第四話 出会い
(ありがとよ!)
興奮して、無意識に腹を見せようと寝転びかけるが、背中が濡れたので止めた。教わった訳でもないのにしてしまうのは、どうも本能らしい。
やっと掴んだ救いの手だ。この女、器量も悪くない。ヒモで楽するためにも絶対手放さねえと誓うリュウセイは、犬になっても清々しいほどにクズである。
そんな邪な心に全く気づかない女性は、濡れたリュウセイの頭をなでてくれている。少しじゃれあいながら相手を良く見ると、その優しい顔には見覚えがあった。
(え、こいつ、もしかして?)
リュウセイの幼なじみで高校の同級生、清河光里に似ている。
中退前のクラスで一緒だったから、覚えていた。
小学校までは一緒で、リュウセイとは真逆の優等生タイプだ。
でも保育園の頃から一緒だったので、仲は悪くない。
卒業時に別の中学に行ったと聞いたが、同じ高校にいて驚いた事も思い出す。
あいつの成績ならもっと良い高校に行けたはずなのに、何でかなとは感じていた。
ただ、その辺の事情は聞いていない。
自分もあいつも、高校ではそれぞれ違う意味で少し浮いた存在だった。
ただ最後に会った時よりも、やや大人びている。
昔はメガネをかけていたが、この女性はかけていない。
それに目の前にいるのは高校生じゃなくて、明らかに社会人だ。
もしかすると、他人の空似かも知れない。
まだ確証はないが、何れにせよ犬になって初めてリュウセイに厚意を持つ人間なのだから、とにかく大切にせねばならない。
「困ってるの? 飼い主さんは?」
『クーン、クーン』
(いないんだよ! 助けてくれよ!)
つぶらな瞳で上目遣いにヒカリと思しき女性を見つめ、軽く尻尾を振る。
ホストクラブの先輩が使っていた秘技、【哀しげな子犬の目】だ。
時々【オラオラ営業】も加えて、硬軟織り混ぜて使うのが秘訣だと言っていた。
女性の顔に、同情の色が深まる。イケメンじゃなくても、有効らしい。
思わず舌を出し、ハッハと言いながら手をペロペロしてしまった。
それでも嫌な顔一つせず、リュウセイを大事に扱う。
慈悲深い聖母のようなこの姿を、あいつに見せてやりたい。
「一緒に来る?」
女性は立ち上がると、時々後ろを振り向いて、リュウセイを確認しながら歩き始めた。
『ワン!』
(よし、やったぜ!)
人に甘えるのが得意な、リュウセイ好みの展開になってきた。
ともかく一安心して、後に付いて行く。
しばらく歩くと、家に着いた。一軒家のようだ。
幼なじみとは言え、家に来たのは初めてである。
(こんな家に住んでたんだ。金持ちだったのか?)
コンクリートの塀で囲まれ、門がある。女性は門の鍵を開けて、中へと入る。もちろんリュウセイも、後に続く。中はこじんまりとしていて、すぐ目の前に玄関があった。
ちなみにリュウセイは家を出る前、母親と二人でアパート住まいであった。
母親は夜の仕事で忙しく、幼い頃から一人ぼっちの夜も多かった。
「ただいま。ほら、おいで」
『ワンワン!』
雨に濡れない暖かい場所をやっと確保できたリュウセイは、満面の笑みで尻尾を振る。リュウセイの家みたいにどぎつい香水の匂いもしないし、ゴテゴテした光り物も置いてない、至ってシンプルな家屋で居心地が良い。
「あら、ヒカリ、どうしたの?」
「あ、お母さんまだ起きてたの? ただいま」
「だってお前が帰ってこないから、心配で……」
玄関から続く廊下の奥から顔を出したのは、彼女の母親らしい。寝巻き姿だ。
おぼろげながら、会った記憶もある。
名前もヒカリと言うし、やはり本人で間違いないようだ。
ちょうど玄関にあったカレンダーを見ると、「令和二年」とあった。
(もう平成終わってんだ……)
地獄にきたイケメンから、年号の話は聞いていた。
だが自分が死んで数年経った世界にいるなんて、実感が湧かない。
「番犬にちょうど良いかと思って」
「でも野良犬でしょ? もしかしたら逃げてきたんじゃないの?」
「首輪もないし、違うんじゃないかな」
(ふぅ、やっと休める)
二人の会話をよそに、リュウセイは満足感で一杯だ。
早速、グターッと寝そべる。
だらしないけど、犬だから気にしなくて良い。
「今日は、玄関で大人しくしててね」
『ワウ!』
(勿論さ、ありがとよ!)
尻尾をふって喜ぶリュウセイに、ヒカリも和んだようだ。
ヒカリは、母のいた奥の方に行った。少しすると、何かを持って玄関に戻ってくる。
「ほら、お食べ。残り物だけど良い?」
『ワン! ワンワン!』
(ありがとよ! 最高だぜ!)
空きっ腹だから何を食べても美味しいが、ヒカリが持ってきたおじやは三つ星レストランのディナー並みに美味しい。ガツガツと食べ始めると、あっという間に完食した。
「やっぱり、お腹空いてたんだね。明日、買ってきてあげるね」
『ワン!』
(お前、いい女になるぜ!)
きっとリュウセイの言葉は分かってないが、喜んでいる様子を見て満足していた。
その後はヒカリも遅い夕食を食べ、お風呂に入って部屋に行ったようだ。
リュウセイは、暖かい毛布で横になった。
「どうしてるかな?」
眠りかけていると、パタパタとスリッパの音が近づいてくる。
二人がリュウセイを見に来たようだ。
「もう寝そうだね」
「本気で飼うつもりなの?」
「調べたら、迷子の犬は警察と保健所に連絡しに行った方が良いんだって。明日は土曜だから、とりあえず警察に行ってくる」
「名前はどうするの? 呼ぶのに必要じゃない?」
「そうね……じゃあ、『ブチ』ってどう?」
「え、安直過ぎない? 確かにそんな顔だけど」
「だって思いつかないんだもん。ほら、ブチ?」
『ワゥ?』
(え、その名前はセンス無いんじゃ……)
思わず反応してしまった姿に、ヒカリは満足そうだった。
「ほら、ちゃんと分かってるって」
「そう言うもんかねえ」
母親は微妙な様子だが、二人とも行ってしまった。
寝ぼけていたリュウセイは、やがて深い眠りにつく。
❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖
『……リュウセイや? おい、リュウセイ……そろそろ起きろ』
遠くで、俺を呼ぶ声がする。
「誰だ? 眠いんだよ」
『いや、ここは夢の中ぞよ、リュウセイ。私を覚えているか?』
そう呼ばれて目を開けると、目の前にはお釈迦様がいた。
はっきりと目が覚める。自分の体を見ると、人間の姿になっている。
「お、俺人間に戻った?」
『いや、ここは夢の中だからな。現実に戻すか?』
お釈迦様は、瞬時にリュウセイを犬の姿に戻す。
「おい、テメエ、俺を犬にしやがって! 何様のつもりだ!」
『お釈迦様だが』
「……まあ、そうか。いや、早く元に戻せよ!」
『いちいちうるさい男だな』
再び、リュウセイは人間の姿に戻る。
リュウセイの文句にも、お釈迦様は平然としていた。
まったく、似ても焼いても食えない奴だ。
『しかし、これでは、極楽には行けないぞ。【徳】を積めと言ったはずだ。ほら、今のステータスだ』
お釈迦様はそう言うと、何やら操作して変な画面が現れた。
【ステータス】
名前 :ブチ
徳 :☆☆☆☆☆
イケメン力:★☆☆☆☆
洞察力 :★☆☆☆☆
統率力 :★☆☆☆☆
コミュ力 :★★☆☆☆
腕力 :★★★★☆
特殊能力 :なし
『黒い星が、到達点じゃ。お前、ダメダメだな』
「ステータスってなんだよ! ゲームかよ! 名前、ブチになっちまったよ!」
『ああ、うるさい。文句ばかり言ってても、徳はつかんぞ。別にお前が地獄に堕ちても、私には関係のないことだ。せいぜい頑張るが良い』
「あ、行くんじゃねえ、待ってくれ! おい!!」
グフッ
夢見が悪く、目覚める。就寝中の犬もウンウンうなされる時があるが、もしかしたら前世の夢を見ているのかも知れない。
(くぅう。まだ寝っか)
とにかく疲れている。今は寝ることに専念した。
次の日——
「警察に行ってきたよ。写メをプリントして提出してきた」
「そうかい、じゃあ保健所は平日だから、私が行くかね」
「ありがとう。ブチ、散歩に行く?」
『ワン!!』
こうして、リュウセイの犬として暮らす生活が始まった。