王都の夜3
サンティーは体内電気を活性化させた。脳と筋肉が親交を深め、筋肉が一丁やってやろうと張り切った。
その勢いに乗じて踏み出し、右足で大きく蹴り上げ、目の前の吸血鬼の男がナイフを持つ手を蹴り飛ばす。
磁力による反発も加わり、ナイフは打ち上げロケットみたいに高く飛んだ。
「が、なあっ」
男は襲った相手の反攻に驚いているのか、唖然とした表情で棒立ちになる。
サンティーは指先から、か細い電撃を放った。
至近距離、それは瞬時に額に命中したが、威力は無い。人でも少し痛いだけ。しかしサンティーはその電気の流れを、紐を引っ張るように引いた。
「ぬお」
男が頭をいきなり引っ張られ、前のめりによろける。
そこへ、全力の顔面蹴り。ごぼ、と声を出し、のけ反る。
さらに今度は電撃を通じて棒で押したように押す。追加の圧力で、男は仰向けに倒れた。
この電気はあくまで魔法、こんな使い方もできる。
魔法は総じて集中を乱されると発動しないが、元素系超能力者は感覚的に初歩的な能力を使える。
つまり、手でコップを掴む感覚で念力を使い持ち上げ、物を投げる感覚で炎や水を飛ばすのだ。
さらに追撃。彼女は両手を前に出し、手の平を敵に向けて構える。
集中の後、両手からの放電は腕ほどの太さ。それが瞬時に光り波打ち、バチンッと尖った音と共に男を貫いた。
「電気は効きが悪いか、やはり火が最適」
今のが無理の無い範囲での最大出力。
男は電気を浴びながら、痺れもせず、手を突き、普通に起きあがろうとしている。
あまり効いていない。ダメージも回復するはず。
しかし彼女は得意気だった。力の入らない蹴りで、吸血鬼を蹴り倒したからではない。
観光大臣を襲名した際、ルキウス達がよく話題にするので「街に行ったら吸血鬼見物したい」と言ったら、ルキウスに「そんなもんがそうそう街中に居てたまるか」と散々馬鹿にされた。
しかし居た。ルキウスの鼻を明かしてやったのだ。初勝利となった。
吸血鬼は帝国では有名で一目見たかった。
帝国では人に偽装するタイプの魔物は特に恐怖される。東の国々と違い、魔法とも魔物とも接点が少ない。
気が付けば隣に居るかも知れない。戦争中の魔道諸国の存在と合わせて、未知が恐怖をかきたてる。
それに数少ない娯楽である映画、その中の魔物ものの影響もあるだろう。
恐るべき化け物は、人を惹きつける好奇心の対象でもある。
恐れながらも機会があれば見たい。帝国人にとってそんな存在だった。
「吸血鬼なのに巨大化したり火を吹いたりしないのか。腹の中から縮小版が飛び出したり、分裂して増殖したり、塩をまぶすと干からびたりは?」
独り言を言うサンティーの前で、男が立ち上がったが、しかめっ面で警戒している。向かって来ない。
「来ないならこっちから行くぞ」
サンティーが前に出ると男は下がった。
デルデルは最初に吸血鬼を弾き飛ばした以外、戦っていない。
(本当に危険な相手ならデルデルがローブから出て戦うだろう。つまり、こいつは私より弱い。帝国式軍隊格闘術を見せてやるぞ、電気で殺せないなら首でも折るか?)
吸血鬼が弱い。そんな訳は無い。
確かに目の前の吸血鬼は下っ端で、危険な最初に襲う役を押し付けられている。
しかし戦闘センスの無い吸血鬼でも、駄々っ子のように手を振り回し暴れるだけで、サンティーぐらいの魔法使いなら殴り殺せる。
彼女の装備の効果を足しても多少押し負ける。
これはもっぱら、彼女の後ろ髪に刺さった刺々しい髪飾りの仕業である。
ハルキゲニア型ペットのアンブロジウス。体を少し変形させ髪飾りに化けている。
ハルキゲニアとは古生代カンブリア紀の海に生息した葉足動物。葉足動物とは足がある蠕虫である。
体長三センチ、蠕虫らしい細長い胴体。腹にはにょきっと八対の細長い足が生え、先には爪がある。背には長い棘が大量に生えている。
にゅっと伸びた首の下には触手数本が、のっぺりした顔には一対の小さな目、顔の先端には丸い口があり、メン類食べるのに適している。
好物はポテトフライとラーメンである。
アンブロジウスは《僧侶/クレリック》系の能力、多重の防御魔法を掛け、サンティーは全身鎧を着たように硬い。逆に敵は弱体化している。
体が重い。全身に鎖を撒きつけられ重りを付けられているようだ。
サンティーと相対した吸血鬼の男は未体験の感覚に戸惑っていた。
明らかな体の異常、吸血鬼対策の魔道具か、特殊な天与能力があるのではないか?
女の攻撃は貧弱で大した事は無いが、変に眩しく見え、直視するのは困難だ。
近くなると圧力を感じる。
彼は針を取り忘れたのでは、と疑うが、それなら攻撃された時は痛いはずだ。
なぜか少し笑みを浮かべた女が向かって来る。この女は敵か?獲物か?判断できない。
男は少しずつ後ずさる。
なんでこんな事に。
彼は戦士でも魔術師でもない。戦闘技術は無いのだ。魔眼が効かないならどうすればいい?
前回は陰から飛びかかり、頭をつかみ、動転している間に目を合わせ、魅了した。そして吸い尽くして処分した。
泥酔して道も分からくなっているような男だった。狩りは簡単、それが彼の認識。
今回は待ち望んだ女だ。それも二人。よだれを我慢するのが難しい。
夜中に若い女などそう歩いているものではない。その柔らかな肌を貪りつくしてやりたい。
魔眼に耐性があっても後ろから襲えば殺せるはず。しかもなぜか助けはこない。さぼっているのか。まさか目の前の女を恐れて一人で逃げたのか。
男は視線を遠くに移す。女の背中側では仲間二人が戦っているのが見える。まさか苦戦?だとすれば援護に入るべきだろう、なぜ出てこない。
本当に、本当に逃げたのか!?なら自分も逃げるべきだ。
しかし逃げていなかったなら、自分は殺される。どうすれば?
そうだ!時間だ、時間を稼ぐ。二人のどちらかが負けたら逃げよう。
男はそう判断した。
「ま、待て、不幸な行き違いがあったようだ、話し合おうじゃないか!」
男は卑屈な表情をさせて、早口で口走った。
「さっきは殺すぞ、と言っていたようだが?」
女の指先から細い電撃が放たれる。
指先が動いた瞬間に腕で顔を守り、腕に受けた。そしてさっきと同じ、引っ張りが来る。それに踏ん張って耐える。
「ほらな、き、効かねえんだよ、お互いに死にたくないだろう、ここは休憩しようじゃねえか」
この距離はお互いに決め手を欠いている。この状態なら時間を稼げる。
「仕掛けておいて・・・・・・死にたくない、だあ?」
それまで機嫌良さげで、それ故に気持ち悪く感じた女の顔が、ぞっとする冷ややかな顔に変わった。
「私だって死ぬ覚悟はある。軍人になった時からな。今だって、命を懸けて観光を楽しんでいる。いつ死ぬか分からないからな、食いたい物はすかさず食う、一品も見逃さん。だから百でも二百でも食べる。お前はそんなだから駄目なんだ」
彼には女の言うことは意味不明。しかし、口ぶりから見下されているのは理解できた。
普段、仲間が自分を見る目だ。吸血鬼なのに何の技能も無いのか、こいつはという気配。
「お前に何が分かる?」
男の顔が引きつった。
「分かるぞ、化け物にもランクがあるらしいとな」
奇妙な事に、女のローブの襟から三十センチぐらいの白い金属槌が独りでにぬっと出て来た。女はそれを右手でつかんだ。そして、つまらなそうにため息をついた。
「人を襲う化け物なら化け物らしくしてくれよ。ゴミじゃ化け物にもカウントできない。どっかの誰かみたいに笑顔で基地の一つぐらいは潰してくれないと退治のし甲斐が無い」
訳知り顔の女の言葉は、これ以上無いほど男の心をえぐった。吸血鬼の世界に入門したからといって、誰もが恐るべき吸血鬼にはならない。
「糞があ!」
怒鳴った男は完全に頭に血が上っていた。もう考えは無い。
重苦しい体でひたすら突進する。前から体を打ちつける電撃など問題にならない。
力一杯伸ばした右手が、女の左手首を捕まえた。
女は左腕に電気をまとわせた。しかし電気は大して効かない。
「そいつは効かねえ」
そして〈生命力吸収〉は有効だ。女がわずかにうめいた。反対に自分には力がみなぎる。
予定が狂ったがこのまま美味しくいただけばいい。さぼって出てこない奴に文句は言わせない。この女は俺のものだ。
男は歓喜に震えながら、さらに腕に噛みつこうとする。
「くたばれ!」
女が槌を振り下ろしてくるが、そんなものは通用しない。例え、自分が人間状態でもあんなものでは死なないだろう。左手で槌を防御する。槌が彼に腕に当たった。
彼は滅びた。本人も認識できないほど一瞬で。
サンティーが槌を振り下ろすと、ガラスの置物が内側から爆発したように、男は粉々になった。
「うお!」
予想外の状況にビクッとして、そのまま数秒動けなかった。
細かな白い粉末が辺りに飛び散り、男の着ていた服が道に落ちた。
「期待外れだったな。なるほどこれが観光か、あいつの言った通りだ」
彼らは四人組であった。
老練した吸血鬼からすれば、街中で人を襲う事自体、愚行の極致である。しかし、彼らも知的生物なので馬鹿なりに頭を使った。
夜中に人が居なくなる場所を調べ、気長に待つ。そして四人なら、五つ星ハンターでも楽に仕留められる。失敗は無いはずだった。都市で行方不明者が出る事自体が失敗なのだが。
そして四人目は戦闘現場の建物の裏で咀嚼されていた。綺麗に並んだ大きく鋭利な牙がもっちゃもっちゃと動く。
歯に引っ掛った衣服や金属を器用に舌で避け吐き出し、インベントリに回収。
ティラノサウルス型ペットの花子だ。彼女はその巨体に似合わず《盗賊/ローグ》系の能力を有する。
これは大きな奴がいきなり現れた方が面白いという、主のサプライズ精神による選択だ。
その巨体を小さくし、不可視・軽量状態で常にサンティーの近くを警戒していた。
彼女の優れた嗅覚は、この場に居ない存在も認識していた。
スミルナが二人目の魔術師を追い、一人目の怒り狂った男が彼女を追い、魔術師が逃げる形でくるくると少し回った。
このままではらちが開かない。
普段のスミルナなら流星剣で勢いに任せて突破を図っただろう。
しかし流星剣ヒターの効果を使おうとは思わなかった。
心は自分が初めて本物の戦いをやっているという歓喜で満たされている。
魔術師が魔法を使っていないなら、確実に二人まとめて殺せる。
極限の集中下、流星剣無しで殺しきる組み立てが無数に頭に浮かぶ。これまで流星剣無しでは何もできないと思っていた。
使わなければならないという強迫観念すらあった。
しかし考えてみれば、いくらでも技はあった。無限の開拓地が彼女の眼前に広がり、彼女の意志で形を成すのを待っている。
だが魔術師が使う魔法が不明では確実な手は無い。
(まずは一手仕掛けて反応を見るしかない。持久戦は不利)
「待ちやがれえ!」
追ってくる一人目が怒鳴る。
「なら待つわ」
スミルナが状況を変えるべく動いた。
華麗に身をひるがえし反転、〈強打〉で衝撃力、〈即応〉で対処速度、〈剛力〉で筋力を強化、反転の力も載せた完全な一撃が放たれた。
向かって来るとは思わなかっただろう。遅れて振ろうとした剣に全力で剣をぶち当てた。
「ぬあ!」
例え片手でも、完全なタイミングで戦技を使えば当たり負けしない。相手の剣は大きく後ろに流され、男もそれにつられて右によろけた。
普段はやらない立ち回り。衝撃で相手を崩すと同時に、反動で再度加速して魔術師へ向かう。
「捕まえた」
魔術師はスミルナが離れてすぐに足を止めていた。魔法を試みたのだろう。しかし発動が間に合うはずがない。
「くそ」
魔術師は苦し紛れにナイフで身を守ろうとする。
小剣でも簡単にあしらえる。防御になどならない。
彼女はナイフをつかむ指を狙って斬りつける。ナイフ程度でも邪魔は邪魔。
しかし、返って来たのは分厚いものを斬るような感覚。
魔術師の体は透明の膜で守られていた。剣が命中する前に押し返す力を受け、斬撃がかなり浅くなった。さらに蹴りの反撃。
最小の動きで蹴りをかわしながら、その足を軽く斬る。これも押し返す力を受ける。
これは姿を現す前に使っていた魔法だろう。
(《力場の鎧/フォースアーマー》か、片手の連撃で仕留めるのは苦しい。私の戦いを見て使ったのね。指は落とせるけど、首は重い一撃が要る)
後ろから追いついてきた男の剣筋のぶれた荒い振り下ろしを、横に飛び退いてかわす。
「壁になれと言ってるだろうが」
「知らねえって言ってるだろうが、自分で何とかしやがれ」
魔術師は犬歯をむき出しにして苛立つが、剣の男は気にも留めない。
しかし、結果的に初めて剣の男が前に出る位置関係になった。
スミルナは魔術師に魔法を使わせる判断をした。魔法を使うなら足が止まる。そこを全力で叩く。
彼女は魔術師を狙わず、前の男に斬りかかる。
「俺に斬られる気になったか、小娘!手足から引きちぎってやるぞおぉぉ」
「鬱陶しいから、まずお前に黙ってもらうことにしたわ」
そして数度剣を交える。
時間は作ってやった。
彼女は目の前の男の左目を浅く斬りつけ視野を潰すと、その脇を一気に駆け抜ける。
正面には魔術師、しかし動きは無い。ナイフを構えているだけだ。
(何も来ない?何かやったはず!)
罠か?だとしても引き返さない。時間を与えれば与えるほど不利になる。
彼女は全力で加速し、ナイフを剣で軽く迎撃すると、その勢いでさらに魔術師の横を抜け、背後まで抜けて切り返す。
これなら魔術師が壁になり、剣の男は来れない。さらに後ろを取った。攻撃の時間がある。
片腕だが戦技で最大限の威力を乗せた攻撃で首を刈る。魔術師が振り向いたが何もできない。
全力の斬撃が首を捉えた。例え常人より硬くても確実に首を落とせる。完璧な一撃が。
「は?」
斬撃は首の途中で止まっていた。
傷口から出た血が不自然に粘り、剣にまとわりつくと瞬く間に凝固した。
首から生えた赤い結晶が、首と剣を一体化させた。
これが魔法なのか吸血鬼の能力なのか分からない。
剣は魔術師の首に斬り込んだ状態で固定されてしまった。かなり硬い。
引き抜こうとしても抜けなかった。
「血が!」
こんなものは予測できない。斬ったらまずいなら剣士には戦い様が無い。
「それは読んでいた、こっちは多少斬られても大丈夫なんでな、死ね」
魔術師は右手に持ったナイフを、スミルナの首目掛けて全力で振り下ろす。
刺されれば死ぬ。
かわすには剣を手放すしかない。剣を引っ張っても、相手もそれにつられて引っ張った方に体が動くこれでは取れない。
しかし彼女は剣を離さなかった。
ナイフが振り下ろされる。
そしてスミルナの体から血が噴き出した。
ただし部位は左手上腕だ。
左手には側面から完全にナイフが刺さって貫通している。
握れない手は、ただ邪魔?違う。何にでも使い道はある。
(母さんもチェリも言っていた。使える物は何でも使えと)
「逃げれば良いものを」
魔術師が勝利を確信して勝ち誇る。そして左手を伸ばした。
しかし瞬間。スミルナはナイフが刺さった左手を、相手に全力で押し込む。同時に、首に固定された剣を引いた。
凝固していた血がひび割れ、ガリッと音を立てて剣が抜ける。
瞬時に左を押し、右を引く事で血の強度を超えた力を捻出したのだ。
「なに!?」
そして、顎の下から脳天目掛けて全力で差し込んだ。
「ぐおおお」
男は両手で剣の刃を握って必死に抵抗する。
血の凝固能力はここにもある。いくらか刺さって止まる。まだ死んでいない。
「はあああああっ!」
スミルナが叫び、さらに強引に押し込む。
そして最後は蹴り、剣は間違いなく脳を貫いた。
魔術師が地に伏す。勝った。
ただし斬撃。
まだ最初の男が居た。
スミルナの右肩から血が飛び散った。
それでも反応して致命傷から逃れた。頭を直撃するところだった。
彼女は左腕に残ったナイフを抜いて捨てた。
傷口がかき回された左手からは大量の血が滴っている。治療しなければ死ぬだろう。
さらに背から右肩を斬られ、軽くない傷だ。
まさに満身創痍。
しかし、目の前には最初の男が立ちふさがり、高らかに笑う。
変わらず狂ったような表情だが、今は喜色に満ちていた。
「ヒャーハハハハ、武器が無くなったな、終わりだ、小娘」
「仲間が死んだのに嬉しそうね。素手でもお前ぐらい殺せるわ」