王都の夜
サンティーが空腹に耐えかね、【生死の境】で聞いた、選ばれし者だけが相伴にあずかれるという死んでも執念で料理を出し続ける幽霊屋台を探し求め、夜の街へ飛び出した頃、スミルナも屋敷を飛び出した。
普段街をうろつく時のようにローブのフードを深く被り、そのローブの下は完全装備。皮鎧を着て、小剣二本、小盾、籠手、脛当、一式の魔道具を装備している。タグを外し、灯りは持っていない。
彼女の目的は手柄。誰もが認める功績だ。
いや、それは目的と呼んで良いものだろうか。そもそも彼女の行動目的は、全て母に認めてもらうためだ。それしかない。それが達成できるなら何だって構わない。剣以外のやり方を知らないから、剣が使える手段を選んだに過ぎない。
ハンターになった頃はランク上げを目的としたが、それはもう目的にならない。
赤三ツ星が現実的に到達できる限界だからだ。さらに上は、国難規模の魔物や、特別な遺跡を発見しないと駄目だ。だから、赤五つ星が普通に存在したのは大戦後の混乱期まで。今は目指してなれるものではない。
彼女にとって自慢の母、国からもハンターからも民衆からも認められた英雄。それこそが唯一にして絶対の基準。
その母に敗れ、彼女は部屋で少し泣いたが、すぐに立ち直ると燃える闘志を復活させた。それはいつだって燃えているもので失われる事は無い。そこは母と似ていた。
急いで装備を整え、心を落ち着け体を休める。夜が更けたのを見計らって、屋敷の塀を飛び越えた。
別に依頼を受ける必要は無い。場所はここ王都。遠隔地や埋まった遺跡、大洞窟ではないのだ。家から出ればすぐ調査地。
ならば勝手に探すだけだ。王都を歩くのに誰かの許可は要らない。
彼女はなぜ母が認めてくれないのか分からない。
魔剣無しでも同世代の誰よりも強い。これを言うと母は決まって、父は同じ年の頃もう一回り強かったと言う。
同じパーティーの仲間に、他のハンターも、軽薄なレメリさんだって褒めてくれた。
母が、母だけが認めてくれない。二つ星、三つ星になった時は喜んでくれたはず。
大物を仕留めないと駄目なんだ。もっと大きな功績を、誰もが認める功績を。
彼女は少々焦燥に駆られながらも、路地を慎重に小走りする。特に行き先は考えていなかった。夜に活気があるのは花街ぐらいだ。そこ以外をうろちょろしてる奴は全員怪しい。
昼間なら人通りの無い場所か、逆に多い場所が事件の起こる場所だ。しかし夜はどこも人が少ない。つまりはどこでも事件が起こる。
そう考えると、選り取り見取りとも思えた。
ただスミルナは夜の街に慣れていない。貴族街、王城周りは設置された灯りで明るいが、少し離れれば灯りは皆無だ。花街だってそう明るくない。
時折、イヌの遠吠えや家畜のブタの鳴き声が、道を行く人の足音に籠った話し声が、耳に入って来るが距離も方向も分かりにくい。冷えた夜の街は、森や山より音を遠くに運ぶ能力に長けているようだ。
子供時代からよく知る街が迷宮に変化したように感じた。
緊張の中に紛れる未知の刺激、少し気持ちが高ぶる。
山猫の指輪の効果で二十メートルの暗視があるので、その範囲にあるものの形状は見えている。光に照らされた昼の視界とは異なるが、活動するに十分な情報だ。
しかし街を警邏する戦士団の《盗賊/ローグ》や、騎士団の《斥候/スカウト》は夜目が効きより遠くが見える。空では緑の月が半月に輝く。これだけの月明かりがあれば、彼らは五十メートルは見えているはず。
こそこそしているスミルナが彼らに見つかれば、タリッサに連絡されてしまう。
路地の暗がりで彼女は少し考え、北区の商家が立ち並ぶ区域を目指した。
橋を渡る必要が無いからだ。王都レンダルは南北にホセス川で分断されいくつかの大きな石橋が掛かっている。橋は隠れられないし、人の通行を監視しているはずだ。
北区に着いた彼女は、できるだけ大通りを避け、より暗きを進む。大店は大通りに面しているが、裏側は大抵路地だ。大通りと大通りに挟まれた中ほどは、特に入り組み複雑で細い道がある。
月明かりすら建物に遮られ、狭く暗い路地は悪だくみに持ってこいの場所に見えるが、それだけに危険と思われているのか、誰とも会わなかった。
夜の商家なら押し込み強盗ぐらいは、と期待したが、昼の人々が絶え間なく行き交う景色が記憶違いだったのかと思うほど静かだ。建物の窓から明かりが漏れているから、人は確実に居るが、微かにぼやけた声が漏れ聞こえるぐらいだ。
(これじゃあ、昼より平和ね、喧嘩すら無いし)
スミルナは大通りを窺おうとして、大通りに近づいた瞬間、前触れなくスッと目の前を横切った人影に、彼女の心臓が速く脈打つ。喉の奥で筋肉がうねり微かな声が出た。
灯りを持っておらず、足音も無かったので、接近の予兆が無かったのだ。
驚き瞬時に建物の影に隠れた。そこから少し。こっちへ向かって来ないと判断すると、再び大通りを窺う。
ローブを頭まで被った人影。さほど大柄ではない。真っすぐ道を進まず、路地や溝、石畳の隙間、門扉の隙間を覗き込んでいる。
横顔が少し見えた。やや間があって思い出す。スリに遭いそうで遭わなかった女。思い返してみれば、あれは不自然な出来事だ。怪しい。どう考えても怪しい。
尾行はスミルナの修めた技術ではないが、緑髪の女は人類の愚かさを体現したような歩行で、フラフラと大通りを右へ左へ動く女は、不審でかつ不注意の極致。スミルナでも追跡可能だ。暗視が効く限界の距離で尾行する。
怪しい女は路地に入ると、同じ調子で東へ半時ほど歩き、石切り場、製材所等がある北東区域に入った。
この辺りは建物の密集度は減るが、工房等の特殊な機能を持った比較的大きい建物が立ち並んでいる。多くは木造である。
ここは住宅が少なく本格的に人通りが無い。
(本格的に怪しい。きっと組織の隠れ拠点があるに違いない)
スミルナが疑念を確信に変えた時だった。
男が横道から飛び出し、その勢いのままに女に襲い掛かった。武器は持っていない。
男は女を掴もうとしたようだが、掴み損ねたのか、走り出た勢いのままに派手に転倒した。かなりの間抜けだ。
「うわっ、何だ!幽霊ではなさそうだな」
一瞬硬直して身を縮めた女も間抜けなことを言っている。
男が起き上がるなり、ナイフを出した。
「大人しくしやがれ、大人しくしねえと殺すぞ」
暴漢のようだ。どうするべきか?スミルナは悩む。
あの女は怪しい。しかし殺されでもしたら、結局何も分からない。それに明らかな犯罪者が前に居る。
(どっちも捕まえればいいか。こんな人通りの少ない所にいる暴漢も不自然だし、何かの組織の可能性はある)
「嫌です」
女がさらっと断り、男がたじろいだ。
「なっ、何だとお」
スミルナが男は適当にぶん殴って無力化して、女は事件の関係者として衛兵の詰め所に連れて行こうと思い、隠れるのを止めた。
「そこまでよ、そこの男、大人しくしなさい」
「え、誰!?」
振り返った女は状況の変化についていけないようだ。
スミルナは速やかに男を捕縛すべく、俊足で走り寄る。このままいけば簡単に終わり。しかし彼女は全力で横に飛び退いた。
男が建物の屋根から降って来たのだ。それもスミルナの走路目掛けて。あのまま行けば、上から踏みつぶされていたに違いない。
尾行中、神経を尖らせていたせいか、風を切る音に気付けた。
スミルナは降って来た男の方を見て、流星剣ヒターを抜く。
「まだ居たの?残念だったわね、武器があるのよ、そっちも大人しくしなさい」
「ほざけ、小娘。剣ぐらいでどうにかなるものかよ」
比較的若い男が口を開いていやらしく笑った。その口に中に牙。そして暗視でも分かるほどに、目ははっきりと赤をたたえている。
「吸血鬼!?」
(だとするとまさか!)
スミルナは下がって前の男と距離を取りながら、女の方の男を見た。口を閉じているが目は赤い。
知性ある吸血鬼なら中位以上。
「え、吸血鬼なの?こいつ?」
怪しい女が緊張感の乏しい素っ頓狂な声を出した。
スミルナは正面の敵を観察する。
吸血鬼二人、やれるか?相手の力量によっては不利。
「お前らは揃って家畜にして飼ってやるさ。餌はやるから安心しろよ」
男はさらに牙を見せびらかす。
もう女はどうでもいい。吸血鬼二人を仕留めれば十分すぎる手柄だ。それに見つけた情報だけでも大きい。こうなると女は邪魔でしかない。
女の安全を考えるなら逃がすべきだ。女を追ってくれれば一人減るし、追わなくとも、女が救援を呼んでくればこちらが有利になる。
「そこの人、逃げなさい」
「ええ?あっ、こちらは何とかするのでおかまいなく」
スミルナは最初からおかしな女だと思っていたが、正気では無さそうだ。
それとも戦闘の心得があるのか?
一対一で戦うなら、対策装備のある五つ星ハンターで五分五分。一般人なら一撃で首を折られるだろう。ハイイログマぐらいの筋力がある。