第十六話 オヤジの回想と光里の危機
「あれは、ワシが8歳の時だった。師走なのに雨が良く降っていたな。あの頃のワシはガキ大将で、いつもガキ共を従えてイバってた。年上の子供も、ワシには逆えんかったわ」
昔語が始まる。年寄りのヤンチャ自慢ほど面倒でつまらないものはない。だが遮るとキレるので、敬浩は大人しく聞いた。
「わしの従兄弟に、サミュエル裕君というのがいてな。サム君と言っとった」
「え? パパ、そんな叔父さん知らないよ?」
敬浩も流石に親戚関係は把握している。初めて聞く名だ。
いよいよボケたかと、思わず突っ込んでしまう。
「うるさい、最後まで話を聞けっ!」
さっきより威勢が良くなる。元気が戻ったようだ。
「それでだ、そのサム君ちゅうのは当時大学生をしておった。顔つきは日本人だけど手足が長くて髪は茶色だったから、今にして思えばハーフだな。オシャレで、格好良かった。ワシとは気が合ってな、よく遊んでもらった」
「ふうん」
この辺りには米軍基地跡や現役の通信施設もあるので、察しはつく。敬浩の幼なじみでも、似た境遇の子はいた。
「近くの大学に通っていたから、うちにも良く来てたんだ。勉強は知らんが、いつもバイクや車を乗り回しておった。そう言えばサム君の友達と一緒に、キャデラックに初めて乗せてもらったなぁ。ワシがアメ車好きで今でもコレクションしてるのは、あの時の感動があったからじゃ。それで……何だったかな?」
「三億円事件だよ」
「ああ、そうだそうだ。あの時は大ニュースだったから、その話題でもちきりだった。怖い人が来るから登下校も注意しろと、毎日言われたていたな。家に警察も来て、親父が聞かれてたよ。警官とは馴染みだったから、一言二言で直ぐ終わったけどな」
「そうなんだ」
おじいさんとは、そんな話をした記憶もない。
話題にする内容ですら無かったのだろう。
「だがな、ワシは見たんじゃ。離れの納屋に、あのバイクが置いてあった。後から分かったが、あのヤマハのバイクと瓜二つだ。サム君は何台もバイクを乗り換えていて、そこをガレージ代わりに使っていた。特にあのバイクはカッコ良かったし、最初青だったのを白に塗り替えてたから、印象に残っとる」
「ふうん」
「それにあの頃遊んでもらおうと納屋に入ろうとした時、すごい剣幕で怒られての。ワシにはいつも優しかったから、ビックリしたんだ。そしてそのバイクで出かけた後、サム君は家に来なくなった」
「そうなんだ」
白バイに偽装したというバイクか。その情報は、警察に知られることなく終わったようだ。ただあのバイクは何度も映像になったので、父が勝手に記憶違いをしていても不思議ではない。
「そして忘れもしない、十二月の半ば。事件から少し経って冷たい雨が降っていた。夜中、ワシは用を足しに離れのボットン便所に行ったのじゃ」
「ボットン便所?」
「お前は知らないだろうな。あの頃は、まだそれしかなかった」
「そりゃ知らないよ」
「まあ、良い。用を足して出ようと思った時、雨音と違う、人の歩く音がした。幽霊だと思って、ワシは怖くて外に出られなくなった」
「ありゃりゃ、お気の毒」
小学二年生の子供なら、お化けや幽霊を怖がって当然だろう。
敬浩も、きっと同じことをする。
「ワシはビビリながらも、外で何をしているか便所の窓から覗いたのじゃ。そして、見たのじゃ」
「何を?」
「真っ暗闇の中、あのサム君が庭を掘り起こして何かを埋めていたんじゃ。遠いから具体的な物は見えなかったものの、かなりデカい器だった」
「それが、三億円てこと?」
「おそらく。いや、絶対そうじゃ」
今の話の内容では、些か心許ない。父の記憶が正しいとしても、埋めた物がお札かどうか分からない。そもそも、その従兄弟が怪しいのならば、捜査線上にあがった筈だ。
「その後サム君はどうなったの?」
「ワシは見つかったらまた怒られるんと思い、すぐ部屋に戻った。そしてその日以降、見ていない」
「え?」
「何処に行ったのかも、知らん。親や親戚に聞いても知らぬ存ぜぬでお終いだ」
「その人、ホントにいたの?」
証拠も何もなく、実物を見るまでは信用できない話である。
「本当だ。ワシが嘘を言うと思うか?」
「まあそうだけど。そのサム君の親御さんが知ってんじゃないの?」
「いや、誰がサム君の親か、ワシは知らん」
「何で?」
「親戚と一緒の時も独りで隅っこにいて、みな腫物に触るような対応だった。ハーフだから、きっと米軍兵士との子だろう。当時の雰囲気じゃ、親だと言えるわけもない。もしかすると儂の母さんだったかも知れないが、真相は全て藪の中じゃ」
「そうなんだ」
父は必死で、敬浩を説得する。
ここで否定しても堂々巡りになるので、素直に聞いた。
「ただワシが中学生になった頃、たまたま街でサム君の友達に会った。気になって聞いてみると、アメリカに行ったらしい。アメリカ国籍も持っていたから、あの時でも簡単に行けると言っていたそうだ。だがその後どうなったかは誰も知らなかった。メキシコ国境あたりで売人でもしてんじゃないかと言っていたが、分からん」
「ふうん」
「それより、あの後ワシのじいさんが年明けに急死してな、あの土地は相続争いの末、売りに出された。何人かの手に渡って最後に住んだのが、あの清河家だ」
「そうなんだ」
親戚の会合でもサムの話題が出なかったのは、高輪家のタブーだったからか。敬浩の小さい頃も、戦後の空気は未だあった。戦地から戻ってきた近所の爺さん達の話も、良く聞かされた。全くあり得ない話でも無いが、脳内で作り上げた幻想のようにも思える。
父の話に、どれほどの真実味があるのか判断はつきかねた。だがこの話に乗らない限り、父が多大な借金を負うのは確実で、敬浩の生活も激変する可能性は高い。
敬浩に、選択の余地は無かった。
「分かったよ。じゃあ、あの土地を手に入れれば良いんだね」
「そうじゃ。場所は何となく分っとる。少なくとも、あの公表された番号の五百円札があれば、マスコミはわんさか来る。本当の話を映画化してあの場所に記念館を建てたら、十分お釣りは来るはずじゃ。そのためには土地の権利書を持ってなければならん」
「そうだね。分かった。氷黒さん達に任せるよ」
「頼んだぞ」
敬浩は、電話を切った。
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それから少し経ち、白く浮かぶ夜桜の美しさに見惚れる三月末。
満月が桜の白さを一層引き立たせ、綺麗な夜だ。
クゥう〜
今日も、ヒカリの帰りは遅い。
少し肌寒い犬小屋の中で寝ているブチに、呼びかける声がした。
『リュウセイ君、起きて』
『ん? 誰?』
寝ぼけまなこで起き上がると、塀の上に少年がいた。
『タカシじゃねえか。ルーシーじゃねえな。どうしたんだ?』
『いよいよ、お別れの時が来たんだ』
『お、つまり徳が積み終わったのか?』
『うん、そうみたい。さっきお迎えが来たよ』
『お〜 それはめでてえな! 俺も後から行くから、待っててくれよ!』
ブチは自分の事のように喜んだ。
だが、タカシの顔に笑顔はない。
『それでなんだけど、お別れの挨拶の他に、大事な用件があるんだ』
『なんだ?』
『君のご主人、光里さんがピンチだ』
『な、なにぃいい!!!』
その言葉に慌てて庭に出て、駆け回る。だが家の中は真っ暗で誰もいない。
ワンワン吠えても、何の反応もなかった。
『おい、ヒカリはどこにいるんだ?』
タカシに向かって、喧嘩腰でブチは聞く。
気の毒そうな顔で、タカシは答えた。
『まだ帰ってきてないよ。でも、このままじゃ帰ってこない』
『ヤベエのか?』
『まあ、そうだね』
その言葉に、ブチは一層焦った。
だがここは家の庭。外には出られない。
『おい、お前極楽行くなら、天使かお釈迦か誰かに頼めねえのか? ヒカリのいる場所まで連れてってくれよ!』
『ごめん、それは無理みたい』
タカシのすげない返事に、ブチは悔しがる。そうだろうとは思っても、このままでは光里の身に降りかかる受難を、助けてやれない。
『じゃあ、どうすりゃ良いんだよ?』
『そうだね…… あ、ここに君が掘った穴があるね。堀り進めたら、外に出られるよ』
タカシは、庭の一画を指差して言った。
『マジ? よっしゃぁあ、やるぜ!』
ワォおお〜! とブチは勢いよく一心不乱に土を掘り始めた。




