第二十話 氷黒の提案
『よお、元気?』
苦しみもがくリュウセイの下に、お釈迦様が現れた。無表情のくせに、薄らと笑みを浮かべているのが小憎らしい。そんな呑気なお釈迦様に、リュウセイは毒づく。
『てめぇ、元気なわけねえだろ! 何とかしろよ!』
『いやぁ、儂には悟りしかない。総てを受け入れるのじゃ。自己責任じゃ。うまくいけば畜生道で待っとるぞ』
相変わらずの無責任っぷりは、どこかの国の政治家みたいだ。
当然、リュウセイは更に怒り狂った。
『ふざけんなぁあ! お前、ホントは必殺技とかあるんじゃねぇのか?』
『そうしたいのはヤマヤマだが、ここで儂の本気を見せると、天女達や他の神からつまらんと文句が出るからな。代わりにほら、ステータス』
【ステータス】
名前 :ブチ
徳 :★★★★☆
イケメン力:★★★★☆
洞察力 :★★★★★
統率力 :★★★★☆
コミュ力 :★★★★☆
腕力 :★★★★☆
特殊能力 :必死
アイテム :ナイルの炎
『お、微妙に上がったな。って、ありがたみねぇよ! これじゃ! 必死ってなんだよ! 当たり前じゃねえか!』
『とにかく、もう少しじゃ。実はここから最終回まで、儂の出番は殆ど無い。だから読者に応えて、増やして貰ったのじゃ。ふぉっふぉっふぉ。あきらめたらそこで試合終了ですよ?』
『安西先生かよ! ネタふりぃよ!』
『ふぉっふぉっふぉ』
『この役立たず! クズ野郎! 極楽行ったら覚えてろぉ!』
リュウセイの罵声にも応えず、お釈迦様は消えていった。
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(ってぇ…… はっ! ここどこだ?)
眠りから覚めたブチは、辺りを見回そうと首を動かした。が、目隠しされていて真っ暗だ。横たわっているらしい。立ち上がろうと手足を動したものの、縛られて動かせない。
(ヤベえな……)
軽く風が吹いているので、外にいるのは分かった。
冷たく硬い感触があるから、コンクリートのようだ。
側でタバコの匂いがする。あいつだ。吠えようにも口輪は当然そのままで、グゥ〜と唸るしかできない。その様子を見て、氷黒はブチの目覚めに気づいたようだ。
「よぉ。起きたか、わんころ」
(くそっ! ほどけよ!)
悪態をつくものの身動き取れず、氷黒には何の効果も無い。ゆっくりとタバコを蒸している。人間の頃は吸っていたタバコも、今やブチにとって有害物質で、咳き込むぐらい苦しい。
「お姉ちゃん、来るかな?」
(なに! やっぱりヒカリを呼び出してるのか。罠だ! 来るな!)
氷黒の言葉に一層激しく反応したブチはモゴモゴもがくものの、きつく縛られ抜け出せない。もどかしいまま時間だけが過ぎていく。
(夜中だし、携帯番号も知らないだろうし、どうやって呼び出すんだ?)
もしも、こいつの部下が家に待ち構えていたら……
ブチは嫌な予感がした。
ブォオオオ!! キキィイイイ!
しばらくして、派手なエンジン音と急ブレーキが下の方で聞こえた。
続いて、石段をザッザッと駆け上る音がする。ヒカリだ。
(や、ヤベえ! 来ねえ方が良いって!)
だがモガモガ言うだけで、全く伝わらない。
「キャッ!!」
ドサッ!!
どうやら慌てていて、転んだらしい。痛みがあるのか足取りが遅くなるも、光里はやってきた。ブチからは見えないが、仕事着そのままのタイトスカートにハイヒール姿、髪の毛はボサボサで、あちこちに泥や雑草の種がついて汚れていた。
「はぁ、はぁ」
息を切らしながら来た場所には、怪しげな男が一人で待っていた。すでに廃墟となった団地なので、蛍光灯はない。けれど光里が来た道や向こうの山にある住宅地の光で、かろうじて視界は保たれている。そして男の足元に、縛られて苦むブチの姿があった。
「ブチぃい!!」
ブチにとって初めて聞く、光里の叫び声だ。
彼女にとって、どれだけ必死なのかが分かる。
(ヒカリ、来るな!)
「ぶ、ブチを返してくださいっ!」
「清河光里さんだな」
氷黒は1ミリも動じず、光里に尋ねた。
「は、はい。どなたですか?」
勇気を持って立ち向かう光里であるが、やはり強面な男は怖い。
氷黒は光里の質問に答えず、話を進めた。
「手荒な真似をして申し訳なかった。これもビジネスでな」
「ビジネス? 何のことですか?」
思ったより丁寧な口調に、光里の警戒心は少し和らぐ。
「何のことか、分かんねえよな。わんころが突然拐われて、ここに来いって言われたんだからな」
「はい」
他人事で哀れむような氷黒の口調に、生来の性格の良さか、光里は丁寧な態度をとってしまう。明らかにこの男が悪いのだが、正常バイアスがかかったようだ。
「警察には連絡したのか?」
「い、いえ……急だったので」
「まあ、良いさ。仮にあいつらを呼んでも、何も出来ねえ。安心しな、あんたを殺したり襲ったりはしない」
「ありがとうございます。でも、何のことですか?」
光里は足が震えながらも、ブチを返してもらいたい一心だった。
一刻も早く救出をと思い、無意識に足が出る。
「おっと、取引が決まるまで、動かないでくれ。もし動いたら、こうだ」
そう言って、氷黒は懐から拳銃を取り出す。
薄暗くてよく見えない光里も、不吉な予感で凍りついた。
(また麻酔銃かよ。こいつハッタリか?)
さっきは痛かったが、針の痛みだけで済んだ。
それだけなら、まだマシだ。
ブチだけ軽く考えていたその時、
バンッ!!
(ひえっ!)
今度は本物の実弾だった。先ほどの麻酔銃とは違い、硝煙の匂いが立ち込める。光里からも、銃口から煙が上がるのが見えた。ブチの足元のコンクリートは、銃弾が貫通して穴が出来ている。破片がブチに少々飛んできたが、跳弾が無いだけ幸いだった。ブチは恐怖で尻尾を丸め、ブルブルと震えた。
(こいつ、本物の拳銃も持ってやがった!)
「大人しくしてくれたら、これ以上はしねえ」
「わ、分かりました」
初めて会う裏世界の人間に、光里は完全に飲み込まれ怯える。
「物分かりが良くて助かるぜ。話というのは、あんたの家なんだ」
「私の家?」
予想外の言葉に光里は面食らい、戸惑った。
「ある人が欲しいと言っててな、土地ごと買い取りたい。もちろん、相場よりも高く買うよ。言っちゃあなんだが、古いし、一人暮らしには広すぎるだろ? 税金差し引いても、新宿辺りにマンションを買えるぐらいは残る。職場から近いし便利だろう。だから、何も憂うことは無い」
「嫌です! あそこには思い出が沢山詰まってるんです!」
光里は即答だった。
「良いのかい? わんころは?」
「はっ! ……で、でも……」
拒否するとブチの命が危ないと気づき、トーンダウンする。
だがそれでも、光里は家を売りたくなさそうだった。
今までを思えば、当然だろう。
「まあ、そうかも知れねえな。お姉ちゃんの気持ちも分かる。しっかし、家ってなんだろうな? この団地、昔は俺の家だったんだ。もう廃墟だけどな」
「え? そうなんですか……」
これも、光里が予期せぬ話だった。




