2.智哉
一つ年上の兄が高校に入学し、俺と幼なじみは中3になったばかりの4月の出来事だった。
兄が事故にあった。
事故は死者1名、負傷者8名を出す大事故となり、事故を起こした男は薬物使用者で電柱にぶつかり、即死だった。
兄は運ばれた病院で緊急手術となり、生死を彷徨った。
兄は丸一日意識がはっきりせず、母は付き添いながら泣いていた。
そんな時だ。
「・・・あ、いきて、る、だ」
それが第一声だった。
包帯のしていない左目を薄っすらと開け、か細い声をあげた。
左手を握っていた母はその場で泣き崩れ、俺は急いでナースコールを押した。
「しょうね、ん・・・だいじょ、ぶ・・・」
兄が一生懸命伝えようとしていることがわからず、首を傾げる。
すると、一緒にきていた幼なじみがピンときたのだろう。
「小学生の子なら大丈夫。手の骨折だけで命に別状はないよ」
彼女はそれはそれは綺麗に笑った。
すると、兄はホッとしたようでまた意識を手放した。
この時、兄がこんな時だというのに自分は凄く不謹慎な想いを宿してしまった。
綺麗に笑った幼なじみの横顔が脳裏に焼きつき離れない。
今までは妹みたいな存在だった彼女を突然異性と見た瞬間だった。
そんな自分を蔑み憎んだ。
兄は再び意識を取り戻すと、地獄が始まったかのように痛みに耐え、苦しみに耐え、孤独に耐えていた。
物に当たることはあった。
だけど、父や母にも俺や幼なじみにも病院のスタッフの誰にも八つ当たりはしなかった。
だけど、人をもの凄く遠ざけるようになった。
友人が多く慕われていた兄の面会者は多くいたが、簡単に礼をいうだけですぐに彼らを帰してしまう。
テレビを見もせずただ流していたり、雑誌を読みもせず眺めたり、空を延々と見上げたり、人と関わることを拒否していた。
だけど、リハビリを重ね、自宅退院を迎える頃には普通になっていた。
普通という表現はおかしいかもしれない。
でも、それ相応の表現がなかなか思い浮かばないのだ。
なぜなら以前の兄は陽気で、調子のいいタイプで、友達が多く、始終人に囲まれ笑っていた。
それなのに何処か落ち着いた様子でまるで別人のような笑みを浮かべるようになった。
通院でリハビリ、自分でも毎朝走り込みをして、暇さえあれば筋トレ、勉強。
懸命に取り組む姿勢は何処か鬼気迫るものがあった。
それを自分は見守るしかなかった。
そうしていると気がついてしまった。
同じように見守るだけの幼なじみ。
だけど、その眼差しは恋をしている眼差しだった。
多分、それは最近のことじゃない。
ずっと昔から幼なじみは兄にこの眼差しをむけていた。
それは自分に向けてはくれない。
慈愛の溢れた眼差し。
悔しかった。
憎いとすら思ってしまった。
五体満足で、沢山の友人に囲まれて毎日を楽しんでいるはずの自分なのにそんなことを思ってしまう自分が汚かった。
この4月から俺は兄と同級生になる。
兄は理由が理由なので、特別処置で2年として学校にまた通うことも可能であったが、周りの勧めもありそれを断念した。
幼なじみは兄と一緒に通えることを喜んだ。
兄は苦笑いをしていたが、それを否定はしなかった。
兄が同級生になることで自分の中で生まれた黒い感情がある。
それを自分は一生許すことは出来ないだろう。