第六話 徳を積む
夢でお釈迦様と会って以来、一念発起したリュウセイはひたすら善行に励み、徳を積んでめでたしめでたし……とは、いかなかった。
当たり前である。そんな気概があったら、話は終わる。
真逆の怠惰な日常を過ごし、駄犬の様も板についてきた。
そして暮れも押し迫ったある日曜の昼、ヒカリと一緒に散歩に出る。
オバさんは、車で何処かに出かけていった。
コンタクトは会社向けで、普段は昔と同じメガネをかけている。
その姿は高校時代と変わらず、リュウセイは少し恥ずかしい。
それはともかく、犬にとっての散歩は軽いものではない。
命がけの闘いなのだ。まさに死闘である。
「ブチ、そっちいっちゃ駄目ぇ! もう帰るよ!」
グゥ〜
(離せヒカリ、男にはやらなきゃならねえ時があるんだ、あの草食いてえんだよ!)
「駄目ったらあ。お願いっ!」
大抵、犬の行きたい場所は人間にとってどうでも良い。
犬が無理に行こうとすれば、ご主人に引っ張られ止められる。
最悪は首輪を締められ、グエッとなって息が詰まる時だ。
犬の身にもなって欲しいが、ご主人も精一杯で、余裕はない。
四肢を使い全力で踏ん張るから、動かすのは意外と大変なのだ。
大体、犬を好き勝手にさせたら、何処までも行って帰ってこなくなる。聞き分けの良い犬は、元から賢いか前世が賢い人間だったのだろう。こうしてバトルは常に勃発し、膠着状態に陥る時も多かった。
(やっぱヒカリは、おぼこいなあ……)
無理にブチを操るから、無駄な力が多い。
(この点、オバさんは上手いよな。知らぬ間に反転しちまうからな。こっちが油断して力が抜けるタイミング、分かってんだよな。家が見えると、思わず走っちまうしな。こればっかりは、仕方ねえ)
悪戦苦闘しつつも、やっと堤防から降りて近くの公園に向かう。ヒカリはベンチに腰掛けると、少し深呼吸して落ち着いた。
よく来る場所で、子供達が遊具で遊び、同じ境遇の犬も何匹かいる。ヒカリ含め皆がマスクしているのは、コロナのせいと知った。
一緒に過ごして分かってきたが、ヒカリの家は近所付き合いが少ないようだ。犬を散歩する者同士で挨拶はするものの、オバさん含め昔からの知り合いはいない。無視されるほどではないが、特に興味も持たれていない。リュウセイの家と同じように、存在感が希薄だ。
「ふう、疲れた。ブチ、ダメですよ! ちゃんと言うこと聞いてね!」
『ワウワウ』
ブチの両頬を掴んでモフモフさせながら、ヒカリは説教する。
間近で見るヒカリの膨れ顔も可愛く、ドキッとするリュウセイである。
ブチはハッハッと舌を出し、恭順の姿勢を見せる。
コートに毛が付くのも気にせず、ヒカリはブチを抱っこして遊び始めた。
手入れも良くしてくれるので、ブチはご満悦だ
(その気になればモテるのになあ。惜しいよな)
今日もほぼスッピンで、化粧などしていない。朝の出勤時に見かける時もバタバタしていて、化粧は最小限だ。帰宅時はクタクタで、見る影もない。キャバ嬢みたいに女なんか化粧でどうとでも出来るのだから、もったいなく感じる。
どうも女磨きには、興味が無いらしい。
逆にブチと遊ぶ時は、無邪気で楽しい顔をしている。
(ヒカリって、動物相手の方が生き生きしてるんだな)
幼なじみとは言え、そこまで接点は多くない。
意外な一面であった。
リュウセイは、ヒカリが小学校のころ生き物係だった事を思い出した。
リュウセイがサッカーとかで遊んでいた時、校庭の隅にあるウサギ小屋で女子同士で楽しく世話してたのを、見かけた記憶がある。生き物を飼うのが、元々好きだったのだろう。
だから、あの時のブチに憐みをかけたのかも知れない。
(ふー、頑張ってるの分かるけどよぉ。もうちょっと俺のこと分かってくれよ、ヒカリ)
抱っこされ尻尾をパタパタ振って喜びながら、思うブチであった。
ワンワン!!
ワゥーー!!
突然、犬の鳴き声がした。威嚇している。
声がする方をみると、小さなマルチーズが、大きなブルドックに迫られていた。
マルチーズは綺麗な洋服を着せられ、箱入り娘のようである。
『オレの女になれ!』
『い、いやだ……』
人間の世界でも良くある、痴話喧嘩だ。マルチーズにその気は無いらしい。
ブルドックの迫力に気圧され、マルチーズは足がすくみ動けない。
(あーあ、やってらんねえな)
こんなリュウセイでも、ホストのROMAND先輩をはじめとして他人から人生訓を受けていた。その中に、『気のない女にまとわり付かない』という教えがある。
尤もイケメンは一人の女に執着しないという、別な意味もあるのだが。いずれにしても、カフェや居酒屋での痴話喧嘩と同様、こんな場面を見せられるのは気分が悪い。
ワゥウーー!!
「あ、ブチ、こら!」
ヒカリの腕からスルリと抜け出すと、まっしぐらに駆けて行った。
油断すると、直ぐ逃げて走って行く。よくある光景だ。
ワンワン!!
(おらぁあ、嫌がってるだろ!)
そう言いながら、ブチはブルドッグ目掛け突進した。
ワンワンッ!!
グゥ〜!! ワウゥン!!
たちまち、ブルドッグと揉み合いなる。体格はブルドックの方がやや大きいが、俊敏さでブチも負けてはいない。マルチーズは予期せぬブチの手助けに、呆気にとられている。
「あ、すいません、こら、ブチ!」
やっと追いついたヒカリが、ブチを二匹から引き離す。
「いやこちらこそ、すまんかった」
ブルドックの飼い主は、飼い犬に似て小太りのおじさんだ。
バツが悪そうに、そそくさとその場を離れる。
「ありがとうございます、慣れない散歩なもので」
対してマルチーズの飼い主は、見た目三十代の高身長なイケメンだった。
(こいつ、金持ってそうだな)
リュウセイは、気づいた。スポーツウェアや靴は有名ブランドだし、髪型も整えられ清潔感があり、ほのかに香水の香りもする。会社員なら、エリートサラリーマンかも知れない。ただ堅気なのかそうじゃないのか、良く分からない雰囲気もあった。
「い、いえ」
ヒカリは人見知りで緊張しているのか、どもりがちだ。
「お近くにお住まいなんですか?」
「あ、はい、山元町で」
「奇遇ですね、僕も同じ山元町ですよ。離婚して親の持ち家に住み始めたんです」
「それはそれは」
ヒカリは、少しこの男性に興味を持ち始めたらしい。
「何か寂しくて、このルーシーを飼い始めたんです。室内犬でも外出が必要と思い散歩に来たら、いきなりの災難でして」
「そうですか、大変でしたね」
ワン!
(ヒカリ、気を付けろ! のっけから独り者アピールする奴に、ろくなのはいねえ!)
残念ながらリュウセイの心の声に、ヒカリは気づかない。
その代わり、別の存在がリュウセイを認めた。
『君も転生者?』
『だ、誰だ?』
ヒカリとは違う声に、リュウセイは驚き辺りをキョロキョロ見回す。
しかし二人は会話を続けていて、犬は眼中にない。
『目の前にいるよ』
そう言われて正面を向くと、そこには先程のマルチーズしかいない。
リュウセイは驚き、ワンと一声吠える。
『も、もしかして……』
『そ、僕も転生して犬になったの。メスだけどね。さっきはありがとう。僕の本当の名前は、タカシ』
『お、俺はリュウセイってんだ。犬じゃブチだけどな』
『そうなんだ。ずっと病院暮らしで夭折したから恋愛なんかしてなくて。鬼女さん達から受けとか攻めとか教わったけど、正直何のことやらさっぱりなんだ』
『そ、そうか…… 俺以外にも転生者がいるのか……』
イメージとして出た少年は、確かに十代前半の姿だった。
リュウセイとは違い、真面目そうなイケメンだ。
『お前も、クモの糸を上ってきたのか?』
『ううん、違うよ。僕の場合は鬼女さん達が同情してくれて、お釈迦様に嘆願書を出してもらったんだ。それでチャンスをもらった訳』
『そんな仕組みもあんのか』
鬼女達を騙くらかし食っては寝てのグータラ生活をしてきたリュウセイには、知らない情報であった。極楽への道は一つじゃ無いらしい。
『君、隣の家でしょ。家の中から、時々見てたんだ』
『マジ! ちょっと色々教えてくれよ』
『良いよ、これからも散歩をねだってみるよ。でも病弱だから、あまり期待しないでね』
『ああ、助かるぜ』
意外な事実に驚き、二匹は戯れあって遊び始める。
大人二人も、初対面にしては楽しげに話をしている。
このイケメン、コミュ力も相当なものである。
「あら、直ぐ仲良しになっちゃったね、ブチ」
「そうですね。良かったら連絡先教えて貰えますか? 僕もこの辺は知り合いが少なくて。高輪敬浩と言います」
「え、はい。私は清河光里と言います」
「光里さんですか、良い名前ですね」
そんなわけで二人は携帯を差し出し、やりとりをする。
リュウセイも使うが、こいつもかなりの手練だ。
「じゃあ、私はこれで」
「はい。また」
ヒカリはブチを引っ張って、家路についた。
(あいつはともかく、あの男はどうかな……)
帰り道、どこなくウキウキしているヒカリを見て、心配になるブチであった。
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『ブチ、起きろ』
『ふにゃむにゃ……誰だ? あ、お前!』
夜寝ていると、再び夢の中にお釈迦様が現れた。
『てめえ、何しに来やがった』
『お前は相変わらずじゃのう。せっかく朗報を届けに来たというのに』
『ろうほう?』
『そうじゃ、良い知らせじゃ。ほれ、これを見よ』
【ステータス】
名前 :ブチ
徳 :★☆☆☆☆
イケメン力:★☆☆☆☆
洞察力 :★☆☆☆☆
統率力 :★☆☆☆☆
コミュ力 :★★☆☆☆
腕力 :★★★★☆
特殊能力 :怠惰
『お、徳が増えた?』
『まあ、困ってる犬を助けたからな』
『そうか。いやあ、良かった良かった』
初めての徳をゲットに、安堵する。仕組みは謎だが、これが貯まれば極楽に行けるのだろう。困ってる犬かなんかを助ければ良いのかと、少し分かり始めたリュウセイであった。
『あ、そうだ、あいつも転生者なんだって? 何で教えてくんねえんだよ!』
『教えてどうする?』
『と、徳の積み方聞くとか……』
『愚か者めが、裏技は使うな。それじゃ増えんぞ。今の消しても良いのだぞ?』
『い、いやそれだけは止めてくれ』
リュウセイが柄にもなく、土下座して懇願する。
改心には程遠い姿に、お釈迦様はため息を一つついた。
『まあ、がんばれ。さらばじゃ』