、ブチ」と言ってガラス戸を開けたのは、ヒカリだった。
ブチは、いつもと違って少し拍子抜けする。
ヒカリはブチを見ずに放り投げるように餌を置くと、「お昼もこれで我慢して」と言い残して直ぐにピシャッとガラス戸を閉め、再び家の奥に小走りで去っていく。
やや不満に思いつつ、ブチは朝飯をがっついた。
普段と違う役割は、大変だと思う。だがブチは清河家のアイドルだ。もう少し丁寧に扱うのが筋というもの。甘えプレイで彼女達を癒している分、報酬はきっちり頂きたい。
ペディグリーチャムとは言わないけれど、少しは気を使えよな。
そんなブチの思いを知らずに、奥で光里の声がする。
「大丈夫? お母さん」
「大丈夫だよ。歳かねえ」
「ゆっくりしてね。じゃあ行ってきます」
こうして光里だけ、慌ただしく会社へと急いでいった。以前より身嗜みに気を遣っているが、リュウセイ好みな派手派手キラキラさはない。
一方、オバさんは仕事を休むらしい。
何にしても、ここからはブチの時間だ。
時々、縁側の角に前足をひっかけ立ち姿で家の中を覗いても、オバさんの姿は見えない。奥の部屋で寝ているようだ。ゴホゴホっと聞こえる咳の音が、存在確認になる。
ここから見えるのは、茶の間と仏間だけだ。二人がコタツに入ってテレビを観るお茶の間に対し、奥の仏間には実直そうな若い男性の遺影が飾られている。恐らくヒカリのお父さんだろうが、保育園の時もリュウセイは見た記憶がない。だいぶ前に亡くなったのだと思う。
ま、いいか。
深いことを考えず、ブチは日課の散策を始めた。
木々に囲まれた庭の一角に、椿の花が咲いている。だいぶ古い。
落ち葉が積もる庭は、踏むとパリパリ音がして面白い。
最近のお気に入りは、この椿の根元を掘り起こして遊ぶことだった。
前足で思いっきり掘り進み、土を鼻でフゴフゴするのが癖になる。
ここ掘れワンワン、ここ掘れワンワン!
誰にも邪魔されず、ブチは一心不乱に掘り進む。
掻き出された土はブチの背後に飛び散っているが、咎める人はいない。
これくらい、後でヒカリが戻すだろう。
今日は特に調子よく掘れる。鼻はすっかり真っ黒だ。
ガッ!!
(ん?)
予想外に堅い物にぶつかった。幸い、爪に怪我はない。
鼻でフゴフゴすると、硬い感触がする。無臭だが、何かの容器らしい。
(ヤベエものか?)
毒が漏れていたら、イチコロである。
オバさんは寝ているので、助けに来ないだろう。
怖くなったブチは掘った土の山を後ろ足で蹴り、元に埋め直した。
(フ〜、ヤバいヤバい)
君子、危うきに近寄らず。
ブチは無かった事にして椿の木から離れ、庭を散策し始める。
タカシの家を見ても、あいつは現れない。
昼になるとほんのり暖かくなり、気付いたら庭の真ん中で寝転んでいた。
『ほんと、暇そうね』
塀の上から、猫の鳴き声がする。
キッと見上げると、いつか見た美猫が塀の上に座り、こちらを見下ろしていた。
タカシの話では野良猫らしいのに、白く気品ある姿は美しい。
土にまみれ間抜け面を晒すブチとは、対照的だ。
『うるせえな、昼寝の邪魔すんな!!』
ワンワン! と鳴いて応戦するものの、ピクリとも動かない。
ブチの射程距離外にいることが、バレている。
助走をつけて塀をよじ登っても、あの高さは無理だろう。
オバさんの休みを邪魔したくないので、ヴゥウと、低い声で唸ってみた。
だがそれでも、逃げる気配はない。強敵だ。
『お前、俺に用でもあんのか?』
『別に』
美猫はつれない返事をするものの、去るわけでもない。
埒が明かないので、態度を少し変えてみる。
『君も、転生者なのかい?』
『転生者? ああ、あんたはそうらしいわね。あっちの家にいるトイプードルもそうよね。でもおあいにく様、私は違うわ』
『じゃあ綺麗なお姫様が、俺にどんな用だい?』
『お世辞と作り笑いは、嫌いよ』
どうも見透かされている。やりづらい相手だ。
『あなた、ろくな死に方しないわよ。分かってる?』
『はぁ? 今さら?』
そんな事を言われても、リュウセイは既に一度死んでいる。
極楽に行けるのならば、どんな死に方だろうと文句はない。
猫の言葉は、ブチに響かなかった。
『あら、そう。じゃあいいわ。ご機嫌よう』
そういうと、猫はタカシ家にフワッと降りていき、去って行った。
(何だ? あいつ……)
リュウセイは訳が分からない。だがしばらくすると忘れて、庭の散策を続けた。
昼も過ぎて尿意をもよおしてきたが、散歩は行けそうにない。
仕方ないので、普段あまり行かない方の庭の隅で用を足す。
「ただいま〜 ブチ、ごめん。今から散歩に行く?」
ワン!
相変わらず夜遅くの帰宅で疲れているであろうヒカリは、それでも律儀にブチに夕飯を食べさせ、夜の散歩に連れて行った。暗闇だが、犬にとっては何ということはない。
「お母さんね、明日も休むみたい。私は仕事でいないけど、良い子にしてくれる?」
『ワン!』
(勿論だぜ!)
尻尾を振って勢いよく駆け出すブチであった。
❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖
『元気か?』
『……あ、ああ』
『どうした?』
『いや、オバさんが体調悪いんだけどよお』
夢に出てきたお釈迦様を見ても、リュウセイは反応が悪かった。
『……もしかして、コロナじゃねえのか?』
『さあな。儂も一人一人の運命までは分からん』
『治んのか?』
『さあな。仮に知ってても言う事はできん』
『ちっ、つまんねえ奴だな』
『儂も時々はシリアスモードになるのだ。ネタも浮かばんし。ほれ、今のステータスじゃ』
『そんなこと言ってるようじゃ、書籍化まで遠いぞ』
『良いから、黙って見ろ』
【ステータス】
名前 :ブチ
徳 :★★☆☆☆
イケメン力:★☆☆☆☆
洞察力 :★☆☆☆☆
統率力 :★☆☆☆☆
コミュ力 :★★☆☆☆
腕力 :★★★★☆
特殊能力 :怠惰
『お、何か減ったぞ?』
『近頃は、わがまま言わずにやってるようだからな、減らしといた』
『良く分かんねえけど、ありがとよ』




