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 礼司はとりあえず廊下に出て、空の様子を伺う。

 と……


「何だ、アレ……」


 あからさまに怪しげな黒い雲が頭上にあった。

 おそらくはかなりぶ厚い雲であろう。しかし、面積はそれほど大きくはない様だ。


「ほほう……やはり現れたか」


 彼の隣に来たミヤビが呟いた。


「現れたって……何が?」

「うむ……私がかつて封じていた“もの”だな。私があの場所から離れてしまったので、封印が解けてしまった様だ」

「封じていた? ってコトはつまり……」


 冷や汗が礼司の頬を伝った。


(確か例のサイトによれば、道祖神ってのは禍を招き入れないための結界の神でもあったハズ。もしそれを動かしてしまえば……)

『その通りだ。だが、時間の問題ではあったがな。私を祀った神社が潰され、私自身は地面に埋められてしまったのだが……その程度なら“アレ”を封じる分にはなんの問題もなかった。まぁ、祈るものがいなくなってしまったせいで“力”の補充は出来なくなったがな。それでも後数百年は“アレ”を封じ続ける事が出来ただろう。しかし、厚く硬いあの……“てっきんこんくりーと”とやらで覆われてしまった。どうやらあれによって、私の“力”は遮断されてしまう様なのだ。そしてあれを穿ってなんとか地上に出てみれば、その為にほとんど“力”を失ってしまっていたのさ。今私が“力”を取り戻せたのは、昨日のお清めのおかげだ』

(なるほど……)


 礼司とミヤビは美菜に聞かせぬ様、黙したまま“会話”した。

 ムサシ工業所の工場があるあの工業団地は、バブル期に、大手不動産会社が宅地として開発する予定であった。しかし開発中に事故が多発して計画が遅延。そうするうちにバブルがはじけた為に放置されたと聞いている。それを、地元企業及び自治体が工業団地として整備し始めたのが十年ほど前らしい。

 礼司はそう聞いていた。


(果たしてその“事故”とやらは偶発的なものなのか?)

『おそらくは、私の“力”が遮断されてしまったせいで、私を起点とする結界が一時的に結界が緩んだのだろうな。まぁ、封じられていた“アレ”も、大した“力”も持たぬヤツではあったが』

(なるほど……。そうは言うものの、気をつけたほうがいいか)


 どうすべきか、礼司は思慮を巡らす。


「どしたのー? 二人して窓際に突っ立って……」


 と、その様子を不審に思ったのか、美菜がやって来た。


「いや……凄い雨だな、と」

「そうだよねー。お昼までには帰るつもりだったけど、止むかなー」

「小止みになったら車で送っていこうか? 俺のじゃ自転車は載せれないから、後で取りに来てもらうしかないけど……」

「う〜ん……」


 この状況である。早い所、彼女を家に帰したほうが良いのではないかと礼司は考えた。

 しかしその時、


「⁉︎」


 一際眩い光が弾けた。

 同時に、凄まじい轟音。


「うおっ⁉︎ 近いぞ!」

「礼司さん!」

「……大丈夫だ」


 思わず礼司に抱きつく美菜。

 礼司は彼女の背を撫でてやる。

 正直彼自身も腰を抜かしかけていたが、どうやら悟られなかった様だ。妹分の前で、情けない姿を見せるわけにはいかないという意地もある。


「むぅ……これは⁉︎ いかん!」


 と、ミヤビは眉根を寄せた。


「どうし……おわっ⁉︎」


 庭の中央。昨日石を置いた所の脇にあった植木が裂け、無残な姿をさらしている。

 そして気がつけば、唐突に雨は止んでいた。


(あまりにも不自然な止み方だ。一体何が……!)


 何気なく庭にやった視線の先。

 裂けた木の隣に、“何か”がいた。

 女だ。二十代半ばから三十歳ほどか。ボロボロの、浴衣にも似た白い衣をまとっている。

 振り乱した白い髪。血の気のない、青黒い肌。そして隈取の様な紋が浮かぶ顔の中、目だけが爛々と輝いていた。

 そして、胸元で光る、漆黒の勾玉。


「や……ヤマンバ?」


 呆然と呟く美菜。

 確かに一昔前に流行ったメイクに見えなくもない。


(美菜ちゃんのお母さんも、昔はあんな風だったみたいなんだよなー。おっと……)


 余計なコトを思い出し、慌てて頭の中からそれを振り払う。


「あの性悪ババアは、確かヒサメとか云ったか。黄泉醜女(ヨモツシコメ)の類だ。まぁ……知らぬ者からすれば、どうでも良いか」


 と、ミヤビ。


(……ババア、ね)


 確かにその彼女とは大きく異なり、出るところは出た体躯ではあるが……


『誰がババアか!』


 激怒する、ヒサメと呼ばれた女。

 同時にひときわ大きな稲光。そして雨。それは、その怒りを表したものか。

 そして、


「今こそ貴様を滅ぼしてくれる!」


 彼女はふわりと宙に浮かぶと、礼司達の方に向かい……


「あ」

『ふげっ⁉︎』


 ごちん、という音とともに掃き出し窓のガラスにぶち当たった。

 幸い、まだ勢いがついていなかった様なので、ガラスは割れなかった様だ。

 一方、ヒサメは濡れ縁の上で額を抑えて悶絶している。

 そして、


『おおっ⁉︎ ……うがっ!』


 そのまま後方へとひっくり返ってしまった。そして地面で頭を打ったらしい。

 濡れ縁からは窓越しに、逆さになった下半身が見えている。裾はずり下がり、丸出しだ。


「オイ……」


 予想外の展開に、礼司はその姿をただ眺めるしかなかった。

 が、


「何凝視してるの? 礼司さんのスケベ」

「あ……」


 美菜の冷たい視線に、礼司は慌ててヒサメの尻から視線を逸らした。


「間抜けめ。空いているのは、隣だ」


 そんな二人をよそに、ミヤビはヒサメを挑発する。


『お・の・れ……。よくも恥をかかせてくれたな』


 後頭部を押さえつつ、何やらドス黒いオーラとともに立ち上がるヒサメ。その身体は草やら砂やらで汚れていた。


「ふふん……あの時と同じ様に、返り討ちにしてくれるわ!」


 対するミヤビもまた、淡い光をまとう。

 対決待ったなしの状況である。


「え? ちょっ……」

(アカン……こりゃ家壊される)


 戸惑う礼司。

 それでも両者を止めようと……


「待ちなさい! そこの二人!」


 その前に、美菜がキレた。


「ヒトの家の中で何やってんの⁉︎ せめて外でやりなさい、外で!」

「あ……ハイ」

『スイマセン』

「お……おう」


 柳眉を逆立て怒る彼女に、ミヤビとヒサメは気を呑まれてしまった。

 ついでに礼司もである。

 そして両者はすごすごと庭へと向かった。

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