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僕の青空  作者: 彼方遥陽
僕の青空
33/49

33.晃





小2の春、事故にあった。


車はあちこちにぶつかりながら次の瞬間、自分へと一直線に向かってくる。

そのままいればどうなるかはわかっていた。

頭ではわかっていても手足は全く動いてくれず立ち尽くした。


自分は死ぬんだ。

そう思った次の瞬間、正面の車ではなく横から強い衝撃を感じた。

あまりの痛みに呻きながら起き上がると自分がいたはずの辺りに地元の高校の制服を着た男の人が横たわっていた。

頭から血が流れていて顔は判別できない。

えぐれたような腕の傷からは白い骨のような物が見えていて、身体のあちこちから血がどんどんと溢れている。


周囲から聞こえる悲鳴。

救急車や警察を呼ぶ電話の声。

ぶつかられた車の中から人を助け出そうとする人達。

目の前の高校生をどうにかして助けようとする人々。

自分に駆け寄った人は声をかけてくれたが、どこか人ごとだった。

全てが遠くに聞こえる。

よく、わからない。


悲鳴にも似た叫び声を上げて自分は意識を失ったらしい。

意識を取り戻したのは数時間後。

腕の手術の為に麻酔がされ、朦朧とする意識の中での事だった。


意識が戻った事を泣いて喜ぶ両親、何処かに電話をする叔母さんの姿もあった。

バタバタと看護師がやってきて、医師が呼ばれる。


「お、にいさん、は?たすけて、くれて」


自分が片言で尋ねれば周囲の空気は明るいものから急に重いものへと変わった。

どうやら自分は医師から質問をされても答えず、何度も何度も同じ事を繰り返したらしい。

大人達が誤魔化そうとしてもそれを見透かすように戯言のように同じことを言い続けたという。

根負けして、父が話してくれた。

別の大きな病院に運ばれてすぐに緊急手術が行われている事、報道では意識不明の重体ということをかなりオブラートに包んで教えてくれた。


すると、声も上げず自分は泣き出したという。


この一連のやり取りは曖昧だ。

でも、自分のせいで人が1人死んでしまうかもしれない。

それが凄くショックだったのはよく覚えている。




* * *




少しずつ戻ってくる日常は以前と違っていた。

事故を起こした車と似た車を見れば身体がすくみ、現場の交差点では呼吸が荒くなる。

周りから向けられる好奇の目、退院から暫く付き纏われた報道。

それらが嫌でどんどんと家に篭るようになった。


助けてくれたお兄さんは何時間も手術を受けた翌日に目は覚めたが、右半身の至る所に怪我を負っているらしい。

特に右目と右手が重症で、右目は失明し、手には障害が恐らく残るという。


中学時代はスポーツ万能、勉強も出来るクラスの人気者。

優しく、面倒見のいい性格。

この春に高校に入学したばかりで、バスケ部に入る予定だった。


顔と名前こそ伏せられていたが、そんな個人情報がバンバンとテレビで流れてくる。

テレビを見ずともお節介な人が自分が事故から助けられた子どもだと知れば色々教えてくれた。


地獄だった。


自分は死んだ方がよかったんだ。

そう、思った。




* * *




一度会いに行こうとしたが、過呼吸を起こして気がつくと自分がベッドに横にされていた。

どういう話し合いをしたのかはわからないが、もう少し自分が大きくなったら直接お礼を言えたらいいと両親は言った。


引き篭りの日々が続いた。

事故から2ヶ月かけて外を歩けるようになり、3ヶ月目で毎日いけていなかった学校に毎日通えるようになった。


普通に戻ったはずだった。


なのに夜中に寝ていれば魘され、パニック発作を起こすことが度々あった。

繰り返せば繰り返すほど母は夜中に隠れて泣いていた。


ある日、同じ小学校に通う2つ年上の従兄弟が親の都合で数日間泊まりにきた。

すると、パニック発作を起こすことが一時的になくなった。


それから発作が酷くなると従兄弟が度々泊まりにきてくれるようになった。


事故から半年、手紙が一通届いた。

リハビリは続いているが、元気に日常生活を送れていることが記され、笑顔で笑うお兄さんの写真が同封されていた。


声を上げて泣いた。

憑物が落ちるように少し心が軽くなった。


魘される頻度も減り、前よりも外に出る時間も増えた。

それでも、家で本を読んでいることがほとんどだった。


外に出なければ事故にあうこともない。

また同じような事がもし起これば自分の心が完全に壊れる自信があった。


だから、殻に閉じこもっていた。


そんな生活が一年半近く続いていた頃だった。


夜に従兄弟が叔母と一緒にやってきた。

従兄弟は夏頃に総合体育館へ同じ少年団の友達と遊びに行ったそうだ。

そこで会ったカップルにバスケをして遊んで貰ったらしく、その男性の方があの時のお兄さんだったらしい。

塾の帰りに偶然再会して、事情を話した上で連絡先を貰ったという。


勝手に俺の話をしたと叔母さんは烈火の如く怒っていたが、従兄弟の気持ちは有り難かった。


本当はこんな状態から抜け出したいのだ。

一人でいればモヤモヤと余計な事ばかり考えておかしくなる。

そして罪の意識に苛まれて魘されるのだ。


もうこんな自分は嫌だった。


この日を機に母の携帯でお兄さんと連絡をとることになった。

会話のほとんどが近況報告で、日常生活や高校生活のアレコレを教えてくれた。


連絡を取り始めて知ったのだが、お兄さんは事故が原因で一年留年したそうだ。

それを聞いた時ショックだった。

だけど、勉強の為に自分で選んで留年をしたし、新しく友人も増えて、彼女も出来たから幸せだと言ってくれた。

その言葉で何故かすんなりと気にする事をやめた。




* * *




数ヶ月連絡を取り続け、12月になった。

一週目の金曜日のことだ。


この日は一度学校を終えて帰った後、両親と一緒に再び学校へと向かった。

靴を履き替え、職員室に向かうとそこには学校の先生達の他に従兄弟の慎也と知らないおじさんとおばさんがいた。

おばさんの方はお兄さんの母親だと言う。

お兄さんの母親へお礼と挨拶を両親と一緒に繰り返し終わったあと、おじさんの方はミニバスのコーチだと紹介された。

何故ミニバスのコーチが?と疑問に思ったが、そのまま担任や保健室の先生と教頭も連れだって体育館へ向かった。


キュッキュッという靴の音とボールをつく音が聞こえる。

体育館を覗き込んだその時、男の人が飛び上がり、バスケットゴールにボールを押し込んだ。


バスケをよく知らない自分も知っている。

ダンクシュートというやつだ。

それを決めたその姿は物凄くかっこよかった。





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