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「ああ……どうしてこうなった」
彼は頭を抱え、つぶやいた。
両腕、そして背中には、柔らかな感触。
しかし……その頭上では、激しい火花が散っていた。
「どうしてどうしてこうなった……」
彼にはそう呟くしかなかった。
――――
暑い夏が終わり、季節は次第に秋めいていた。
大都市の片隅にある、工業団地の片隅。
そこには新築されたばかりの、ムサシ工業所第二桐花工場があった。
もともとこの工業団地内に第一工場が存在したが、最近開発された区画に新たな工場を建設したのであった。
その真新しい工場建屋の中は、現在生産設備などの搬入作業の真っ只中である。
――数日前 朝
ムサシ工業所生産管理部に所属する社員である巽礼司は、始業間近になって慌てて会社に駆け込んでいた。
「7:58……セーフ」
タイムカードの時間を確認し、安堵の息。
「セーフ、じゃねーよ。一番近いんだから、もっと早く来てもいいだろうが」
そこにやって来た新工場の工場長、乾輝が苦笑しつつ、礼司の肩を軽く小突いた。
「おはようございます。いや〜、すいません。あと少しならいいかと思って……」
「バカヤロウ。早く着替えて朝礼に来い」
「ハイ……」
礼司は一つ首をすくめると、ロッカーへとむかった。
「全く……あいつは昔っから。少しは社会人としての自覚をだな……」
乾は口中でボヤくと、廊下を歩み去った。
――朝礼後
「おい、礼司。ちょっと付いてこい」
持ち場へと向かおうとした礼司を、乾が呼び止めた。
「何スか?」
「ああ。西入り口で、ちょっと面倒なことがな。行けば分かる」
「りょーかい」
そして二人は、西入り口へと向かった。
――西入り口
既にそこには、数人の人だかりがあった。
彼らはシャッター前にある“何か”を囲み、当惑した様に囁き合っていた。
「ここで一体何が……って、何スかコレ?」
そこにあったのは、高さ30センチほどの山状に盛り上がった床面コンクリート。
「え? コレ、何があったんスか?」
礼司は当惑し、皆の顔を見る。
「分からんよ。俺が朝きたら、既にこの有様だ」
乾はやれやれと言いたげに首を振った。
機械搬入は今日明日で終わり、あとは生産開始に向けた準備を始めるだけだ。そこにこんな問題が降って湧くとは思いもよらないことである。
「何か下から突き上げられてる様にも見えるんスけど。もともと下に“何か”あったんスかね?」
「確かにそうも見えるが……アスファルトならともかく、コンクリートがこんな風になるか?」
乾は眉間にしわを寄せた。
工場の床は、砕石層の上に捨てコンクリート、さらにその上に鉄筋コンクリートを敷いた構造だ。しかも、重量物を積んだトラックやフォークリフトが通ることを前提に設計されている。
もし何らかの理由で下から突き上げられたとしても、そう安易に突きやぶられる事はないだろう。
だが現状は、明らかにコンクリ基礎の“下”から何かが突き上げてきている様に見える。
「とりあえず、諸岡建設に連絡だ。できる限り早く来てもらえ」
「は……ハイ!」
慌てて礼司は事務所へ向かい、工場を建設した会社へと連絡をとった。
そして三十分ほど後に、建設会社の営業がやってくる。
「コンクリの床が盛り上がる、ですか? どちらです?」
「ええ、それなら……」
やって来た営業担当者は、半信半疑という顔だ。
それを応対に出た礼司が、西入り口へと案内する。
――そして、西入り口
「こちらです」
「ああっ、これは……」
その有様を見、建設会社の営業は絶句した。
「一体なぜこんなことに……」
「いや、それを知りたくて呼んだんですが……」
「ああ。そうか。すいません。では……」
しかし彼はすぐに我に帰るとその状態をスマホで撮影。更に持参していたメジャーで大体の寸法を計測した。
そして会社に写真をメールで送り、電話をかける。
その会話を側で聞いたところ、どうやらあちらの会社側も半信半疑といった状態らしい。
もっとも、普通はありえない事象であるがゆえに、仕方のないことだが。
「……とりあえず、会社に戻って対応を協議します。それまでの間、できればこの周囲は立ち入り禁止にしていただきたいのですが……」
「あー、そうするしかないですよね……」
電話を終えた営業は、まだ困った顔だ。
礼司は肩をすくめるしかなかった。
とりあえずはカラーコーン等で盛り上がった箇所の周囲を立ち入り禁止にする。
10時過ぎになり、先刻の営業が数人の作業員を連れて来て調査を始めたが、結果は分からずじまい。
さらに詳細な調査および対応は後日ということになった。
――そして、翌朝
「まさか……」
昨日の盛り上がった箇所を確認した社員一同は、絶句するしかなかった。
例の盛り上がりは、さらに大きくなっていたのだ。
コンクリートは大きく裂けてクレーター状の穴が開き、その亀裂からは千切られた様な鉄筋が顔を覗かせている。
そして、そこから“何か”が姿を現していた。
それは……
「石⁉︎ ……何で?」
そこにあったのは、一抱えもある様な大きな石。
それが、まるでカルデラ火山の様な形状に盛り上がった床面コンクリートの、その中央くぼみ部分に鎮座していた。
常識的には考えづらいが、状況からしてコンクリートを下から突き上げ、盛り上げていたのはこの石なのだろう。そう思うしかない。
それにしても……。
「ハハ……何なんスかね、コレ」
その冗談の様な姿に、思わず礼司は笑ってしまう。
「笑ってる場合か。とりあえず諸岡建設に連絡だ。早いところ来てもらえ」
後ろから乾に小突かれる。
そして礼司は、「何でまた俺が……」などとボヤきつつ、事務所に走った。
二十分ほど後、昨日の営業が慌ててやってくる。
「今日午前中にでも伺う予定でしたが、石がどうのと……」
「あー、見てください。それで分かります」
礼司は西入り口に、営業を案内した。
「え? 石⁉︎ ……何で?」
先刻の自分と同じ反応をしたので、礼司は思わず笑いかけ……慌てて堪えた。
「とりあえず正体はわかったので、調査はもういいと思う。あとは、修理だな。そっちの調査と見積もりを頼む」
「は……はい。早急に手配します」
乾の言に、営業は冷や汗をぬぐいつつ答えた。
「……そうだな。とりあえず、石をどかしたほうがいいな。礼司、ワイヤーロープ持ってこい。リフトで吊り上げるぞ」
「ハイ。……またしても俺っすか」
礼司はまたボヤきつつ、倉庫へと走った。
「オーライ、オーライ。よし、上がりました」
「おっしゃ。下がるぞ」
ワイヤーロープを巻いた石を、乾が乗ったリフトで釣り上げる。
石は無事にクレーターから持ち上げられ、除去された。
「でもコレ、どこ置くんですか?」
と、礼司。
「そうだなー。とりあえず、駐車場の隅にでも置いておくか……」
乾は答えると、駐車場の奥まった一角にリフトで向かい、石を下ろした。
そして、床の穴と石の周囲を立ち入り禁止にし、その日は何事もなく終わった。
……そう。その日は。