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――そして、翌朝
「何だこりゃー!」
礼司は思わず叫んでいた。
起床し、朝食の準備でもと台所に向かう彼の目に飛び込んできたのは、居間の中央に鎮座する、“何か”であった。
その大きさといい、色といい形といい……それはまさしく、
「えっ、おい……まさか」
慌てて廊下に出、掃き出し窓を開けて庭を見た。
と、昨日そこにあったはずの石はない。
確かに置いたはず場所には、浅いくぼみが残されているだけだ。
そして振り返って居間のモノをまじまじと見る。
やはりそれは、昨日庭に置かれた石と同一の様だ。
「うーむ……。俺、酔って何かやらかしたっけか?」
何となく例の人形に声をかけてみるが、答えなどあるはずもない。
晩酌に、お祓いに使った日本酒の残りを少し飲んだ程度だ。それくらいで前後不覚になるほど酒に弱くはない。
何よりあの石は、一人で動かせるモノではないのだ。
「とりあえず、転がして外に……は無理か。かといって家の中にはリフトとかも入らんしな……。どうしたものか」
思わず頭を抱えた。
幸か不幸か、今日は土曜。会社は休みだ。
一人でやろうとして下敷きになるのも間抜けな話である。
というか、こんな不気味なモノを触りたいとも思わない。
とりあえず、乾に写真を添付した現状説明のメールを入れてみた。
そして遅めの朝食を食べ終えた頃に返事が来る。
一応信じてはくれたものの、当惑が伺える内容だ。
月曜になったら対処を考える、との事だ。
(まぁ、予想してたが……。明日もコイツと暮さねばならんのか)
一つため息。
(何とも……怖い部屋になってしまったぜ。にしても、とんでもないモノ引き受けちまったな。本格的にお祓い頼んだ方がいいか? 会社の敷地から出てきたモノだから、代金請求出来れば良いけど……)
心中で独白する。
と、その時、
『厄介者扱いとは、失礼な奴だな』
と、どこかで“声”がした。
周囲を見回すが、だれもいない。
(気のせいか?)
そう思う事にし……
『ここだ、ここ』
まただ。どことなく幼さを残した少女のものの様にも聞こえるあの“声”。
したし、聞こえてきたのは……
(……頭の中で⁉︎)
それはもしかして、精神感応の類なのかもしれない。
そして、視線を感じた。
(まさか……)
礼司は恐る恐る背後を振り向く。
そこにあるのは、例の人形……いや、違う。
例の“石”だ。
よく見れば、刻まれたと思しき人型の像は、昨晩よりもくっきりと見えた。
それはおそらく、少女らしき姿。
(コイツか。まさか……バケモノ⁉︎)
『バケモノとはまた無礼な輩だな。まぁ、良かろう。昨日のお清めのおかげで“力”を幾らか取り戻せたからな』
「……へ?」
石に刻まれた少女が笑った様に見えた。
呆然とする礼司。
直後、ピシッという音がした。
見ると、石の上端にヒビが走っている。
それは瞬く間に石の表面を縦走し、少女像を分断して下端に達した。
と、石は音を立てて二つに割れた。
轟音。そして土煙。
そして、中から現れる“何か”。
「ひいっ⁉︎ ……んがっ!」
礼司は思わず情けない悲鳴をあげた。
飛びのこうとし……後ろの柱に頭をぶつけてしまう。そして頭を押さえたままへたり込んだ。
「おぉお゛お……」
『全く……騒々しい奴だな』
土煙が霧散し、“それ”の姿が露わになる。
それはまるで、翡翠色の勾玉。その大きさは、20cm程か。
“それ”が、尖った側を下にして“立って”いた。
「なななな……何が⁉︎」
『ははは……こんなことで腰を抜かすとは、情けない奴め。ふむ……この姿では駄目か? ならば、姿を変えよう』
「……へ?」
呆然とする礼司の前で、勾玉の姿ががゆらり、と揺れた。
そして、代わって“何か”が姿を表す。
「えっ……、女、の子?」
一糸まとわぬ姿の、少女の姿。
おそらくは十代半ばか。
翡翠色の長い髪。磁器のごとき白い肌。華奢な体躯。そして胸元には、小さな翡翠色の勾玉。
彼女は礼司を見、その整った顔に年齢不相応な艶然とした笑みを浮かべた。
「これならよかろう?」
今のは……普通の声。
「え? ああ……」
まぁ人の姿であれば、さっきほどの怖れはない。
しかし……
「そ、その前に服着ろ、服!」
いくらなんでも全裸は目の毒だ。
というか、この状態を誰かに見られたら、確実に人生終了である。
「ふむ。しかし、着るものはあるのか?」
「え? ああ、ちょっと待て」
すぐに自室にとって返し、チェストを探る。
と、その時。
呼び鈴が鳴った。
「うげっ⁉︎ こんな時に……」
「来客ではないか?」
と、あの“少女”の声がする。
「取り込み中だ、後!」
そう言い返し……
「礼司さーん、誰かいるの?」
玄関の向こうから声がした。
(この声は……)
「げぇっ! 美菜ちゃん⁉︎」
「ほう……何者だ?」
乾の娘。そして礼司にとっては又従姉妹である。
現在は、高校生。礼司にとっては、可愛い妹分といったところか。
彼が持っているゲームを目当てに時々遊びに来るのだ。
正直、兄の様に慕ってくれる彼女が家に来るのは悪い気がしない。しかし、今日はあまりにもタイミングが悪い。悪すぎる。
(『うまく行かなくなりうるものは何でも、うまく行かなくなる――しかも最悪のタイミングで』)
そんな格言が、礼司の頭の片隅をかすめた。
――玄関先
「あれー? 気のせいかな?」
玄関先で、美菜は小首を傾げた。
確かにさっき、礼司の声が聞こえた気がする。
そして、“誰か”の声も。
(女の声っぽい? まさか、彼女⁉︎ いままでそんな話は聞いたことがないんだけどなー。礼司さんのくせに生意気だぞ)
などと、心中で独語した。
そして乗って来た自転車を玄関脇に移動させると、彼女は庭の方へ回ることにした。
勝手知ったる、である。
ここは元々、小さな頃から数えきれぬほど遊びに来た祖父母の家である。
父によると、何やらこの家で妙な事が起きているらしい。それを聞いて興味を持ち、やってきたのだ。
それにしても、自分より先に彼女を家に呼んでいるなどとは思いもよらなかった。
何となくイラつく。ちょとばかり邪魔でもしてやろうかとの思いも頭をかすめた。
「……ン?」
何やらバタバタとしている様だ。
これはもしかして……
彼女は期待と不安が入り混じった顔で縁側に上がり、掃き出し窓に手をかけた。
一方、礼司は、
「んげっ! マズい!」
慌てて適当なTシャツとハーフパンツをつかみ、自室を飛び出す。
それを、少女に渡そうと……
「何だ、いるじゃない」
鍵をかけていなかった掃き出し窓が開く音。
そして……