第八話 新年の二人と二匹
「明けましておめでとうございます」
「あ、おめでとうございます」
「すいません、元旦から呼び出しちゃって」
「いえ、暇でしたから」
敬浩からの連絡を受け、光里は待ち合わせ時間ぴったりに高輪家玄関の前で待った。やや遅れて、敬浩が勝手口から現れる。ちなみに光里の家と敬浩の家は、玄関が反対側に位置していた。
「コンタクトですか? メガネも良いけど、可愛さ増しですね」
「あ、いえ。ありがとうございます」
化粧も濃く気合を入れた姿がバレバレで恥ずかしいのか、光里は敬浩から視線を逸らす。
いつもの散歩と逆方向なので、はじめリュウセイは嫌がった。それを半ば強引に引っ張って来たから、あまり機嫌は良くない。だがここは花を持たせてやろうと、リュウセイはリュウセイなりに気を使っていた。
光里はぎこちなく敬浩と距離を取るのに対して、二人の間にいる犬二匹は、すっかり仲良しである。ブチの方が三倍くらい大きいけれど、それでも中型犬の柴犬程度だ。一方のルーシーは小さく、防寒の服を着ておしゃれしている。
「ルーシーちゃん、可愛いですね。手入れもしっかりしてて」
「そうですか。知り合いに、表参道のペットショップで働いているトリマーがいるんですよ」
「へえ、すごい」
「今度、行ってみますか?」
「どうしよう……時間が合えばで良いですか」
「ええ、もちろん」
多分お金がかかっているのだろうが、ブチはルーシーの容姿に興味が無かった。
光里は表参道など行った経験がなく、気後れしている。
「光里さんは、いつも散歩はどこまで行くんですか?」
「堤防の方までです」
「そうなんだ。ルーシーには、ちょっと遠いかな」
「じゃあ、この前の公園にしますか?」
「そうですね、助かります」
場所も決まり、歩き始める。元日のせいか山川田駅に向かう人もおらず、人影もまばらだ。行き交う車も少ない。
『おい、元気か?』
『久しぶり。おかげさまで元気だよ』
『色々聞きてえ事あんだけど』
リュウセイは、積もっていた質問をタカシにぶつけたかった。
とにかく早く犬を卒業して、極楽に行きたい。その一心である。
『あ、お釈迦様が言ってたよ。どうせあいつはズルをする気だから、僕が禁則事項を喋れないように魔法をかけるって』
敵もさるもの、既に対策済みらしい。相手が悪すぎる。
『どこのラノベだよ! いいから、どうやれば徳が貯まるんだ?』
『……』
『早速無言か! 口パクパクかよ!』
『仕方ないじゃん』
『じゃあ話題を変えるが、お前はどれくらい徳が貯まってんだ?』
『僕は初期設定で、星4つ半。だから、直ぐだよ』
そのチートっぶりに、リュウセイは目を見開いて驚いた。
『はぁ? お前、優遇されすぎじゃねええの?』
『だって、何も悪いことしてないもん』
『う、た、確かに…… じゃあさ、他に転生者っているのか?』
『どうだろう? 僕は見てないね』
『お前んとこにいる猫、あいつは?』
『猫? ああ、庭に時々くるね。でも僕は室内に居るから、交流はないよ』
『ふ〜ん』
仲良くじゃれあう二匹が交わす会話の中身は、二人には窺い知れなかった。
やがて公園に到着すると、二人はベンチに座る。
やはり、遊んでいる子供達はいない。年寄りが数人いるだけだ。
公園内で自由にすると怒られるので、ベンチ近くの鉄棒にくくりつけ、遊ばせることにした。二匹とも行儀よくしており、二人は気兼ねなく会話を続けられる。
「何か暖かいもの、飲みますか?」
そう言って敬浩は、光里の返事を待たずに近くの自販機に行き、ホットティーを買ってきて光里に手渡した。
「ありがとうございます」
敬浩と違って、光里は手袋をしていない。コートはこの前と同じ、一張羅だ。
暖かいホットティーをしっかり掴み、蓋を開けて大事に飲み始める。
(さて、どうするか……)
「これ、見てください! ブチ可愛いでしょ〜!」
敬浩の思惑も露知らず、光里はスマホを取り出すと、敬浩にブチの動画を見せ始めた。お腹を出して甘える姿や、ご飯を前にして『待て』をする様子など、飼い主以外は興味を持たなそうな、ありきたりな動画だ。だが光里にとっては特別で、我が子自慢のごとくグイグイくる。
「うわあ、可愛いですね」
「そうでしょ? 職場でも時々見て、癒されるんです」
言葉に心がこもってないが、ブチに夢中の光里には関係なかった。
ニコニコとしている光里は、本当に楽しそうだ。
「ルーシーちゃんの動画は無いんですか?」
「いやあ、そういうのはもって無いな」
「そうですか、残念。面白いんですよ、ブチ。時々変な仕草をするんです。まるで自分を人間かと思ってるみたい」
「へえ」
他愛ない会話を続けるのは、敬浩にとって苦痛ではない。
のらりくらりかわす技は、前妻との生活で唯一得られた成果だ。
「……それでホントは、獣医になりたかったんです。でもこの辺じゃ私立は高いし東大なんて無理だから農工大を受けたけど、駄目でした」
「あそこは、利権関係が酷いですからね」
「浪人できなかったから、高校の先生に就職先をお願いして紹介されたのが、今の会社なんです」
「そうなんですか」
「でも思ったより大変で……」
(まあ、良い子なんだろうな)
時々、ブチを愛おしそうに見ている。本当に好きなんだろう。
今後のためにも、敬浩は光里を観察していた。
「光里さんがご主人で、ブチ君も良かったですね。知り合いから頂いたのですか?」
「いえ、拾ったんです」
「へえ」
敬浩は、意外に思った。
聞くと仕事帰りに、ブチと遭遇したらしい。
「ほら、最近って野良犬を全然見ないじゃないですか」
「確かに、そうですね」
「だから私びっくりしちゃって。ホント、可哀想な鳴き声で足取りも重いから、すっごい心配になったんです」
「それは、気になりますよね」
「そうですよね? だから私、この子を家に連れて来ちゃいました」
てへへ、と光里は照れ笑いをしている。
動物のことになると、普段とは違う一面があるらしい。
「昔は何か飼ってたんですか?」
「実は数年前、クロって犬を飼ってたんです。独り暮らしのお婆ちゃんが施設に入るからって、預かったんです。クロもとても良い子だったんだけど、うちに来た時はもう年寄りで、二年前に死んじゃいました」
「それはそれは……」
「私が家に帰ってきたときヨボヨボと立ち上がったんですが、倒れ込んで……もうそれっきりで…… お婆ちゃんが亡くなって丁度一ヶ月だったから、ついて行ったのかもですね」
「そうなんですか……」
その時を思い出したのか、光里は少し涙ぐんでいた。
さりげなく敬浩が側に寄るが、特に離れようともしない。
彼女の顔を見て父・敬太郎を思い出し、敬浩は後ろめたく感じた。
単なる田舎の地主だった祖父の敬介とは違い、父はバブル期に地元の不動産を担保に手広く事業を広げ、成功した。敬浩が幼い頃に港区の高級マンションへ引っ越したのも、父の意向だ。ここは建て替える前に祖父が住んでいたが、遊びに来た時はいつも祖父から愚痴気味の昔話を延々聞かされた。その頃は既に祖父と父は、半ば断絶の関係にあった。
母は父の家政婦のようで、気ままな父の世話係でしかない。
愛人の噂は絶えないし、実際、家にいる時間は少なかった。
唯我独尊で女性蔑視の父と光里親子が関わって、ハッピーになる筈がない。
だが今まで父に頼り切りで生殺与奪の権を奪われている敬浩は、反抗して光里を助ける気概もなかった。父の財産を相続できないと、死活問題だ。ここは黙って任務を遂行するしか、選択肢はない。
『おい、お前の主人って、何やってんの?』
すれ違う思惑でしんみりする二人を他所に、ブチはルーシーを質問攻めにする。
『良く分からない。会社勤めじゃなさそうかな。ときどき人が来るけど、不思議な人達だよ』
『ヤバいのか? ヤクザ?』
『どうだろう? 前世ではお医者さんと看護師さんしか見てないから、僕には分からないよ』
『そう言えば、もしお前が徳を積んだら、マルチーズとしてのお前はどうなるんだ? 死ぬのか?』
これも、前々から疑問に思っていたことだった。
『うーん。それ、僕も思ったんだ。ちなみにリュウセイ君の転生が始まったのは、生まれた時から?』
『いんや、気付いたら街をさまよってた』
『やっぱり。僕も似た感じだよ。だからこれは借り物で、僕達の魂が抜けても生きてるんじゃないかな?』
『そんな事できんのか?』
『実際その時にならないと、何とも言えないね』
タカシは思ったより賢く、置かれた状態を認識している。
しかしそうなると極楽へ行くのも、時間の問題だろう。
「ブチ、そろそろ行こっか?」
どうも二人の会話が終わったらしく、帰宅となる。いつもの堤防まで行けないのは残念だが、リュウセイは大人しくルーシー達と帰ることにした。
帰りも仲良くしながら光里の家まで来た時、敬浩が、「どうですか? まだ時間もありますし、僕の家でお茶でもしませんか? オークラのおせち料理取り寄せたんですよ。友達も後から来ます」と、誘いをかけてきた。
「え? は、はぁ……て、痛い! ブチ!」
ワンワン!!
ぼうっとして判断のつかない光里を見て、リュウセイは足に噛み付く。
(おい、罠だぞ! 気付け!)
更にはリュウセイがテコでも動かなくなり、光里は困ってしまう。
「ブチ、どうしたの? すいません、今日はちょっと……」
「ブチ君に嫌われちゃったかな。すいません、じゃあまた」
「また」
そのまま敬浩はルーシーを連れて、爽やかに帰っていく。
見送った後、光里も動き始めたブチを連れて家の中に入った。
(あいつ、邪魔だな……)
敬浩は、ブチの存在が気に障った。
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『どうも、ガースーです』
『むにゃむにゃ……って、お前誰だよ! お釈迦様じゃねえか! つまんねえよ!』
『下界ではこれが流行ってると、聞いたのだが』
『流行ってねえよ、嘘つくな!』
『そうなのか……騙されたな」
アルカイックスマイルで無表情なまま、お釈迦様は話を続ける。
『新年早々、頑張ったようだな。ほれ』
【ステータス】
名前 :ブチ
徳 :★★☆☆☆
イケメン力:★☆☆☆☆
洞察力 :★☆☆☆☆
統率力 :★☆☆☆☆
コミュ力 :★★☆☆☆
腕力 :★★★★☆
特殊能力 :怠惰、我儘
『お、また徳が増えた!』
喜んだリュウセイは、元のイケメン姿に戻る。
『これ、イケんじゃねえの?』
『油断するな。全てはお前次第だ』
お釈迦様の警告は、リュウセイの耳に入ってないようだ。
『あ、そういえばあのタカシって奴の飼い主、ヤバいのか? 何だか胡散臭え』
同族嫌悪なのか、リュウセイは敬浩に危険な匂いを感じていた。
光里が誰と付き合おうと勝手だが、ああいう奴は光里と合わない。
タカシがいるから仲良くするけれど、深入りはして欲しくなかった。
『その見極めは、お前がやれ。いちいち儂に聞くな』
『そうだけどよ……』
『まあ、思ったよりは良くやっとる。頑張って今後も励め』
『ああ』
ブチの寝顔は、幸せそうだった。