王都の夜4
スミルナは右手に力を入れて握った。そして視線を動かす。
流星剣ヒターは、男の足元で魔術師に突き刺さったままだ。
「弱者は滅びる、当然のなりゆき。何を悲しむ?」
人に近い姿でも完全に思考は化け物。利己的な狩猟生物、群れとして規律は無いらしい。
これを再び人の群れに混ぜてはならない。
必ずここで討つ。コウモリにでも化けて逃げられると追えない。
「お前も滅びるのよ」
「くくく、状況が分からんようだな。欲をそそる匂いがあるぞ」
睨み付けたスミルナに対し、男が顎が外れんばかりに口を開き、牙を見せ威嚇する。
(追い詰められてるのはお前だ、まぬけめ)
一人になっても逃げる気が無いのは幸運だ。
しかし長々と話す余裕は無い。今も血が流れ出ている。
熱が傷口から逃げていく。その熱こそ力。全身の力が失われているということ。
このままでは自慢の足も無くなる。
右手は動く。相手は一人。ポーションは使えるだろう。
一旦離れて使うのが常道。
しかし使わない。剣を拾いにも行かない。後退もしない。
男が一歩進む。もう戦いだとは思っていないのだろう。
どこまでも迂闊な男だ。
スミルナも前進した。足取りには以前の躍動的な速さが無い。
足の筋力で踏み出したというよりは、前へ倒れる際に生じた位置エネルギーを、どうにか運動エネルギーに変えた動き。
それでも前へ。それが最善手だと思ったから。
身を護る考えなど無い。全ては確実に、最短で殺すため。
伏兵がまた居たらたまらないとの思考もあった。今だって、闇を深く見通す赤い瞳が、遠くから弓で狙っている気がする。
動かなければ。
男が歓喜の笑みで、剣を振り下ろす。何度か見た、考えなしの振り下ろし。
反射的に身を少し後ろに引く。しかしその動きは鈍い。
当たる。剣の軌道から逃れきれない。さらに防御系の戦技は不得手だ。
ゴガッと鈍く擦る音。斬撃が彼女の胸部を浅く直撃した。
「うぐっ」
高価な凍爪魔狼の皮鎧のおかげだ。体はほぼ切っていない。しかし金属棒で打ちつけられたような衝撃。あばら骨がきしみ、息が詰まる。
だが止まってはならない。剣を振った隙は今だけ。
足を踏ん張って衝撃に耐え、全力で男に飛びかかった。
スミルナが素手で突こうとしたのは右目。男の左目はまだ完全に修復されていない。右目を潰せば、視界はしばらく無くなる。
男はそれを察していた。視界が片方塞がっているのだから当然だ。意識している。
突き出されたスミルナの腕を、額で打ちつけて目を守った。
「素手でやれるのはそれぐらいだ」
そしてスミルナの腕を捕まえる。細い腕を押しつぶすように指が食い込む。
唯一使える手を封じられた。
魔道具だって手に持たないと効果を発動できないものが多い。つまり終わり。
「くくく、ははは、ついに捕まえたぞ」
男は捕まえて勝ち誇った勢いで、スミルナを道に押し倒す。
〈生命力吸収〉による倦怠感が彼女を襲う。
しかし、それでも彼女は先刻よりよほど元気だった。
男が待ちに待ったごちそうだと、噛みつこうと口を開いた。牙がスミルナの首元に迫る。
男の目には勝利しか見えていない。己の滅ぼす一撃が見えていない。
完全な死角からの一撃。
スミルナの左手の小剣、神代の剣――天来剣デオグリが男の下顎から、口内、頭部を貫いた。魔術師と同じように。
ただし魔術師と違い、阻むものは無い。剣は根元まで刺さり完全に頭部を貫通した。
「とりゃああ」
その剣でさらに脳をかき混ぜる。
「な、あが」
大口を開けたまま、何もわからぬまま、男は目の焦点が定まらなくなった。
スミルナは一息ついてから、己に覆いかぶさる肉を横へ押しのけて起き上がる。
彼女は二刀流、剣は二本ある。天来剣デオグリの性能を引き出せないため、普段は使わないが、単純に斬るならこちらの方が上だ。
そして、胸の谷間にはライフポーションが挟んであった。
緊急時にはベルトや荷物から取り出す余裕が無い場合もある。手が使えない場合もある。
だから、叩いて割るだけで使えるようにしてあった。それを割らせた。
チェリテーラがやるのをまねたファッション。だが、役に立った。
「余裕ができれば捕まえてくれると思った。吸血鬼の目的は生き血だものね」
剣を男から引き抜き、その首を両断した。確実に滅びた。
「お前一人になった時点で終わっているのよ」
頭蓋骨下部からの攻撃は多分に有効だ。脳の中枢を確実に直撃し、骨に逸らされにくい。
不死者でなければ、喉元を貫かれた時点で致命傷。不死者でも多くは頭部破壊で活動を停止する。
しかし、まず狙わない攻撃だ。常道ではない。
四足獣は自分より低い。見上げる巨獣なら横から腹部を狙う。
顎を下から狙うには正面、至近から。それは危険が大きすぎる。
この戦術は普段の彼女からかけ離れている。
これまでは装備も状況も万全。その中で速さでかき回す役をやるだけ。決められた手順を決められた通りに、できるだけ上手くやる。
それは演技だ。戦闘ではない。
吸血鬼は〈生命力吸収〉を使う。だから触れない。
しかし、触れられた方が有利なら攻撃の手順に数えられる。
重傷を負えばすぐ回復するべきだ。しかし、怪我を戦術に組み込めるなら遅らせてもいいだろう。
武器は常に手の内になければならない。武器を失えば予備武器をすぐに装備するべきだ。しかし、隠しておけるなら致命の一撃に繋がる。
より威力のある打撃、より素早い斬撃、より精密な突き、より破壊力のある魔法、それらを人々は目指す。
しかし、これらは手段、目的ではない。
赤星に至るハンターは一年ぐらいでそれを知る。どんな手段でも目標を達成できればいいのだと。
使い捨て用の武装を持つ戦士は多い。常に一番の武器を使う方が少数派だ。
魔術師なら手間の掛かった触媒に金を掛けるをやめ、効果が安定しなくても良い場合は、ボロ布、安酒、ただの土や木片、野草で代用する。
スミルナは、今夜初めてハンターらしい戦闘を経験した。
「これは大赤字ね、報奨金を期待したいわ」
スミルナは胸元に手を突っ込んで、中からガラス片を取り出し捨てた。
周囲を警戒するが何も発見できない。ただ、あの女は無事のようだ。
死んだ吸血鬼の顔つきが変わっていた。魔法で変化させていたのだろう。
捜査の手掛かりだ。
二つの首を持って早くここを離れようとした。
それを遠くから見る者があった。
深く闇に溶け込んでいる男はデゥラ・カンコーネの部下。
デゥラは勝手に狩りをやる者が出る事を予想して監視させていた。
成功するなら良し、失敗するなら処分するまで。
食う事自体は咎めない。
『全員、討たれたのか?』
監視者の耳元でデゥラの声が響く。
「ドニーが見えません、建物の影に入ったきりです。気配も消えました」
『敗北者は要らぬ、家畜を確保したら、全員処分しろ。優れた同胞だけを集めるのだ。他の隠蔽も忘れるなよ』
無能な吸血鬼は不要。ふるいにかけ、強者だけの組織を作る。
無意味に数が多いのは危険だとデゥラは考えている。
組織が崩壊し、これまで同じことはできない。少数精鋭組織への改変。それがデゥラの答え。戦うにも逃げるにも潜むにもそれが最善とした。
「了解したしました」
『任せたぞ』
男は死毒の短剣を取り出した。半端な耐性ならばやすやす突破し、複数の状態異常を与える。
そうなれば、腐敗、混乱、恐慌、幻惑、吐き気等で行動不能に陥りそのまま死ぬ。
男が動き出そうとした時、後ろからの湿った生暖かい風を感じた。
吸血鬼は温度を気にしないが、これはおかしい。
彼は何気なく振り向く。
そこは暗かった。
花子の開いた口が、貴族吸血鬼より遙かに力のある口が閉じた。
服が裂ける音、骨が砕ける音、肉がちぎれる音、金属が割れる音が混じり合った。
ガリゴリガリボリジェリジャリボリガリガリボリボリ。
〔伝言/メッセージ〕の魔法は音声による伝達。
目の前で喋る人間は当然、通信相手の声も技術があれば盗み聞きできる。
花子を始めペット達はサンティーを守れ、との命令だけ受けている。サンティーの脅威と判断した時点で、事情は無視して排除する。
すべての吸血鬼は霧化して逃亡する間もなく滅ぼされた。
カサンドラが杖を持ち、宿屋の部屋の床に座っていた。
メルメッチは調査に出ているので一人だ。
彼女を囲むように、棒のように細長い台座が立ち並び、その上には丸く研磨された色とりどりの宝玉。
それらの台座は飾りのついた糸で結ばれ、微かな電荷が宿りほんのりと輝く。
彼女の直上では金属の車輪が宙に浮き、ゆっくりと回転していた。
これは占術のための装置だ。
何かを追跡する時、こちらから追えば魔法的な反撃を受ける恐れがある。そうでなくても追われていると認識すれば対処するだろう。
しかし、向こうから漏れ出る気配を読む分には問題無い。その精度を高めるために部屋を魔法的レーダー施設としていた。
「ぬ、思いのほか近くに一つ。これは近い未来、いかなる導きか」
カサンドラが反応を捉え、低くうなった。
そこに衛兵の詰め所で事情聴取を終えたサンティーが戻り、下品にバンッと扉を開けて、神秘的空間を台無しにした。
彼女は世間知らずなどこかの権力者の娘か何かだと判断された。良い服を着て、金を持っている若い女はそれぐらいだ。
衛兵は余計な問題に関わりたくないのでさっさと帰した。
「いやー、吸血鬼が出たんだけど、ダサくてさー。華麗にマントをはためかせたり、斬り落とした首が飛びまわったり、合体してパワーアップしたりしないんだよ……何これ?」
サンティーが部屋を見て、止まる。しかし、カサンドラもサンティーの発言を聞いて止まっていた。
「……今なんと?」
「だから吸血鬼が期待外れでさ」
「吸血鬼? 向こうから」
サンティーが簡単な説明をした。吸血鬼への不満が半数を占めたが。
向こうから呑気にやって来るのは想定外だ。
ペットはそれほど強くない。吸血鬼の襲撃となれば危険だ。
カサンドラは、吸血鬼が、敵が来ると次元に穴を空け閉じこもる次元隠穴虫のように、必死で潜んでいると考えていた。
しかし衝撃はそれだけではなかった。
「ああ、そうそう」
サンティーは無造作に懐から取り出し、机の上に置いた物。
それは黒の鍵だ。
「要るんだろ? これ。落ちてたぞ」
決してそこらに落ちてる代物ではない、とカサンドラは心の中で突っ込む。占いのために精神集中していなければ、驚きの声を漏らしたところだ。
「その襲撃者が持っていたので?」
「いや、どっかの石畳の裏に隠してあったぞ、なんかデルデルが拾ってた」
いよいよ状況が分からない。
カサンドラが念話でデルデルに話を聞く。
デルデルはサンティーが幽霊屋台を探し求めていたので、街中の幽霊に片っ端から声をかけていた。
存在力の貧弱な幽霊は、サンティーには見えていなかった。
すると幽霊の中に吸血鬼との関わり合いがあったが、その相手に殺された人間が居た。
上層部の崩壊で、関連組織に混乱が生じていた状況で起きた事だった。
逃走資金が目的だったのか、情報隠蔽だったのかは分からない。幽霊はかなり記憶が曖昧で、意思疎通にも苦労する。たいていはすぐに悪霊化して憎悪にまみれる。
しかし今回はある程度意思疎通できた。
危うくも狂いかける怨嗟の声で幽霊は語ったのだ。
主が殺され、ほかの財産は無くなり、残ったのが鍵だった。
吸血鬼を討伐したので、お礼に鍵の場所を教えてもらった。
つまりこれはアンレケ屋の分の鍵だ。
行方不明の鍵を手に入れた事で、三つは確保できる確率が高まった。
「流石は主様のご友人、運命の流れを揺さぶる激運の持ち主」
カサンドラはもう笑うしかなかった。
普通から外れた行動が、普通から外れた結果を招く。ある意味、常識的ではある。
「見直したか」
サンティーが眉毛を動かして得意げな顔をする。
「ええ、しかし夜中の外出は御遠慮願いたい」
「幽霊屋台をまだ発見してないぞ」
カサンドラはサンティーの行動を強制する権限を持たない。相手も仕事中だ。
「せめて護衛を増やすべきでしょう。それに発見しても料理は出ないと思いますが」
「むう」
サンティーは言葉少なにベッドへ体を投げ出した。ここまで寝ていない。
カサンドラはサンティーを放置して二つの鍵を近づける。凹凸ははまらない。隣り合った部品では無いようだ。しかし引き合う力を感じた。
「やはり五つで一つか、情報は読み取れぬ」
カサンドラは再び占いに戻った。
後で主に連絡をする必要があるだろう。彼女の予定が増えた。