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第二十四話 光里の未来(前編)

 オリンピックも終わり、清河光里の日常は平穏に戻った。


 平穏に戻った、は言い過ぎかも知れない。母とブチを失ってから、未だ間もない。心の傷は簡単に癒える(たぐい)では無く、せいぜい日常の生活リズムが戻っただけと言える。


 あれから一ヶ月以上経つ。梅雨も明け、じっとりと暑い毎日が続いたかと思えば、台風がやってきて土砂降りの日もあった。予想外の猛暑で寝苦しい夜が続き、寝不足気味だった時期もある。


 静か過ぎる家に住むのは寂しい。あのおじさん(氷黒)の言葉通り、独り身にこの家は広過ぎるのだろう。でも、光里はここを離れる気になれなかった。


 ある日突然、母やブチがひょっこり現れはしないかと期待する自分がいた。理性ではあり得ないと分かっているものの、二人(一人と一匹)の亡骸を看取れなかった事実もあって、本当に死んだという実感が湧かない。父と死別した時とは違い、どうも煮えきらずモヤモヤした感情を光里は消化しきれなかった。


 思い返すと、山梨のおばあさんが亡くなった時もお葬式は母と二人だけだった。もうすぐ母の新盆を迎えるが、母の同僚は忙しいし、他に誰かが来るあては無い。


 これが少子高齢化の現実なのだろう。


 遺産相続の手続きは煩雑だったけれど、何とか税金を払い登録変更できた。山梨の家も含めて母の死亡保険で払える額だったので、維持する決心はついている。

 だがもし光里が死んだら、葬式をしてくれる親類や恋人友人はいない。二十代では想像しにくいが、歳を取るごとに不安が増しそうだ。でも身近に好きな相手もいないので、結婚する自分の姿も想像できなかった。



「行ってきます」


 誰に言うでもなく玄関を閉めて門に鍵をかけ、いつものスーツ姿で家を出る。作りすぎた朝食は冷蔵庫にしまった。しっかりしなきゃと自分を奮い立たせ、何時もと同じ時間に駅へ向かう。道に咲く沢山のヒマワリが、眩しく輝いていた。

 お世話になった婦警さんが交番にいたので、軽く会釈をする。彼女も光里に気づいて挨拶を返してくれた。あれから変質者に絡まれる事は無い。でも不安な日々を過ごす光里にとって、婦警さんの笑顔は数少ない安心だった。



 朝のラッシュアワー、ホームには沢山の人がいる。

 でもその数は、コロナ前より明らかに減った。


『山川田〜山川田〜……』


 いつもの電車がやってきて、顔なじみの人達と一緒に乗り込む。

 残念ながらこの駅では満席だから、つり革を掴んで立つ。


 女性専用車両なので、ウザい男はいない。外の風景に目をやると。見慣れたマンションやビルが流れていく。興味をそそられる変な形の建物もあるけれど、近くの駅に降りて行くまでの勇気はない。どんな景色が広がるのか、どんな人達と会えるのか、今の光里が窺い知ることはなかった。



『次は府中〜府中〜……』


 急行に乗り換える。本格的に混雑するここからが正念場だ。

 当然立ちっぱなしだが、もうすっかり慣れていた。


 初めての満員電車は、中学受験で合格した女子校への通学だった。小さい頃から本を読んだり物を覚えるのが好きだった光里は、友達と一緒に通った塾でも好成績で、塾の先生に勧められて幾つか受け無事に合格した。


 何となく制服で選んだ学校だけれど所謂(いわゆる)お嬢様学校で、平民の光里は苦労させられた。表立ったイジメはない。けれども相容れない明確な線引きは母との生活を否定されたように感じ、精神的な拷問に等しかった。


 別荘持ちや毎年の海外旅行は当たり前。金持ちの子沢山なのか、子供三人の家庭が多い。家族ぐるみのパーティーも頻繁にあったらしいけど、光里が呼ばれる機会はついぞ無かった。


 それでも一度、他校の男子も混ざって数人で遊んだ時があった。だが彼らは光里の連絡先だけを聞いてきて、それ以来誘われなくなる。彼女らは光里の知らない話題で盛り上がり、自然と一人でいる時間が増えた。気付かないのか親の顔色に怯えているのか、組み分けがいつも独りぼっちでも先生は助けてくれなかった。


 才能ある人も居たものの、殆どは親の七光だ。成績は、光里の方がはるかに良かった。その代わり、彼氏が慶應や早稲田とか言って自慢話をしている。写メを見せてもらうとイケメンで、実家も〇〇の創業一家だとか総資産百億以上とかの要らぬ注釈を誇らしげにしていた。


 生存競争が激しい昨今、きっと彼女達は才能がなくてもこのままエスカレーターで系列の大学に入り、うまく結婚相手を捕まえて一生安泰の生活が待っているのだろう。越えられない壁を見せつけられて、光里の内向的な性格と動物好きに拍車がかかった。六年間彼女達に支配されるのは我慢できず、高校は別のところに決めた。


 母に悪いと思い経済状況を考えて近い高校を選んだが、そこでも成績が良すぎて浮いてしまう。幸いに先生達は丁寧な対応をしてくれたから、卒業と就職まではできた。巷ではブラックと呼ばれる部類の忙しさだけれど、気が紛れるので居心地は悪くない。



『次は明大前〜明大前〜……』


(ブチ……)


 電車に揺られながら、光里はあの時を思い出していた。


 本当に、災難な夜だった。ブチを奪われ見ず知らずの男に呼び出され、訳が分からず奮闘した。何とか解決して帰った時はクタクタだったのに、更なるトラブルがあるとは予想してなかった。


 あの後、帰宅した光里を何台ものパトカーが待ち受けていた。赤ランプを見るだけでもビックリするのに、それが何台も自宅前にいるとは心臓に悪い。罪を犯した覚えがなくても、身構えてしまう。


 何事かと思ったところ、どうやら不法侵入者がいたらしい。

 向かいの小谷さんが、偶々見て通報してくれたようだ。


 ギャーギャーうるさく喚くおじいさんと仲間二人が現行犯で逮捕され、パトカーに乗らされようとしていた。おじいさんの顔は、小さい頃に見た記憶がある。でも残り二人は知らない人だった。


 深夜に帰ってきた姿を不審に思われ、光里も警察から事情徴収を受ける。さっきの出来事は言いたくなかったから、犬を探していたと誤魔化す。どうせ本当のことを言っても、信じてはもらえない。幸い警察は多少不審に思いながらも一応納得したようで、帰ってくれた。


 流石に光里の限界を超えて疲労困憊し、翌朝は会社に病休連絡をして有給申請も含め正味四日間の休みをとった。これで今年の有給休暇は殆ど無くなったけれど仕方ない。


 あの時はもう何も考えられず、ひたすら惰眠を貪る日々だった。


 その後、高輪さんから『父が迷惑をかけて、すいません』とお詫びのメールが一度あった。気付くと隣家は無人になり『売家』の紙が貼られていた。あのおじさんが高輪さんのお父さんだったと、その時初めて知る。


 後日、現場検証に警官とおじさんがやって来た。どうやら庭の一部を掘り返していたらしい。警察から何度理由を聞かれても「黙秘する、弁護士を呼べ」一点張りのおじさんは、警察に悪態を吐きながら帰っていく。「余罪はたんまりあるからな、ゆっくり喋ってもらうぞ」と言う刑事さんの脅し文句が、少し怖かった。


 一体何があるのだろうと、今度は光里が興味を持った。庭に何かあるなんて話、母がした記憶はない。警察が帰って暫くしてから、おじさんが掘りかけていた庭の一角を試しに掘ってみた。


 すると、おじさんの言う通り木箱が埋められていた。

 かなり古いが頑丈で、鍵はかかってなかった。


(本当にあったんだ……)


 恐る恐る蓋を開けてみると、そこには沢山の古い五百円札や一万円札がぎっしりと詰められ、風呂敷に包まれていた。


(凄い!)


 大金を見て一瞬は興奮した光里だが、冷静になった後どうすべきか悩んだ。


 本来は警察に持っていくべき物だ。そして時効がくれば、自分の物になるだろう。何枚あるか数えようと思ったが、多すぎて無理だった。


 でもあまりに古くてカビも生えており、持って行くだけでも大仕事だ。

 捨てられた状況を見ても、面倒ごとに巻き込まれる予感しかしない。

 マスコミにかぎつけられたら、やっと戻った生活が台無しになる。


 結局、光里はそのまま庭で燃やした。


 今まで散々トラブルに巻き込まれてきた光里である。

 火中の栗をこれ以上拾いたくなかった。


 あれを警察に持っていけば、大金持ちになった可能性もある。だが分不相応に大金を持って人生が狂った話もよく聞くし、こだわらない事にした。何もせずに金持ちになるなんて、嫌いだったあの女子校の同級生達と同じみたいな気分もあった。



『次は終点、新宿〜新宿です。お降りの際はお忘れ物にご注意ください。本日も京王線をご利用いただきありがとうございました……』


 考え事をしていたら、あっという間に終点だ。

 乗り換えるために、電車を降りる。

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