第七話 高輪家
出会いは、人を変える。
その日以来ヒカリにとって、ブチとの散歩は違う意味を持った。
ボサボサな髪の毛はしっかり整えられ、コートについたブチの毛を綺麗に払い落とす。
薄化粧もしているようだ。
ささやかだけれど、大きな変化と言える。
しかし当の本人とルーシーは、現れない。
時折ヒカリが愛おしそうにスマホを取り出しては眺める姿が、物哀しい。
ヒカリから、積極的に連絡している様子はない。
リュウセイはじれったく思うものの、何もできなかった。
心ここにあらずのヒカリを見て、リュウセイはため息をつく。
あいつのせいで、リュウセイの世話がおざなりになっている。
誰かに世話されるのが当たり前なリュウセイだから、耐え難い状況だ。
時々、ストレスのはけ口にヒカリの足にまとわりついた。
「あ、こら、ブチ!」
軽く噛むと、ヒカリが軽くブチのお尻を叩く。
もちろん歯は立てないが、こうでもしないと分かってもらえまい。
(まあ俺も、あいつに会いてえけどな)
タカシは時々見ていると言ってたが、ブチは気付けない。
室内だから匂いもせず、遠くて中は良く見えなかった。
あいつは色々知識がありそうだ。正しい情報なら、幾らでも欲しい。
とにかく、早くここをクリアして極楽に行きたい。
(まあ、しょうがねえ)
二人とも別の思惑を持ちながら、散歩は続く。
いい加減なフンの処理で注意されるほど、ヒカリはボーッとしていた。
(ヒカリ、お前大丈夫か……)
シャコジで連絡先を聞くなんて、単なる挨拶。本気で返信する相手は、10人に1人いるかどうか。リュウセイだって、ホスト時代は金のありそうなババア、もとい妙齢のマダム達にしか返信しなかった。
下着も上着もクニクロのヒカリに、金の匂いは皆無だと、リュウセイにだって直ぐ分かる。だからあいつがヒカリを選ばなくても、何ら不思議はない。
でもヒカリにとっては、数少ない(下手すると唯一の?)相手らしく、それだけに愛おしく感じるのだろう。この落差、外野として見る分には冷や冷やものだ。
(俺も、こういうことしてたのかなあ)
ふと前世を省みるリュウセイだが、思いつく悪行が多過ぎて、忘れることにした。
しょうがないから、オバさんにねだるようにする。
ただオバさんも歳なのか、時々足取りが覚束ない。
若く元気なブチは不満を覚えつつも、今の生活を享受した。
クリスマスも、特にイベントは起きなかった。
もっともヒカリの仕事は相変わらずで、終電真夜中の帰宅だ。
リュウセイも何時もと変わらぬ生活で、忘れていた。
流石に年末はヒカリの職場も休むようだ。
大掃除も終わった大晦日の夜、茶の間で二人はテレビを見てる。
縁側近くの犬小屋で寝ているブチにも、会話が聞こえた。
しかし今年は本当に寒く、犬の身でも厳しい。
ブチは犬小屋にあるお古の毛布にくるまり、寒さを凌いでいた。
「……そういえば、おばあちゃん家はどうだった?」
「特に変わりなかったよ。お掃除するの大変だったけど」
「売れないの?」
「やっぱり勿体ないからね。一応、近所の不動産屋さんに頼んでお願いはしてるけど、あんな田舎じゃ無理みたい」
「相続税とか、お金かかってるんじゃないの?」
「そうだけどね……コロナで時短になったからもう一つ追加したけど、これ以上はね……」
「お母さん、なんでも一人で抱えるの、止めた方が良いよ」
「まあねえ……でも、思い出の場所だしね……」
どうやら、オバさんの生家の問題らしい。
複雑な話はリュウセイに理解できないので、聞き流していた。
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『A Happy New Year ! ほら起きろ、ブチ』
『……う〜む、誰だ。むにゃむにゃ…… あ、お前!』
目の前にいたのは、お釈迦様だった。英語を使うのも不自然だが、そもそもサンスクリット語が母語のはずなので、何でも良いのだろう。
『どうだ、最近は?』
『いや〜 徳を積むため頑張ってますよ。そろそろ、極楽行きどうっすかね?』
『嘘つくな。お前のステータスだ』
【ステータス】
名前 :ブチ
徳 :★☆☆☆☆
イケメン力:★☆☆☆☆
洞察力 :★☆☆☆☆
統率力 :★☆☆☆☆
コミュ力 :★★☆☆☆
腕力 :★★★★☆
特殊能力 :怠惰、我儘
『なんか漢字が二つ付いてるけど?』
『ああ、これか。『わがまま』っちゅうんだ。お前にピッタリだろ?』
『ちくしょぉ、お前、早くしろよ!』
『このままでは、今年も無理かの。ま、頑張れよ』
『いや、ちょっと待って! おい、こら!』
無情にも消えゆくお釈迦様に、リュウセイは悪態をつくしか出来なかった。
❖ ❖ ❖ ❖ ❖
だだっ広いリビングのソファでルーシーと遊んでいると、携帯の着信音が鳴った。
惰性で見ていた80インチ8Kテレビを消し、気乗りしない顔で電話をとる。
「タカヒロ、元気か?」
「ああ、パパ。元気でやってるよ」
「なんで来なかった? みんな来てるぞ」
「だってコロナだよ」
「あんなの、ただの風邪じゃ」
「メタボなんだから、出歩かない方が良いんじゃないの?」
「うるさい。それより生活費は足りてるか?」
後ろで騒がしい笑い声がする。多分、いつもの年越しパーティーだ。
口調から、明らかに酔っている。敬浩は、さらに鬱陶しくなった。
「うん。仮想通貨の儲けもあるし、しばらくは大丈夫だよ」
「それは良かった。で、例の件は首尾よくいっとるか?」
「隣の家のこと? ああ、この前犬の散歩がてら、連絡先教えてもらった。それっきりだけど」
「ばか、しっかりフォローせんか。ワシ等の運命がかかってるんだぞ!」
酔っているせいか齢のせいかは分からないが、以前より怒りっぽい。
年寄りはどこも同じとはいえ、やっかいな相手だった。
「はいはい。でもパパ、何も説明してくんないじゃん。何であの家にこだわるの?」
「それは、見つかってからだ。とにかく、仲良くしとけ」
「分かったよ」
(仕方ないなあ……)
騙すようで、気が引ける。
別れた妻から散々モラハラDV被害を受けていた敬浩は、女性が苦手だ。積極的にアプローチされて外見も好みで家柄も申し分なかったから結婚したものの、性格やら何やら見えない部分の相性は最悪だった。
裁判でもやたら金を要求されたが、親にお願いして何とかなった。
今はこの広い家に、一人だけで住んでいる。週に一回家政婦さんに来てもらうが、敬浩も家事全般は得意なので家の中は綺麗だ。ルーシーの服を買って着せたり世話するのも、気晴らしに丁度良かった。
だから敬浩は、女性を求める必要性を感じていない。
だが父からの願いはほぼ命令に近く、逆らえなかった。
父が何故そこまであの家にこだわるのか、相変わらず教えてもらえない。
山元町一帯の地主として古くからここに住む高輪一族だから、何か理由があるのだと思う。だが小さい頃から此処を離れて都心に住んでいた敬浩には、興味が湧かなかった。
あそこは、祖父の代の遺産相続時に切り取って売られた土地と聞いている。
住民も、特に親戚とかではない。そもそも、全く交流が無い。
ただ父にとっては以前から気になっていた案件らしく、離婚してこっちに住みたいと父にお願いした時、真っ先に言われたのがこの件であった。逆らってお金を貰えなくなると面倒だから引き受けたが、気乗りしない。
(あの子、か)
悪い子では無いのだろう。初対面にも関わらず、気さくに話をしてくれた。
どこかの事務職で、仕事が大変だと言っていた。
ただ長くこの山元町に住んでいるにも関わらず、この地域を何も知ってなさそうだ。
現に隣にあるこの家に関しても、誰が住んでいるのか彼女は知らなかった。
「まあ、もう新年だし、連絡するか」
ルーシーの前で独り言を呟きながら、敬浩は再び携帯を取り出した。