鍵
サンティーの腹が三分の時まで時間が戻り、手に持って食べる巨大な巨人豆に具を詰めた豆包み料理の一種――臓物の豆包みを食べる彼女が何気なく発した「ソースに果物でも入れればいいのに」の言葉に、百七十年の歴史がある味に強いこだわりを持つ店主が衝撃を受け、クロックベリーにオレイアベリー辺りが使えるのではないかと味革命が始まった頃、メルメッチが音も無くコカーテ伯爵宅の廊下に着地した。
敵地への侵入だが彼は緊張と無縁。納得するまで事前調査をしたためだ。
まず遠目に屋敷を観察し、朝、主人であるコカーテ伯爵らしき男が屋敷から出るのを、密かに見届けている。続けて王城の中にすんなり入り、景色の良い大樹の頂上まで登り、兵士達が訓練している様を上から観察した。
王城の警備でこの程度、この時点で簡単なお仕事の予感。
次に、また目標の屋敷がある貴族街に移動した。どの屋敷も石塀で囲われており庭がある。その塀の上や庭を我が家のように散歩したが、誰にも見つかっていない。
挙句に貴族街を警備する騎士の前で、キレのあるコサックダンスを一時間踊ってみたが無喝采、さらに屋敷へ小石を窓から投げ込んだりもした。そして無反応。
ここの警備はざるだ。隠密状態の自分を捉えられる探知装置はまず無いと彼は考えた。
それでも油断無く侵入した彼は、廊下をすみにより曲がり角まで進むと、正面側の廊下を覗く。そこが一番人通りの多い廊下らしく、部屋に、屋敷の内外を出入りする使用人が定期的に現れ通り過ぎた。
今は外から見た感じで三十人ぐらいの使用人が居た。屋敷の大きさもそれ相応である。
天井の高い廊下は小人の彼からするとより高く見え、石造りの屋敷の中は装飾のある漆喰壁に彫刻や絵画で飾られ、財力を感じさせた。
その壁の模様や置物にも一応注意を払うが、魔力に仕掛けは見当たらない。
彼はヤモリのように壁に張り付くと、天井まで移動して、ヤモリさながらに素早く移動する。下を使用人が通過しても気にも留めない。意識は探し物だけに向いている。
〈都市迷彩〉による隠密状態で極限まで気配が薄らぎ、常人は至近でも気が付かない。
ただし、魔力消費と、魔力を探知されるのを嫌い不可視状態ではないので、居ると確信して凝視すれば、極めて透明なガラスの置物を見た時のように、輪郭線を発見できる。
まずは一階から調査、使用人が部屋を開けると同時にドアから潜り込み、使用人の死角で棚を開けたり、置物の下、裏を確認する。そして使用人が出る時に一緒に出る。
出入りの無い部屋を開けさせたい時は、魔法で部屋の中に音を鳴らせたりした。
それを数部屋繰り返したが、探し物は無く不審な点も無い。
(人が出入りする場所に隠し事をできるような技術力は感じられないなあ)
ルキウスはあまり森を出ないが、たまにはダンジョン、推理クエストで調査等をやる。
そこでは、扉の開け方をしくじったらブラックホールに吸い込まれ死亡する罠があるし、隠し部屋に行くのに屋敷内の家具の配置を総入れ替えして、絵の中に入れるようにする必要があった。
ここからは、一歩間違えば即死、そんな圧力を感じられない。
(怪しい場所は見当が付いてるけど、まずは外堀からだね、お腹も空いたし)
彼が次に侵入したのは厨房。扉が空いた瞬間熱を感じた。
丁度石窯からパン職人がパンをかき出した。他にも複数の使用人が汗をかきながら、作業に集中している。石釜の他にも、大鍋が並び、何かの下ごしらえをしている様子だった。
メルメッチはパンの中に何か隠されている可能性に着目し、パン職人が石窯を見ている横で、既に入れ物の中にあるドーム状のパンを一気に口の中に突っ込んだ。
まあまあのパンだなと思う。中には何も無かった。まだパンは一杯ある。もう腹はふくれたので、片っ端から割ってみたが、やはり何も無かった。
(はずれー、はずれー)
パン職人が「何じゃこりゃあ!」と叫び、それに他の使用人の視線が集中した時には、既にメルメッチは部屋に居なかった。
次にメルメッチは洗濯場を観察した。
洗濯場では女中が複数集まり、仕事をしながら話をしていた。
その話にしばらく耳を澄ましたが、街の話、仕事の愚痴、他人の噂等、一般的な話であったので、この屋敷の特殊性は認識できなかった。極一般的な貴族の屋敷であると使用人には認識されているようだ。
(メアリーの仕事の覚えが悪いので、皆が怒られて困るらしい。がんばれメアリー)
メルメッチは二階、三階を捜索した。三階は使用人の部屋が多いようだ。ほぼ小さな寝床しかない相部屋だった。それらの部屋を全て探し終えた。
そして唯一残った二階の一室。この扉は施錠されている。さらに魔力の反応がある。
〈罠鑑定〉のスキルによれば、《警報/アラーム》の魔法。音を出したり、特定の人物に異常を知らせる。初歩的な罠、彼は簡単に解除可能だ。
(ちょろいなあ。あからさま過ぎて逆に怪しいや、でもここしかないね。庭に埋まってるのは警戒用の魔道具だけだったし。どうするかな?)
家令が居れば鍵を持っている可能性もあるが、魔法で複製するか、すりとる必要がある。侵入が発覚した場合を考えると、正規の鍵で開けておくのが望ましい。内部に混乱をもたらせるからだ。
(そこまでやる必要も無いかな、不必要にややこしくなりそうだし)
さらにこの部屋の窓に魔術的仕掛けがあるのは外から確認済み。
(外からか、中からか)
設置された装置を無力化するのはたやすい。しかしその無力化に反応して警報が鳴る場合もある。
メルメッチは慎重を期してその他を選択した。
壁抜けの術。それを発動すると同時に彼は扉から少し離れた位置の壁に手を突っ込む。まるで壁が幻のように、彼の手は壁にすっと入り、突っ込んだ手で壁の先の様子を探ると、壁に向かって普通に踏み出し壁を抜けた。
部屋の中は執務机があったが微かにほこりを被っていた。二つの棚には豪華な革の装丁の本が並び、残りは台で壁際は埋めれれ、その上には比較的小さな置物、何らかの魔物をかたどった像や彫刻、木彫り等の物体が並ぶ。
メルメッチは机にも棚にも置物にも目をくれず、左側の壁に飾られた絵画に向かった。そこにあるのは隠し扉、彼には普通に見えている。間取りから見てもそうだ。
絵画を取り外し床に置いた。部屋の壁は幾何学模様の壁紙で何の継ぎ目も無い。その模様の中に少しだけ違う部分がある。彼はそこに触れた。
壁の一部が長方形に消滅した。再度模様を押すとまた壁が出現する。
(ここだけお金掛かってるね、避難所も兼ねているのかな?)
彼は薄暗い隠し部屋の中に入った。
隠し部屋は奥行き二メートル、幅五メートル。中には棚があり、宝石に魔道具が陳列されていた。中には罠もあるようだが、彼はすぐに看破して触らない。
(あるならこの中だ。領地の方に持ち出されていなければだけど)
彼は黒と鍵の両方のイメージを満たす物体を広めに思い浮かべ、《物体捜索/オブジェクトサーチ》の魔法を使った。
(あれ?)
反応は隠し部屋には無い。代わりに後ろの台の上にあった。
そこにあったのは高さ約十センチの黒い四角柱。側面には角ばった凹凸がある。
(まさかこれ?普通に置いてあるけど。形状的には五つくっ付ければ、星型の柱になりそう)
コカーテ伯爵は領地がモヌク紫海王国との国境にある。そこでの密貿易を行うために、吸血鬼の組織エフェゲーリ・メクレルと関係を持っていたが、取引先ぐらいの認識しか無さそうだ。
(この感じじゃ吸血鬼との関連性は薄いね、信奉者とかでは無さそう)
さらに一時間室内を探したが、黒の鍵らしきものは他に無かった。そもそも黒い物がこれぐらいだ。オニキスの装飾品があったが魔力反応が無い普通の石だった。
メルメッチはインベントリから錬金粘土を取り出し、黒の鍵があった台座の上に置いた。
そして《上位固定幻象/グレーターフィクスドイメージ》の魔法を使う。彼のイメージした象に錬金粘土は反応し、黒の鍵と同じ形状に変化した。二つ並べれば若干違うが、単体なら分からない精度だ。触感も重量も非常に近い。
入った時と同じように壁抜けの術で廊下に出て屋敷を抜け出す。
そこから彼は隠密状態を維持したまま、コカーテ伯爵宅の見える屋根の上に長く潜み、伯爵が帰宅するのを見届けた。
そこからしばらく――何も起きない。索敵する様子も追手も無い。
(異常を認識していないなー、つまらないや。追いかけっこにも、かくれんぼにもならない。でもこれで安全確保、あの屋敷を張っている人も居ない)
メルメッチは日の暮れた街を疾風より速く駆け抜け、カサンドラとサンティーが居る宿に着くと、窓を開けて部屋に入った。
「ごあ」
膨れた腹でベットに横たわるサンティーが、独りでに開いた窓を見て声を出した。
「戻ったか。鍵は?」
カサンドラは室内の椅子に座っていた。
「らしきものはね」
メルメッチが隠密を解除した。
「何だ、お前か」
サンティーはプフーと息を吐いた。
「食べ過ぎだよ、大臣」
「食べるのが・・・・・・仕事だから、しかし高い料理は肉が多いな、果物は少ない、あそこには山ほどあるのに、果物の味を比べようと思っていたのに」
「この国の食品で高いのは肉、南から香辛料、砂糖、保存の魔法を使ってる海魚など遠方の食品でしょう。この国は穀類を輸出しているようですし、平地には割の良い作物を植えているのでしょう。果樹を植えると賄える人口が少なくなる」
「あそこには山ほどあるのに・・・・・・取ってもすぐ実るし」
その時、デルデルが他のポーションと同じ透明のビンに入った液体を取り出した。
「また何かの薬か、この腹が何とかなるのか?」
サンティーがそう言って受け取り栓を抜き、無造作に口に突っ込もうとしたが、その手をメルメッチが握った。
「何だ?」
怪訝な表情のサンティー。
「それ、危ない奴だよ」
「それは飢餓ポーション。飲むと空腹になる、やせ細らせて殺すためのものだ。毒物の類である」
「空腹になりたいんだから丁度良いじゃないか」
「量を考えないと、だからこれまでデルデルも出さなかったのさ」
「分かった分かったちょっとずつやるから」
投げやりなサンティーが心配だが、メルメッチは手を放した。まあ餓死しそうになったら兵糧丸でも放り込めばよいだろう。サンティーがちびちび飲み始めた。
「まず追手は無いよ、そもそもこれに価値を見出してるかも怪しい扱いだった」
メルメッチがサンティーを横目に黒の鍵らしきものを取り出して振って見せる。
「完全に偽装できたのか?」
「幻術掛けてきただけだけど、少しほこりが乗ってたから普段は触ってないと思うよ、ほい」
メルメッチがカサンドラに黒の鍵を渡して続けた。
「これは他の鍵が揃わないと意味が無さそうだね、一個だけで解析できるタイプっぽくない」
「これで間違いないか?」
「五つ揃えば五芒星になる形だから」
「それが鍵か?お宝はおいしいのか?」
サンティーの声を集中しているカサンドラは無視した。魔法を使っていたからだ。仕方ないのでサンティーはまたちびちびと飲み始めた。
「なるほど、これで正解のようだ」
「どんなアイテムなの?」
「いや、鑑定を弾かれた」
「へえ、防御削る?」
メルメッチの表情が少し真剣なものに変わった。
「いや。私の魔法を弾くなら何かの防衛措置があるかも知れぬ。恐らく組織外から攻撃を想定した品。義眼と同格の品であれば、どんな攻撃があるやら。・・・・・・もしくは強力で正当な所有者が存在しているか、これは隔離処理もためらわれる」
カサンドラの声色に警戒が籠った。
所有者を選ぶ魔法の品ならその能力は所有者の影響を受ける。場合によっては所有者と精神が繋がっていて情報のやり取りがある。
「伯爵の警備はざるだったから、出所が全く違うんだろうね。所有者を定めるタイプなら全部集めないと権利の変更は困難だね。無理にやると自壊しちゃうかも」
「これは《物体捜索/オブジェクトサーチ》も使わぬ方がよいであろう。正しい解き方ができるならそこからだ」
「近くで使った時は特にカウンターは無かったけど」
「所有者に防衛する意志が無かったのであろう、もしくはお前の隠密力のせいかも知れぬが、警戒を要する品であろう」
「それも揃えれば分かる。早く全部揃えようよ」
明るい調子のメルメッチに対して、カサンドラは慎重を崩さない。
「三つでよいと言ったであろう」
「遠慮する必要は無いんじゃない?そういえば、他の四か所はどうなってたのさ」
「魔道具のゼート工房、炭のアンレケ屋は空だ、家屋の細かい調査は任せる」
「へえ空か、でも何か痕跡があるかもね」
「やくざ者の炭髭はいたが、あの家、狭い範囲に大勢いるようだ。こそっと入るのは難しいだろう。花月楼は営業している。ただし主人は留守がちだという、家にあるか主人が持っているかは分からぬ。強硬策を取れば三つ確保できるはずだが、最終手段だ」
「他に二つか、持ってる奴が居るなら取りに来るかも」
「まず三つだと言っておろう。それにこれを所持する者達は鍵と認識していないだろう、そこが厄介だが。街中でも負の反応を全く感じなかった。既に吸血鬼共は逃げている可能性もある。あるいは王都の組織は最初から人間で構成しているのか」
「鍵だとお知らせしてあげる手もあるよ。せっかく楽しくなってきたんだ、宝はどうでも良いけど鍵は揃えないとすっきりしないや」
メルメッチがニヤリと笑った。
「まあ、ヴァルファーには時間がかかると連絡しておこう。鍵は私が持っておく」
三つ集まってから残りを考えれば良い事だ。今決める必要は無い。
「飲み過ぎたな、お腹減った」
サンティーがつぶやいた。