第十話 異邦神
翌日も、オバさんの調子は良くならない。
ただ昨日と変わって、布団を仏間の方に持ってきた。
だから、ブチも直接オバさんを見られるようになる。
「こっちで良いの? 大丈夫? お母さん?」
「ブチに悪くてねえ。それに、空が見える方が楽なの」
オバさんの言葉が嬉しくて、思わずハッハと舌を出して尻尾をふりつつ縁側の縁に立ち上がり、オバさんを見た。寒いからガラス戸は閉まったままだが、オバさんは布団に寝ながらもブチに優しい笑顔を向ける。
だが時折、ゴホゴホっと苦しそうに咳をする。
明らかに、体調が優れない。心配だ。
「行ってきます」
今日も慌ただしく、光里は働きに行った。
(どうすっかな……)
ブチがオバさんばかりを見ていると、逆にオバさんが休まらない。
頃合いを見計らって、いつものように庭で穴を掘り始めた。
変な物を見つけたから、今日は椿の木を避けて別の箇所を掘りに行く。
お昼頃でも、オバさんは起きてこなかった。
散歩は無理だと判断し、ブチは大人しくお昼を食べた。
庭の中を自由に歩けるから運動不足にもならず、それなりに楽しめる。
静かな一日が過ぎ、気付いたら夕方になっていた。
「ただいま〜 大丈夫?」
ヒカリが帰ってきたのは、まだ陽が沈んだばかりの時だ。
普段よりずっと早い。無理したのか、いつもより更にやつれている。
「保健所に連絡したんだけど、自宅待機してくれって。ごめんね」
「そうかい、仕方ないねえ」
「熱は?」
「38度5分」
「お母さんにしては高いね。食欲ある?」
「あまりないのよ。朝から食べたのも、おかゆだけ。味もしないし」
「分かった、作ってあげる」
甲斐甲斐しく母の世話をする、光里である。
母一人子一人だから、今までもこんな時はあったのだろう。
昨今の事情もふまえ、母と接する時間を最小限にしているのがいじましい。
(ヒカリ、頑張ってるなあ)
夜の明かりに映された光里の姿に、ブチは感動していた。
もちろん、ブチの散歩にも行くし、世話もちゃんとしている。
思えば小さい頃のヒカリも、文句を言わずにリュウセイ達のわがままを聞いて世話を焼くタイプだった。高校で再会した時は影のある雰囲気で孤独に見えたが、この家庭的な姿が本来なのだろう。
夜も更ける。月が大きくて綺麗だ。
家の灯も消え、ブチは小屋の中でうつらうつらしていた。
『あ〜あ、やっぱり気になるのよね。イケメンだから? それも違うな』
声がしてハッと目が覚めキョロキョロすると、塀の上に女性が座っていた。
月明かりに照らされ青白く輝く白い肌が、妖艶で艶かしい。
服装も独特で、オリエンタルな雰囲気の衣装を纏っている。
『お前、誰だ?』
ブチは思わず、ワンワンと吠えて呼びかけた。
『こんな明るい月夜だと、元の姿に戻りたくなるのよ。あんたもどう?』
女性はそう言って、ブチに人差し指を向け、詠唱を始めた。
すると、本来の人間の姿になり、リュウセイはびっくりする。
『うわ、人間になった。あんた一体なにもんだ?』
『私はニジェム。時々会ってる、猫よ』
『ね、猫? あいつ?』
確かに、あの綺麗な猫が人間になったような姿だ。
『猫は元々、神の使いだったからね。長生きすると、こんな事もできるのよ』
『化け猫?』
思わず口にしたリュウセイの言葉に、ニジェムは不愉快な顔をした。
『失礼な。私は古くエジプト神バステトの血を引く、由緒正しい血統よ。あの辺の野良化け猫なんかと、一緒にしないで』
『ふうん』
どうりで、不思議な格好だと思った。日本の猫じゃないらしい。
『それよりあんた、あいつの手のひらで回ってて、大丈夫?』
今度は少し同情気味な、複雑な表情になる。
リュウセイはニジェムの言葉の意味が、分からなかった。
『あいつって?』
『釈迦よ、あれ評判悪いのよね。長男にも関わらず悟りなんか開いて、一族全滅させたから。あの世で親や親戚一同から非難された時も、『長男だから悟れた。俺はお前達とは違う』とか言って、更に怒らせて大紛糾したの』
『そうなんだ』
地獄では絶対的存在のお釈迦様が、そんな評判だとは意外だった。
ただ、あいつならやりかねない。
『可哀想だから、これあげる』
そう言ってニジェムは、宝石を取り出した。燃えるように赤い宝石だ。
リュウセイが受け取ると、すっと体内に入り込む。
『なんだ、これ?』
『【ナイルの炎】って言うの。あんたがピンチの時、助けてくれるわ』
『じゃあ、犬から戻れるのか?』
『それは、難しいのよね。あれでも神様だから、転生干渉は無理なの』
『そうか……』
うまくことが運ばず、がっかりするリュウセイであった。
そんな姿を見て、ニジェムは励ますように言う。
『まあ、何とかなるわ。あんたの星の巡りも、最悪じゃないし』
『あ、ああ』
『じゃあ、頑張ってね』
そう言うと、ニジェムはふっと消え去った。
リュウセイも、ブチの姿に戻る。
(何だったんだ、今の?)
夢か現実か分からないまま、ブチは眠りについた。
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『おい、起きろ! こら! ブチ!』
いつもより激しい口調で、釈迦がやってきた。
酒を飲んで帰ってきた、オヤジのようだ。
『何だよ……』
『良いから、これを見ろ!』
【ステータス】
名前 :ブチ
徳 :★★☆☆☆
イケメン力:★☆☆☆☆
洞察力 :★☆☆☆☆
統率力 :★☆☆☆☆
コミュ力 :★★☆☆☆
腕力 :★★★★☆
特殊能力 :怠惰
アイテム :ナイルの炎
『なんじゃこりゃぁああ!!』
釈迦は、昔の刑事ドラマで殉職した時のような叫び声を上げる。
知らない良い子は、お父さんにでも聞いてみよう。
『何って?』
リュウセイは、釈迦がこんなにも狼狽する理由が、分からなかった。
『こ、この 【ナイルの炎】、どこでもらった?』
『ああ、ニジェムとかいう美人な猫がくれたんだ。タダだし、別に良いだろ?』
『ま、まあ良いが…… 何か言ってなかったか?』
釈迦はどうやら、リュウセイが別の神と交わる事を嫌がっているようだ。
さっきの話を聞くに、悪い噂が流れているのは自覚しているのだろう。
『色々言ってたような気もすっけど。あんた、他の神さん達から嫌われてねえか?』
『わ、儂は嫌われておらん!』
必死の形相で弁明する姿が、いじらしい。
お釈迦様が、妙に人間臭く見える。
『ま、良いけどさ。ヤバいんじゃねえの? 俺達いたいけな罪人を、こんなストレス発散の遊びに使って』
『う、うるさい! また地獄に落とすぞ! ……て、これもパワハラか』
『そう言うこと、時代は変わってんのよ』
『くそっ何であいつらが……ブツブツ』
釈迦はリュウセイに目もくれず独り言を呟きながら、消えていった。




