第二十二話 流星の反撃とその顛末
『あらあら、発動しちゃったのね』
遠くで眺めていたニジェムは、流星の復活に驚いた。
『穢れなき乙女の涙と私心なく身を捧げた生贄の組み合わせなんて、無理かと思ってたけど。やるじゃん、あいつ』
❖ ❖ ❖ ❖ ❖
そんなニジェムの独り言を知らずに、流星は氷黒に挑みかかる。
人間になった流星は、元気いっぱいだ。
戻れた仕組みは謎だけれど、今やることは一つ。ちなみに半裸で裸足だが、大事なとこは隠れている。生前と同じく細身でも逞しい肉体は、今まで散々やられてきた眼前の憎き敵に全てのパワーを向けた。
「うおりゃあああ!!!」
バンッ!! バンッ!!
流星は氷黒の銃撃を巧みにかわし、低い体勢で頭から突っ込んでいく。
ドスッ!!
「うごっ!」
力士の立合いのようなエネルギーが腹に直撃し、たまらず氷黒は倒れ込む。タックルの衝撃で拳銃が氷黒の手から離れ、草むらの中に消えていった。
そのまま流星は、倒れた氷黒にパンチを喰らわせようとする。しかし氷黒は歳の割に俊敏な動きで流星の攻撃を避け、立ち上がった。氷黒は拳銃を取り戻したかったが、流星の攻撃を恐れ防御を優先した。
流星は流星で、氷黒の強さをひしひしと実感する。
(このオヤジ、できる)
喧嘩慣れしている流星でも、思い通りにいかない。人間に戻ったばかりで体が慣れてないハンデもあるが、裏世界の住民だけあって、氷黒の強さは流星並みかそれ以上と思われる。
「やるな、小僧」
氷黒は余裕の笑みを浮かべていた。これぐらい準備運動のようだ。だが一方で、若さ溢れる流星もやる気十分であった。
「あんたも、やるじゃねえか」
「わんころ虐めるだけじゃ、つまんなかったしな。遊ばせてもらうわ」
ザッ!!
(ヤバい!)
今度は氷黒が思い切り踏み込んで、流星の懐に潜り込んだ。そのスピードは流星の予測を超え、がら空きになった流星の腹に氷黒はパンチを見舞わせる。
ドスッ
「グフっ!!」
レバー目掛けてねじ込むように入ったコークスクリューパンチは、流星に深いダメージを負わせた。氷黒渾身のパンチで流星は悶絶し、たまらず座り込んで苦しむ。衝撃で息ができない。
流星の回復を待つほど優しくない氷黒は、更なるトドメと、腹にガツッと蹴りを入れた。
「グェッ!!」
流星は更に苦悶して、体を曲げる。これはかなりのダメージだ。
激しい痛みと苦しみに、のたうち回るだけであった。
「グフォッ!! ウゥ……」
「小僧、修行が足りねえな」
(ヤベえ……)
「負けるわけには、いかねえんだよぉ!」
泥とアザだらけになりながらも、流星は何とか立ち上がる。
「最近運動不足だから、ちょうどいいわ」
「うるせぇ、このくそオヤジ!!」
そのまま二人は、ボクシングさながらの殴り合いを始めた。
ドカッ! ボスッ! ドゴッ!
「流くん!」
光里は、何もできず見守るだけであった。手助けしようにも喧嘩した経験がないので、下手に何かすれば足手まといになる。警察への連絡も考えたが最初に手を出したのは流星だし、彼自体の説明をできる自信がなかったので躊躇していた。
二人の熱い闘いは、しばらく続く。
どうやら、氷黒の方が一枚上手のようだ。流星が放つ素早いパンチを巧みに交わしつつ、確実にヒットさせていく。みるみるうちに、流星の体には痣が増えていった。
結果として流星は、先ほど光里が上ってきた階段付近までリングのコーナーのように追い詰められた。狙い通りなのか、氷黒はニヤリと笑う。
ゴフッ!!
「うぐっ!」
顎に入ったパンチで、流星は一瞬気を失いかける。
よろけて攻撃の手を緩めた流星の隙を、氷黒は見逃さなかった。
「これでフィニッシュだ」
ドンッ!
「うわぁああ〜〜!!」
「きゃぁー!! 流くうぅうんん!!」
ドスンドスンッ! ゴロゴロ〜!! ドタン!!
氷黒に腹を蹴られて後ろによろめいた流星は、そのまま石段につまずき落下して行った。光里が来た時に転んだ石段は、かなりの急勾配であった。転んだ勢いでそのまま止まらず、流星は人形みたいに無防備な姿を晒し一番下まで落ちていく。光里の悲鳴だけが、残響のように流星の耳に残った。
ドッーーン!!
……
(うぅ、マジで痛え……)
これが舞台で池田屋の階段落ちなら、名役者としてスポットライトを浴びただろう。だが観客は遠くに氷黒と光里しかおらず、一人流星が苦しむだけであった。
擦り傷や打撲は当然のこと、肋骨も何本か折れているようだ。
痛みで流星の顔が歪む。
一本しかない外灯が薄ぼんやりと輝き、かろうじて付近を照らしていた。階段の先は小さな広場で、光里の車が停まっている。その先は見通しの悪いカーブの車道で、ガードレールの先は崖だ。
この崖から落とされたら、確実に死ぬ。
幸い、手足は折れていない。何とか動かせる。
あいつの出番は無いらしいから、他に武器はない。頼れるのは、この体ひとつ。昔の流星なら、こんな割りに合わない喧嘩は投げ出していた。しかし今の流星には、光里のことしか頭になかった。
ダメージ回復を優先し、這いずりながら階段を上って行く。
「おうおう、上ってくるか。早く、ここまで来いよ」
上の方から、氷黒がこちらを見て挑発していた。どうやら降りてこないようだ。ここでトドメを刺しに降りて来られたら万事休すだが、氷黒は自身が優勢と知っての余裕なのだろう。ムカつくけれど、体力温存の為にも油断してくれた方が助かる。
(ちくしょう、今度はやってやるからな……)
意識が朦朧とする中、光里を助けたい一心で、流星は階段をよじ登って行った。顔を上げる余裕もなく、ひたすら目の前の石段を上がっていく。すると、上の方で声が聞こえた。
「来ないで!」
「お姉ちゃん、止めときな」
(な、なんだ? あいつ、何をしている?)
悲鳴にも似た光里の声を聞き、嫌な予感がする。アドレナリンが分泌して興奮状態となった流星は、痛みも薄れてペースを上げて階段を登る。ようやく上り切って顔だけヒョンと出して様子を伺うと、氷黒は流星に背中を向けた状態で、光里と対峙していた。
「ほ、本気ですよ!」
光里は両手で拳銃を握りしめ、銃口を氷黒に向けている。どうやら、さっき氷黒が落とした拳銃を、隙を見て光里が拾ったらしい。光里なりに、一生懸命頑張ったのだろう。
「お姉ちゃん、あんたにゃ無理だ。初めてなんだろう?」
氷黒の口調は、子供を嗜めるように冷静だった。
あいつの指摘通り、拳銃を持つ手はブルブル震えており、狙いは定まっていない。流星も拳銃は触った経験がないが、どう見ても無謀だと分かる。
「改造銃だから、素人には扱えねえ。下手すりゃ、暴発するぞ? それに、もし俺に当たったら、傷害罪だ。初犯とは言え、立派な刑事事件になる。会社も家も、居づらくなるんじゃないか?」
「だ、だって流くんが!」
彼女も必死だった。自分の為にここまでする流星を思うと、簡単には引き下がれない。未だ二人とも、流星の存在に気付いてなかった。
「いや、お姉ちゃん、冷静になってくれ。俺はこの書類だけで十分なんだ。あのバカを説得してくれないか? それで、事は丸くおさまる」
「え、でも……」
氷黒の言葉に戸惑う光里は、銃を持つ手が一瞬緩んだ。
「うぉおおお!!! やめろぉおお!!!!」
説得されつつある光里を守るため、流星は一気に走り込んで行く。油断していた氷黒が振り返った瞬間、流星は氷黒の胸ぐらを掴み引き倒す。
ガンッ!
コンクリートに叩きつけられて頭を打ったのか、立ち上がった氷黒はよろめいていた。
「てめえら、いい加減にしろぉお!」
「おっさん、そろそろ終わりにしてやるぜ!」
「ふざけんな! ぶっ倒してやる!」
イライラする氷黒に流星が掴みかかり、今度は取っ組み合いの喧嘩となる。
接近戦は、服を着ている分氷黒に不利になった。流星も体の節々が痛むが、この機を逃すわけにはいかない。流星は氷黒の腹に膝蹴りを入れると、氷黒は苦悶の表情を浮かべる。そして一度離れた流星は、氷黒にドロップキックをかました。
ドスッ!
キックの勢いで氷黒は吹っ飛ばされ、そのまま階段を真っ逆さまに落ちていく。
「うぉおおお!!!!」
断末魔の悲鳴は、落下とともに消えていった。
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風のざわめきしかし聞こえなくなり、流星と光里は恐る恐る階段の下を覗き込む。外灯に照らされた氷黒は、動かない。上から見ただけでは、死んでいるのか生きているのか判別できなかった。
「ちょっと見てくるか」
「私も行きます」
「足元に気を付けろ」
転ばないように気をつけながら、階段を下りていく。
側まで来ても、氷黒はピクリとも動かない。
油断させる気かと警戒したけれど、本当に動けないようだ。
ただ軽く息はしている。
「気絶、してるんですかね?」
「どうもそのようだな」
流星は氷黒が着ている背広のポケットをまさぐり、光里のサイン付き書類を探し出すと、ビリビリに破いた。これでミッションは終了。光里の家は安泰だ。
「じゃあ、家に帰るか」
もうここに止まる必要はない。一仕事終えた満足感で、流星は軽く言った。
だが彼の言葉に光里は戸惑い、挙動不審になる。
「あ、あの……流くん、帰るって、私の家に?」
「ああ、そうさ……って、そうか!」
ブチでいた感覚で喋ったものの、よくよく考えると今は人間だ。さすがに犬小屋には戻れない。ヒモの頃は流星を拒絶する女なんて居なかった。だがいくら幼なじみで恩人とは言え、簡単に心を許すほど光里はビッチではない。
「改めてですが、吉良里流星くんですよね?」
「まあ、そうなるな……」
頭をかきながら、流星は気まずそうに答える。ずっと心は流星のままだったから違和感がなかったけれど、光里からすれば突然ブチが人間になったのだ。混乱するのは当然だろう。
「この度は本当にありがとうございました。後で、お礼をしたいと思います。それで、ブチはどこに居るんですか?」
「いや、俺がブチで……」
「え? もう会えないの?」
「まあ、そういうことになるのかな……」
目の前の流星よりブチが大好きな光里にとって、それは非情な宣告だった。
ブチの不在が光里の心に影を落とし、目に涙が浮かぶ。
「そんな……ブチ……」
慌てて流星は、光里を慰めようと肩を抱き寄せた。
「いや、これからは俺が居るからさ……」
「え? ちょっとそれは……」
戸惑う光里は、瞬時に流星から離れる。
「優しくしてやっからよ」
「り、流くん? ふざけないで。何言ってるの?」
さっきとは違う厳しい表情をしている。
どうも、要領を得ない展開だ。
(ヤベえ、こっからの生活、どうしよう?)
一難去って、また一難。
混乱した流星は、光里の目線を恐れいつの間にか車道まで出てしまう。
そして運悪く一台のトラックが、この道を通り抜けようとしていた。
プオォオオオ!!!!! プップーー!!
「うわぁああああ!!!!」
数多の名作を生み出したと言われる伝説の異世界行きトラックが、今、流星の目の前にいる。カーブを曲がった先に突然現れた流星を発見してクラクションを鳴らし急ブレーキをかけた運転手であるけれど、このスピードでは止まれない。運転手も自分の役割を知っているので、これ以上は無駄と諦めていた。
ドッーーーンンン!!!
鈍い音を立てて、流星はトラックに正面衝突した。
「きゃぁああ!! 流くぅうんん!!!!」
またもや光里の叫び声が聞こえるものの、流星の意識は消えかけていった。
(な ん で だ よ……)
光里との出会いも束の間、流星は再び帰らぬ人となった。




