起床
後悔せざるをえない。
彼女は息を整えるために立ち止まり、身をすくませて後ろを振り返る。その先も、また見た前も、高層建築の並ぶ大通りには誰もいない。動いているものは。
意味は無いとわかっていても、体を小さくしてしまうのは、恐怖に対する本能的反射に違いない。
首からかけたオテソウ魔道光学工業の最新型カメラ、アーククレア三六式。名前はチェッタにした――を手に入れ、何でもできる気になっていたのは間違いだった。
これが届いた日にビビウェ市の動乱、チェッタを使って写真家としての名声を得よ、とのどこかの神格の啓示かと思ったが、悪魔の誘惑だった。
魔物写真家が使う隠密マントの高いので買った方が良かった。いや、それでも奴らのセンサーはあざむけないか。
地方軍の初動の遅れからの混乱、封鎖されたビビウェ市へ入るのは簡単だった。
しかし軍の混乱の原因を考えるべきだった。いかに地方軍が無能にしても、通常道路をそのまま突っ切れるのはおかしかった。
あれは戦力の消耗で封鎖する余力が無かったのか。
百メートルほど先、道を挟んだ大通りの向かい側で、角を曲がって男性が走り出た。
必死の形相だ。
即座にチェッタを構えて、自動焦点で撮影する。
そして男が曲がった角を、鋭い閃光が連続貫通した。全ては切り裂く直線の閃光が瞬時に暴れ、男をバラバラにした。
それを見るや否や、左の角を曲がった。建物と建物の隙間の狭い抜け道だ。
(撮影できていれば高値が付くはず。生きてビビウェ市を脱出できればだけど)
直後に後ろで空気を波打たせるさせる轟音、そして衝撃が体を揺さぶる。
軍の砲撃。後ろでは道路が破壊され、黒い煙が舞い上がった。
ここまで役立たずで迷惑なだけと思っていた砲撃だが、これで時間が稼げる。
狭い道、挟み込まれたら終わり。全力で駆け抜ける。呼吸は大きく乱れ荒い。心臓が激しく働いていると自覚している。次に足を止めたらもう全力では走れない。
後ろで大きな金属音がガーンと長く響いた。鼓動がさらに早まるが振り返らない。獲物を発見した奴らが屋上から降ってき来たのだとわかっている。
全力で路地を抜け、右に曲がってすぐに見えた。そこに駆け込む。
目指した場所、地下鉄の入口。
どこかの地下室でも知っていればそこに逃げ込むところ、しかしビビウェ市の土地勘は無い。入れる地下はこれぐらい。それにトンネルから市外へ出られる。
後ろからは複雑な金属音、うなるような駆動音が追ってくる。
急いで長い階段を下っていく。幸い、階段には破壊の痕跡が無かった。
乗降場の直前、血の気が引く景色に出会う。大量の死体。床に散りばめ飾ったようですらある。そして自販機が並んでいる。一機が動き出した。
――見つけたぞ。何の表情も存在しないが、そう言ったように感じた。
瞬時に方向を変え、地下街を走り抜ける。死体の少ない方へ。
自分の足音が地下で反射して響く。
一般客には縁が無い作業員が使うような扉を開けた。さらに走って止まった。
そこは工事中の場所だったのだろう。壁も床も舗装されておらず地面がむき出しで少し湿気があった。
見渡してやって来たのは絶望。行き止まり。覚悟を決めるしかない。
短い付き合いになったチェッタを部屋のすみに置いた。死んでも写真が残ればそれで良い、写真家冥利に尽きる。
そのときだった。
小さな白い繭、そうとしか形容できない物体が地面から生えた。それはみるみる間に風船のようにふくれあがり、彼女より大きくなった。
そして風船が弾けるように繭は消え、中から人間が出現した。
白と黒で縞模様の長髪。病的にくたびれた顔。全身を不吉な装いで揃え、暗黒の頭蓋骨を先端に配した骨の杖を持っていた。
この予想外の奇妙な出来事にシャッターを切れなかった。一生の後悔だ。
目を開ければ暗闇。見えているが暗いのは彼女にだってわかった。
「・・・・・・夢、もう少しあっても良かったけど。どれぐらい経ったかな」
「ふう、平和です」
ペーネーは温泉に浸かっていた。
師匠の家の裏側にある、昔師匠が魔法で作ったという広々とした温泉。
ここは水嫌いのネコが攻めてこない安全地帯。
しかし彼女の平穏は静かに崩れる。
温泉の近くにある巨石、それがひとりでに転がり始めた。ゆっくりと反転した巨石が、ドスンと大地を揺らす。
さらに異常は続く。
巨石があった下から、人間が顔を出し、上がって来た。頭の動きからして石の下に階段があるようだった。
それをペーネーは、ネコみたいに目を丸くして、黙って見ていた。
赤み掛かった金髪は肩まで、青空を写し取ったような青い瞳が目立ち、大きな枕を抱えていた。
男女の判別がつかない。頭から足先まで中性的な印象で、満月のような明るさと妖しさがあった。
ペーネーからすると、状況的に女であって欲しい。湯に潜りこむ。
「やあ、はじめまして。これは写りの良い景色」
少し不思議そうな顔をしながら屈託の無い笑みで、底抜けに明るい声。
そして首からぶら下げていた何かを作動させ、こちらに向けた。
「だ、誰ですか!?」
ペーネーはやっとの調子で声を絞り出した。
「君はミュシアの知り合いかな?」
質問に質問で返された。しかし師匠の関係者らしいところにやや安心する。
「私は師匠の弟子です」
「弟子ね。そうか。僕は・・・・・・エル。そう。エル・テアイルセンスさ」
そう言うと何かに納得した様子で、ぐるりと周囲を見渡した。
「ここで何をしてるんですか?」
「夢を見ていた」
「夢・・・・・・ですか?」
「そう幸せな夢さ、胴体をレーザーでバラバラにされる夢だ。意外と痛くない」
ペーネーは否応なくドニとレニを思い出し、言葉に詰まる。
そこに駆け込んできたのはミュシアだった。
「テエン!」
大きな声だ。師匠のミュシアらしからぬ慌てた振るまい。
「やあ、ミュシア、よぼよぼにはなってないようだね。僕はエル・テアイルセンス。テエン・イルスアルセなんてどこにもいないのさ」
前触れも無く出た名前にペーネーが困惑する。ミュシアも揃って困惑する。
テエン・イルスアルセといえば、伝説の赤五つ星ハンターの一人。大戦直後の混乱期、文明を根絶するとされた終末級の魔物、深淵合成獣や無限増殖機械等を討伐している。
大戦の生き残りが存在し、技術も残っていた時代、多くの赤五つ星ハンターが生まれた。彼らの活躍が無ければこの大陸は終わっていたと言われている。
だが、その時代も半世紀ほどで終わり一気に文明水準が落ちた。
「・・・・・・とりあえず家の中へ、寝間着だし」
「そうだね、そうしよう。また、あとでペーネーちゃん」
「ペーネーはゆっくりしてて構わないよ」
ペーネーが何が何だかわからないまま、二人を見送った。
二人がミュシアの家の椅子にかけた。
「さっきの子は普通の子だね」
「そうよ、でも天然の魔女だわ、今では珍しい」
「確かに天然物ときたら、いつだって珍しいね」
「テエン」
「だからエルだって、エル・テアイルセンス」
「またかい?」
憮然とするミュシアに、エルが悪戯っぽい笑顔で答えた。
「当然だろ?」
「ちゃんとそれで認識されるだろうね。で、何でこのタイミングで起きたんだい。何か大事かい?気が狂っていないだろうね?」
「起きると問題みたいに言わないでよ、再開を喜ぶ気は無いのかい?」
「そうね。もう二百年ぐらいよ。御寝坊さんは途中で覗いても起きやしなかったから」
「覗かないでよ。うーん、良い夢が見れたからかな?微かに呼ばれた気もするけど、はっきりとした理由は無いや」
「〈呼び声〉かい」
「今は呼ばれている感じはしないな」
エルは少し耳をすませて見せてから、聞きたい事を聞く。聞くべき事は山ほどある。
「戦争はどっちが勝ったの?」
「今も元気にやってるよ」
「はあ!?二百年でしょ?十年あれば終わるでしょ」
「クロトア半島の付け根で硬直状態だ、帝国は魔法使いの排斥は止めた。どちらにも決め手が無い。でもどっちが勝とうと同じさ」
「突き放すねえ」
エルは苦笑いするが気持ちはわかる。戦争してる暇があるなら、全人類で汚染に対処するべき状況だ。これは大戦以来変わらないはずだ。
「大陸中央の汚染が悪化の一方。このままではこの大陸も星も全てあれに飲まれる」
「あれは僕にも無理さ、でも悪魔の森と邪悪の森が膨張してたはず、あれは無くなったの?」
「いえ、少しずつ面積は増えてる。でも以前の勢いは無い」
「あれが何なのか結局わからず?」
「そうね、ここを離れるわけにもいかなかったし。あんたのおかげで」
「僕は星の善意だと思いたいけどねえ、きっと汚染を吸収するためだよ」
「ただの自然現象よ、意志なんてありはしないわ」
「ミュシアは夢が無い。英雄を知らないからだね」
「嫌というほど、知ってるわ」
そこからエルが周辺地理を尋ね、ミュシアが大まかに答えていった。
復興を期待していた彼女に、楽しいニュースは無かった。東の要であったスンディ―が腐敗し、他の国も生活で手一杯。本来ならスンディ―が復興して、その技術で汚染に当たるべきだったが、望めそうもない。
「楽しいニュースは?」
エルはもううんざりといった表情だ。
「吸血鬼が少々騒ぎを起こしているようだね、森の外では話題になってるね」
「へえ、規模は?」
エルの目が少しばかり細くなった。
「詳しくは知らない、けど、田舎の村まで話が来るぐらいには騒いでる。外に行くのかい?」
「いずれ見には行くよ。吸血鬼と聞いて放置はあり得ない」
「外に出るなら一つ注意よ。国内でプレイヤーらしい情報がある」
「別に珍しくもないね。僕たちが知らないのも合わせれば、いくらでもいるはずさ」
「そうね、でも知れた名の奴かも」
「ふーん、悪なら僕が討つから心配しなくても大丈夫さ。いつものことじゃないか。特別に強力なの?」
「直接は知らない、噂だけよ、悪かどうかも知らない。興味もあまり湧かないし。私はここで老いていくだけですもの」
「彼らが万全で出現するのは十回に一回は無いと思うけど。ゴブリンに殺されたのもいたよね。特徴は?」
「命より貴重なアイテムを奪い取り、それを餌に罠を仕掛け、拘束すると山ほどの虫にかじらせながら、その前でアイテムを破壊して見せるのを日常としているらしいと記録にある。記録の該当者か確認するのは困難だけど」
「気が狂ってる。チェッタが壊されたらと思うと恐ろしい。了解、見つけ次第殺そう、復活できないように。絶対に悪だよ、相当だね。一撃で殺せるよ」
エルが大袈裟に驚いてみせた。
「相手が神格者なら復活潰しは難しいと思うけど」
ミュシアは戸棚に手を伸ばし、取り出した包みをほどきはじめた。
「悪なら、接近さえすればどうとでも、だ」
「ほかにも色々と直接攻撃を好む?とあるけど、内容が・・・・・・宝物をばらまくが拾おうとすると破壊する無視しても破壊する、たちの悪い事に実際に宝物を与える場合もある、虫を投げつけてくる、虫を擦り付けてくる、虫を増やす、やたらと驚かしてくる、特にいかつい男を絶叫させるを好む、初心者に優しいが中級者になったと判断するといきなり全力で殺しにくるため人間不信を量産する、とにかく人を苛つかせる、話が通じない。なんでこれが最高危険度・・・・・・単純に戦力か。特に有効な対策は自決。あとは自然に恩恵を与えると見返りを持ってくる。森から出てこない。悪戯妖精みたいな性格ね」
ミュシアが取り出した紙束をめくりながら言った。
あれは神代からの情報を蓄積した遊戯文書の写しだ。原書はミイルマ教団の祭司が記した、とされているが定かではない。
「どっちかといえば間接攻撃だね。彼らは価値観はいまだによくわからないところがある。タラッタは最後まで死体が嫌いだったし」
エルがその相手の説明を聞き終えると立ち上がった。
「もう出るのかい?」
「早く変化を楽しみたい。ちょっと見たら戻るよ。近くの大きな町は?」
「昔、復活の木があった丘が王都レンダルよ」
「あれか、あれは使えるものね」
ミュシアが紙と特殊なインクを取り出す。
「念のため私が紹介状を書いておく、ザメシハでは有効だから」
「それってどこまで有効なの?」
「どこまでもさ、建国に協力してやったんだからね」
エルは魔法で記述された紙を受け取ると、家を出て行った。




